over dinner
over dinner :夕食をとりながら
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ロイが仕事を終え司令部の門を出たのは、日付が変わるか変わらぬかの時間だった。
セントラルに出向いた数日の留守の間に溜まっていた、山のような仕事を半ばヤケになってやっつけていたら、こんな時間になってしまった。
確かに、自分の決済がないと動かない書類ばかりだったのだが、『最小限の仕事』と言うには量が多過ぎやしないかとロイは不満顔だ。
ほとんど人通りのない闇の中、ガス燈が薄ぼんやりと彼の影法師を石畳の上に浮かび上がらせている。
「流石にもう眠っているか」
欠けた月を見上げ、ロイはそうひとりごちた。
約束など何もない。
それでも、彼の足は自然にリザの家へと向かうのだった。
非番の彼女は眠っているどころか、留守の可能性もある。
約束もないのだからと、素っ気なくあしらわれるかもしれない。
しかし、一日の終わりにリザの顔を見たいと思った。
彼女の家を訪ねて駄目ならば、諦めもつくというものだ。
我ながら非生産的な発想だと、ロイは可笑しくなって夜道でひとり笑う。
人気のない歩道から見上げると、リザの住む部屋の窓に小さな灯りが見えた。
ベッドサイドの常夜灯かもしれない。在宅の徴。
ロイはなるべく足音をたてないように、そっと階段を登る。
通い慣れた扉の前で、ノックをしようとロイの手が上がった。
無意識に大きな深呼吸をしたその時、彼は不意に気付く。
自分の息遣いすらはっきりと聞こえる程の静寂が、辺りを満たしている事を。
静まり返った深夜の無音の時間が、彼を包み込む。それは重たく、もったりと空気を満たし、ロイ以外の人間の気配を眠りの中に封じ込めているかのようだった。
扉に向けた手が、そのままの形でゆっくりと下ろされる。
物音ひとつしない建物の中、ロイはくるりと回れ右をすると、もと来た方に歩き始めた。
どんなに静かに歩いても、無音の世界で靴音は、彼の動きを主張する。
ノックをすれば例え眠っていようとも、彼女が起きて来てくれるのは分かっていた。
会いたいというのは単純にロイの我が儘でしかないのだから、わざわざ起こす事はしたくなかった。
二三日会えなかっただけで、これほど彼女を欲するとは。全くどうかしている。
どうせ明朝には、イヤでも顔を合わせるというのに。
そんな考えに自嘲の笑みを浮かべた時、背後でカチャリとノブの回る音がした。
「大佐?」
小さいけれどよく通る声が、ロイの背中にぶつかる。
驚いて振り向くと、開いた扉の隙間からヘイゼルの瞳が彼を見上げていた。
「君、まだ起きていたのか!」
「寝ていると思っていて、わざわざおいでになったのですか?」
怒ったような口調でリザはそう言いながら、部屋から出てくると、ロイのコートの袖を引っ張った。
「誰が見ているか、分からないんですから」
ぶっきらぼうにそう続けて、リザは黒いコートを引き寄せて己の部屋にロイを招き入れた。
「何故、私が来たのが分かった?」
「軍靴の音で。ここの廊下は意外に響くんです」
そう言ってリザは、手早くロイの上着を受け取る。
「お掛け下さい」
そう言われ、堅い椅子にロイが腰をおろすと、さっと熱い紅茶が差し出された。
「コーヒーがよろしければ、後で淹れ直します」
事務的な口調で甲斐甲斐しく世話を焼かれると、まるで執務室にいるようで、ロイは妙な気分になる。
違いと言えば、紅茶が美味いこととリザが私服なこと、そして書類の山がないことぐらいだ。
「夕食、まだでいらっしゃいますよね? 簡単なものしか出来ませんが」
軽く頷くと、簡単なものと言った割には、きちんとした料理が出てくる。
温かい湯気をあげる皿を目の前に、ロイはしばらく黙り込んだ。
「待っていてくれたのか?」
「いいえ」
パンとコーヒーを運んできたリザは、目も上げず即答する。
「しかし、この料理は」
「残りものです」
さっさと台所に戻った彼女の気配を感じながら、ロイは机の上を見つめ、我知らず顔がにやけるのを止められなかった。
バゲットはロイの好きな隣街のパン屋のもの、メインディッシュは彼の好物、コーヒーの香りはよく行く店のオリジナルブレンドだ。これで、彼女のお手製のタルト・タタンが出てくれば完璧だな。
そう考えていると、たっぷりのクリームを添えたタルト・タタンが運ばれてくる。
「少し焦がしてしまったのですが」
あくまでも素っ気なく言い放つ彼女の言動の不一致に、ロイは堪らなくなる。
「君は本当に可愛いなぁ」
ニヤニヤ笑いを貼り付けたままロイは立ち上がると、紅茶のカップを下げようと背中を向けたリザを後ろから抱きすくめた。
「寝ないで待っていてくれたんだろう?」
問いかけるロイに、リザは動じず答える。
「いいえ」
クールに無表情を保つリザに、ロイは再び問う。
「夕食を用意して、待っていてくれたんだな?」
「まさか」
「早く帰れなくて悪かった」
「誰もお待ちしていません、約束なんてないんですから」
あくまでも態度を変えないリザの頑なさに、ロイは一層の愛しさを感じた。
「そういう意地っ張りなところも、堪らなく可愛いな、リザ。ご馳走より先に君を食べてしまいたいくらいだ」
そう言って、リザの首筋に唇を這わせれば、たちまち白い肌が朱に染まる。
抱きしめたまま彼女を寝室に連れて行こうとすると、思った以上の抵抗にあった。
「どうした? リザ」
「料理が冷めてしまいます。せっかく作ったのに」
少し恨めし気に言うリザが、また可愛くてロイは笑う。
あんなにしらばくれていたクセに、うっかり本音を漏らすとは詰めが甘い。
「そうだな。君が私の為に『せっかく作って』くれたものを無駄にしては、申し訳ない」
わざとそう言ってやると、返事は返ってこない。
くるりと自分の方に向かせると、うっかり口が滑った彼女は見るからに『しまった』と言う顔をしている。
そんなリザに、ロイはそっと口付けた。
「会いたいと思っていたのが、私だけじゃなくて嬉しいよ」
「全く電話の一本も下さらないのに、こういう時だけ」
「拗ねていたのか?」
「まさか」
「素直じゃないな」
話しながら、ロイは再びリザの唇をついばんだ。
「早く食べて下さい」
「君を?」
「莫迦ですか! 夕食です、片付かないじゃないですか」
「分かったよ」
呆れた様なリザにロイは肩をすくめ、抱き寄せた手を離して改めてテーブルに付く。
「しかし、中尉。君、変な所で素直だね」
リザの手料理を食べながらそう言ったロイに、リザは腑に落ちないといった顔で聞き返す。
「何がです?」
「え? だって、この料理、全て私の好物ばかりじゃないか」
「……あ」
「気付いてなかったのか?」
真っ赤になってうつむいたリザを一瞬ぽかんと眺めたロイは、今度こそ声を上げて笑い出す。
「ああ、ほんとに君って人は!」
口惜しそうにキッとロイを睨みつけるリザに、ロイは更に笑う。
そうして、さっさとメインを食べ終わると、立ち上がってリザを抱き上げた。
今度はリザの抵抗も聞かずに、ロイはベッドに向かう。
「タルトは君を頂いてからのデザートだ、もう我慢出来ないぞ」
「明日も仕事なんですよ! 分かってらっしゃいます? あの書類の山をご覧になってないんですか?」
「大丈夫だ、全部片付けてきた」
ロイの返事に驚いて言葉をなくすリザに、ロイは満足した。
そして、今日サボらずに書類を片付けて来て色々な意味で正解だったと内心で考えながら、腕の中のリザの存在に幸せを噛み締めるのだった。
Fin.
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【後書きの様なもの】
少しだけ天然で、詰めの甘い中尉ってのも可愛らしくて良いな、と。
ちょっと乙女だともっと良い。
しかし、ウチのロイは必要に迫られているとは言え、真面目に仕事してるパターンが多いかも。おかしい。
4/27加筆