carmine

スリーコールを待たずに出た電話の向こうに、聞き慣れた声が響いた。
「どうも。ご贔屓の花屋ですが」
リザは、一瞬、何も聞かずにふざけた電話を切ろうかと考えた。
些細な言い争いに二人が大人げない喧嘩別れをしたのは、ほんの三〇分ほど前のことであった。
彼女の腹立ちは未だ収まっていないし、彼の方も恐らく似たようなものであるであろう。
それでも、どんな形でも電話をかけてきた男の心境を考えた彼女は、感情に任せた行為が後に招くであろう後悔に思い至り、そのまま受話器を耳に当てて男の出方を待つことを選んだ。
僅かな沈黙が受話器の中に満ちた。
きっと電話の向こうの男も、彼女が話を聞かずに電話を切る可能性を考慮に入れていたのだろう。
二呼吸分の間をおいてから、電話の向こうの男は僅かな疲れを滲ませた声で言った。
「花束のお届けをさせてもらいたいのですが」
遠回しの休戦の申し出に、リザはホッとしている自分がいることを自覚する。

彼との喧嘩の原因など、いつも些細なことなのだ。
本当に大切な問題であるならば、命を預けあった彼らはとことんまで話し合う覚悟も想いも持っている。
そんな二人の間に生じる諍いは、結局のところ互いに対する甘えから生じるものに過ぎない。
このくらい、見逃してくれてもいいだろう。
このくらい、受け入れてくれてもいいだろう。
慣れ親しんだ相手だからこその甘えが生む亀裂は、些細だからこそすぐに解決しなければならないものであった。
だが、折れることを由とせぬ意地っ張り二人にとって、それは時に難しい問題になってしまうこともある。
そんな時、彼らは莫迦莫迦しくも生真面目な小芝居を打つのだ。
昔、彼らが危急の際に演じた架空の人物の名を借りて。

届け物を言付かった花屋を装う男に対し、リザもまた普段より一オクターブ高い作り声で受話器に向かった。
「あら、お花屋さん? ごきげんよう。ところで、そのお花の送り主は何方?」
彼女が作った声音に、相手の方も彼女が夜の女を演じ始めたことを悟ったようであった。
電話の向こうでガサガサと紙を開く細かい演技を入れながら、男は低い声で歌い上げるように言う。
ロイ・マスタング氏より、エリザベス嬢へ」
「あら、ロイさんね。何かメッセージはあるかしら?」
普段は絶対に出すことのない甘ったるい声を出すことで、リザはエリザベスという名の夜の女を演じながら、喧嘩をして帰ってしまった男からの返事を待った。
彼が折れてくれるのだろうか、それとも自分が折れなければならないのだろうか。
彼の出方を窺うリザの耳に、“エリザベス”に向けた“ロイ・マスタング”からのメッセージが流し込まれる。
「『私が悪かった。君の考えは尊重する。だから、君も譲歩できるところは譲歩してくれないだろうか』とのことです」
ストレートな謝罪の言葉を、遠回りな演技で伝えてくる男にリザは苦笑する。
こういう時の彼はとても潔い。
潔すぎて、返事に困ってしまうではないか。
リザは甲高い声音を保ったまま、受話器に向かって囁くように言葉を落とす。
「ごめんなさい、お花屋さん。私、そのお花とカードは受け取れないわ」
彼女の言葉に、受話器の向こうに明らかな落胆の吐息がこぼされた。
分かりやすい男の反応にリザは小さな笑みを噛み殺し、言葉を続ける。
「ねぇ、お花屋さん。お手数なのだけれど、その花束をロイさんに突き返して、こう伝えてくださるかしら? 『お花屋さんに任せないで、ご自身でその花束を持っていらしゃったら、お話を聞いてさしあげてもよろしくてよ』と」
高飛車な夜の女の言い様に、受話器の向こうで苦笑が聞こえた。
彼女が電話越しの演技ではなく、きちんと顔を合わせての話し合いを望んでいることを、彼はきちんとくみ取ってくれたようだ。
安堵を含んだ声が、彼女の耳をくすぐった。
「承りました、ミス・エリザベス。必ずマスタング氏に、そのようにお伝えいたしましょう」
「よろしくお願いするわ」
リザはそう言ってから、思い出したように言い足す。
「そうそう。私、今夜はもう出かける予定はないから、早めにお返事をいただけないと眠ってしまうかもしれなくてよ」
彼を急かす女の傍若無人さに、ロイは微かに笑った。
「では、早急に」
「よろしくね、お花屋さん」
「では、今後ともご贔屓に」
カチャリ。
男の柔らかな声を最後まで聞き終えてから、リザはそっと受話器を置いた。

受話器を置いたリザは微かな笑みを浮かべ、或る予感を持って表通りに面した窓のカーテンを開けた。
そっと通りを見下ろすと、彼女の予測通り、表通りの角の電話ボックスの中で電話機の上に肘をつく黒髪の男と目があった。
少しきまりの悪そうな笑みを浮かべる男は、抱えた深紅の薔薇の花束を所在なげにひらひらと彼女に向けて振ってみせる。
リザはクスリと笑って窓を開け放ち、彼を迎える準備があることを伝えた。

この地域で一番偉い男が、彼女の為に花屋になる夜がここにはある。
だから、彼女は今だけは副官の顔を崩し、女の顔で彼を迎え入れるのだ。
きっと、“エリザベス”が彼女の手助けをしてくれることだろう。
二人の夜の仕切り直しをする為に。

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【あとがきのようなもの】
 613! ロイさんの日ですよ!
 准将閣下と副官さんかしら。エリザベスちゃんとロイさん妄想も、大好きッス!
 さて、夏コミ受かりましたので、オン更新はまた少しお休みになりそうです。ちょっと頑張ってきまーす!

 お気に召しましたなら。

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