お気に召すまま 3

主のディナーの管理を終え、自身も夕食をとったマスタングは、なんとも浮かない気持ちでランプを手に屋敷の見回りを始めた。
戸締まりを忘れた箇所はないか。備品が欠如してはいないか。屋敷の設備に問題点はないか。使用人たちは所定の場所にいるか。
細やかな視線を屋敷中に配りながら、マスタングは自身の視線の届かぬ場所に閉じこもってしまった令嬢を想う。
 
あの時、彼は執事としては当然の礼節を尽くし、世間の道理を彼女に説いただけだ。
今、もう一度同じ問いを彼女が発したとしても、彼はきっと一言一句同じ文言を彼女に返すに違いない。
それは、この家の主であるグラマン男爵への忠義以上に、リザの将来を思えばこその言葉でもあった。
王族の末端に加われば、彼女には何不自由のない生涯が確約される。
こんな片田舎で統治の苦労に明け暮れるよりは、優雅に苦労を知らず、温室に咲き誇る大輪の華として生きる方が、彼女のためだ。
あの細い白魚のような指は、アフターヌーン・ティーのサンドウィッチを摘むためだけに動かされればいいのだ。
マスタングはそう考えながら、重い足取りで廊下を進んでいく。
そんな彼を二階への踊り場で待ち受ける人影があった。
予期した通りの展開にマスタングは肩をすくめ、優秀な女中頭の鋭い視線を暗いランプの光の下で受け止めたのだった。
 
「お嬢様は?」
レベッカの物言いたげな視線を真っ向から受けとめ、マスタングはまずは己の用件を端的に伝えることで、彼女の機先を制す。
「ご心配なく。スープとあと少し体の温まるものを、きちんと取っていただきました。湯浴みも済ませていただいて、本日は早々にお休みいただいたわ。これでご満足? 執事殿」
レベッカマスタングの問いに必要以上に十分な答えを返して寄越すと、フンと不機嫌に鼻を鳴らした。
「ああ」
彼女のそんな態度を気にも留めず返答するマスタングに、女中は冷静な態度で相対する。
「とりあえず一言、いいかしら?」
「必要であるならば」
木で鼻をくくったようなマスタングの返事にくじけることなく、レベッカは真面目な顔で彼に言った。
「貴方の職務も優秀さも、こちらは十分知ってるつもり。でも、貴方の言動が年頃のお嬢様にどう影響するか、もう少しきちんと考えて」
あまりに真っ直ぐなレベッカの言葉に、マスタングは眉をひそめた。
「君の言いたいことが」
「分からないとは、言わせないわ」
あくまでも対決の姿勢を崩さないレベッカに、マスタングは肩をすくめてみせる。
リザが親友の様に信頼している女中は、令嬢からどんな話を聞かされているのだろうか。
それを聞きたいような、聞きたくないような複雑な己の胸中に苦笑し、マスタングはあえて核心には触れず相手の出方を探るように問い返した。
「私にどうしろと言うのかね」
「優秀な執事殿にこんな事言うのも何を今更なんだけど、敢えて言わせてもらっておくわ。この秋の旅行がどういうものか、一番よく知っているのは執事である貴方でしょう? もう少し繊細に物事を進める気はないのかしら」
「繊細に、とは?」
「彼女は強いひとよ。今回のことも、爵位と領土を守る為だって自分を納得させようと必死に考えてる。そんなお嬢様を最後まできちんと支えるのが、お守り役の貴方の勤めじゃないかしら?」
レベッカの言葉は、ギリギリのところで使用人としての本分を弁えた領域に踏みとどまった。
本当は彼女がそれ以上の意味を言外に含ませていることは、マスタングとて莫迦ではないのだから十分すぎる程に察することは出来る。
きっと、本来ならそれは秘めた想いを抱えた彼にとって喜ぶべき事なのだろう。
だがしかし。
「だが、そうだとして私にも出来る事と出来ない事がある」
それ以上の意味もそれ以下の意味も持たぬ、それ故に残酷なまでに誠実な男の言葉に、若い女中は呆れたように口を開いた。
「頭、固いわね」
「期待させて裏切るなら、最初から突き放した方がお嬢様の為だ」
レベッカは話にならないと、両手を広げた。
「これだから、もてる男は話にならないわ」
「そうではないだろう? 一介の使用人としてのけじめだ」
レベッカの言葉を否定することなくやんわり訂正すると、マスタングはほろ苦く笑った。
「彼女は我らが主のお嬢様、我々は使用人。この天と地ほどの隔たりを、君はきちんと知っている筈だ」
「分かってても、言わなくちゃならないこともあるわ。だって」
「言わなければ丸く収まることの方が、世の中には多いのだよ」
半ば自棄のようなレベッカの言葉を途中で奪い、マスタングは強引に結論を急いだ。
これ以上、お節介で気の利く女中頭の介入を避けるため、マスタングは彼女の返答を待たず踵を返す。
それは優秀な執事としての、無意識の危機回避の行動とも言えた。
そう、彼が自分自身を制御できなくなるリスクを避けるための。
「君もきちんとお嬢様とは一線を画したまえ。使用人とお嬢様は、友人ではない」
「分かっているわ、そのくらい!」
怒ったようなレベッカの声が、彼の背中を追う。
その分をきちんと弁えている筈のレベッカを、ここまで動かした状況にマスタングは頭を抱え、ますます不機嫌になる顔を隠そうともせず、巡回のルートを屋外へと変更した。
 
闇は彼の抱えた葛藤も哀しみも全てを優しく包み、執事としてではなく男としての感情を露わにした彼を誰にも見られぬよう隠してくれた。
マスタングはその闇に甘え朧な灯火の元深い溜息を一つこぼすと、己の執事としての本分を全うするべく、屋敷の見回りを続けるのだった。
そんな真面目すぎる男を見つめる視線が一対、カーテンの陰に揺れていることに、彼は全く気付かないでいる。
 
 To be Continued...