give over

「大佐が負傷!? 何があったの?」
「何があったって、いつもの通りッスよ。まーた、あの人最前線まで出て来ちまって」
通信機越しのハボックの報告は少し間延びしていて、ロイの怪我が大したものではないであろうことを言外にリザに告げていた。
それでも報告が必要な怪我であるのだから、ある程度の治療や休養が必要であるのだろう。
リザはそう判断すると上官の暴走に巻き込まれたであろう可哀想な部下への叱責を後回しにし、事件の報告の続きを促した。
「それで? 事件はきちんと解決したんでしょうね」
「勿論ス。犯人は全員きっちり逮捕して、憲兵に引き渡してあります。こっちの被害は腰抜かした新兵を庇った大佐の負傷のみッス。もうほんと、すんません。突入部隊の指揮で俺がちょっと目を離したばっかりに」
「仕方ないわ、大佐ですもの」
リザは溜め息を隠し、眉間の皺を指先で押さえた。
いくら部下が言っても聞かないのが、あの男だ。
ハボックを責めても仕方ない。
そう思考を切り替えて、彼女はハボックをなじりたい気持ちを抑え本題に入った。
「それで大佐の容態は?」
「ちょっと弾丸かすって左腕の肉抉ってますけど、命と行動に支障は無さそうッス。また無茶されると困るんで、とりあえず応急処置だけして救護車放り込んで病院送ったッス」
物騒な内容をさらりと言うハボックに、リザは更に深くなる眉間の皺を指先で強く押さえた。
どう考えても大したことない、とは言えない状況だ。
何を呑気にしているのだろう、この部下は。
いや、それより話を進めなくては。
リザは声のトーンを落として、話を進める。
「良い判断だと思うわ、少尉」
「サンキュー、マム」
「作戦の後始末は頼むわよ。あと、報告書も。明日の昼までに必ず」
「イエス、マム。必ず!」
リザは部下にお灸を据える代わりに、事件の後始末を丸投げにすることにした。
ハボックの方でもそれが分かっているのだろう。
怖い副官に叱られずに済んで、彼の声は明らかに緩んだ。
そんな部下の声にリザは今度こそ溜め息を返すと、ロイが運ばれた病院を確認しそこで通信を切った。
まったく。
自分が午後からの出勤だったとは言え、呼び出しをかけてくれれば良かったものを。
怖い副官がいなければ、あの男どもは事件のたびにこうだ。
しかも、今回は飛び抜けて酷い。
リザは通信機を置くのもそこそこに、外套を手に取った。
そして、もう一人、彼女のお小言を覚悟しているであろう男が待つ病院へと向かったのだった。

     §

辿り着いた軍用病院の受付でロイの名を告げれば、無愛想な事務員が待合室の一角を指さした。
不審に思いながらそちらに顔を向ければ、よそ行きの笑顔で彼女に手を振る上官の姿がリザの目に入る。
おそらく彼女が迎えに飛んでくると踏んで、治療が終わっても彼は帰らずにここで副官を待っていたのだろう。
軍服の上衣を脱いでワイシャツ姿で腕に包帯を巻いた姿は彼女が思っていたよりも痛々しく、リザは受付嬢への礼もそこそこにロイの元へと駆け寄った。
「大佐!」
「ああ、お迎えご苦労だった。わざわざ君に来てもらう程のことはなかったのだがね」
そう言って、ロイは何でもないように左腕を振ってみせる。
だが、腕の可動域が通常とは異なっていることは誰の目にも明らかだった。
とりあえずまだ麻酔が効いていて、動かしても痛みを誤魔化していられるだけなのだろう。
明らかに彼女に叱られることを先延ばしにしようとしている男の姿に、リザは今日何度目か分からない溜め息をこぼす。
リザは病院という場所柄を弁え、静かに冷たい声で彼に言った。
「上官が腕の肉を抉って病院に運ばれたと聞いた副官が、治療の終わった上官をお迎えに上がるのは当然のことと思いますが」
「ハボックのヤツが大袈裟に言っただけだ」
「それだけの包帯が必要になる自体が、ですか?」
「君の手を煩わせる程のことは」
「その腕で運転が出来るとでも?」
「いや、それはその、だな」
「麻酔が切れたら、どうなさるおつもりですか?」
「うん、まぁ、それもその、だな」
歯切れの悪いロイの返事に、リザは静かな怒りを覗かせる。
「麻酔が切れたら、代わりに塩でもすり込んでさしあげましょうか」
「ああ、それは勘弁してくれ」
如何にもな嫌がらせをリザが口にすると、ロイは早々に完全降伏の体でリザの前に白旗を掲げた。
「とりあえず、弁解があるのでしたら車の中で聞いてさし上げます」
情状酌量の余地を残してくれるとありがたいのだがね」
これ以上の病院での言い争いを避ける為のリザの提案に、ロイはそう言って頷いてみせた。
リザは返事をせずに、ロイの先に立って歩きだす。
そんな彼女の背中にロイの声が届く。
「君、あの新兵がどうなったか聞いているか?」
「いいえ。私が受けた報告は『怪我人は大佐のみ』ということだけです」
少しだけ遠回しなリザの返事に、明らかに背後のロイの緊張が緩んだ。
「そうか」
ホッとした口調のロイの言葉の後に、声にならないうめき声が彼女の背中に響く。
きっと彼女の後ろで安心した彼は傷に障り、顰め面でもしているのだろう。
本当に、いつだって自分のことより他人のことばかりだ。
彼女はそう考える自分の口元が微かに綻んでいることに気付く。
いけない。
リザは表情を引き締めると、車を回す為に振り向かず歩いて行った。

     §

「で、中尉」
「何でしょう。大佐」
「どうして何も言わんのかね」
車に乗り込んで数分。
沈黙に耐えかねたらしいロイが、先に口を開いた。
怪我をしたこと、最前線に出たことにまた文句を言われるだろうと思っていたのに、彼女が何も言わないことが、逆に恐ろしくなったのだろう。
ルームミラー越しに見るロイの困った表情にリザは内心で苦笑し、わざと取り付く島もない返事をした。
「弁解があるのなら聞いてあげますと申し上げた筈です。大佐からお話があるのでしたらお伺い致しますが、私から申し上げることは何も」
そう、本当は彼の無茶無謀を叱る為に彼女は幾千の言葉を用意してきたのだ。
だが、さっきの新兵の安否を尋ねる彼の言葉に、彼女はその叱責の言葉の行き場を無くしてしまった。
そんな彼女の内心を知らず、ロイはルームミラー越しに彼女の視線を掴まえる。
「怖いな」
ロイはそう言って後部座席で笑った。
「私は君に呆れられたと言うことか」
「諦めた、と言った方が正しいかと」
リザがわざと大きな溜め息をつくと、ロイはミラーの中で静かに笑った。
「私が悪かった。だが後悔はしていない」
確信犯の笑みが、ルームミラーの中に満ちた。
「分かっています」
リザは予測された答えに憮然として返事をし、視線をミラーの中のロイから逸らした。

部下を見捨てられないのがこの男の良いところでもあり、悪いところでもある。
彼は大佐であり指揮官なのだから、部下が彼の盾になってもおかしくない。
なのに、彼はわざわざ末端の部下の為に本来なら負うはずのない負傷さえ躊躇わない。
彼女はロイが怪我をすることに怒るけれど、きっと彼が部下を見捨てるようなことがあったら酷くがっかりすることだろう。
自分の中の相反するこの感情を、彼女は言葉にする術を知らない。
困り者であるのは、ロイだけでなく彼女自身もなのだ。
だから、彼女は彼にただこう言うしかないのだ。

リザは己の思考の中から、再びロイへと視線を戻す。
「死なないで下さいね」
「分かっているよ」
もう幾度繰り返されたか分からない、彼等の原点の言葉にロイは幸福な笑みを浮かべる。
きっと、こうして自分はずっと彼を許してしまうのだろう。
リザは自分に対する諦めの笑みを浮かべると、ハンドルを彼の自宅に向けて切ったのだった。

 Fin.

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ロイの日。間に合った!
大佐って、結局こういう人だから好きなんだと思います。
 

お気に召しましたなら。

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