Dawn purple 番外

「よぅ、早いな。ロイ」
「何か用か? ヒューズ」
瓦礫に腰掛けた黒髪の男は声の方を振り向くことなく、遠く大地を遠く眺めていた。
夜明け前の荒野に吹き荒ぶ風に起こされ野営地をさまよっていたヒューズは、偶然見つけた悪友の背中に向かって近付きながら、再び彼に声をかけた。
「歩哨代わりか?」
「少佐相当官に、そんな仕事までまわされてたまるか」
「まぁ、士官学校生まで引っ張りだされてるのが、ここの現状だ。あり得ない話じゃないだろう」
「朝から理屈の多い男だな、お前も」
ヒューズは愛想のないロイの応対に気を悪くする風もなく、傍らの石くれの塊の上に自分も腰を下ろし、悪友の眺める方向に目線を向けた。
「なにしてる?」
「何も」
「なに見てる?」
「何も」
ヒューズは会話にならない会話に苦笑すると、眼下に広がる景色に目を眇めた。

確かにそこには、何もなかった。
破壊され尽くした『過去に街であったもの』の残骸以外は、何も。

夜明け直前の黎明の頃であるとはいえ、そこには動く者の影ひとつもなく、静寂と砂埃が立ちこめる土塊の上には瓦礫が散乱し、地面には人が幾人も埋められそうなクレーターが作られていた。
地平線は薄く白み始め、夜明けの訪れを彼らに告げている。
イーストシティにいたならば、気の早い家の煙突からは炊事の煙が上がり、朝の早い新聞配達や町工場の職人たちが街路にまばらに姿を見せ、人の営みが始まる時間帯だ。
だが、ここイシュヴァールの夜明けは、闇が死の翼を広げたまま永遠に明けぬ夜の世界を作り上げていた。

感傷的な己の思考に、ヒューズはふと偽悪的な笑みを浮かべた。
否、この世界は夜の産物ではない。
この死の世界を作り上げたのは、紛れもない己のこの手だった。
ヒューズは寝起きに突きつけられる反吐の出そうな現実から視線を逸らし、ロイの横顔に目線を移した。
眉間に分かりやすいほどに縦皺を入れたロイは、瓦礫の遙か向こうを見ていた。
ヒューズはロイの視線を追って、地平に目を向ける。

地平線の下にその姿を隠しているにも関わらず、既に太陽は空の下端を焼き、黒い夜空はその境界に一筋の白を挟んで深紅に浸食され始めていた。
穏やかさとは程遠い、美しくも恐ろしい赤の風景は色彩の乏しい砂漠を最初に彩る色であった。
夜明けの景色を仇敵のように睨みつけるロイの目の下には、深い隈が刻まれている。
相変わらず難しい顔をしてやがる。
悪友同様に夜明け前に目覚めてしまった自分を棚上げし、そう考えたヒューズは、いつもの軽い口調でロイに問う。
「何も、ってこたぁねぇだろう」
「うるさい」
邪険にそう答えるロイの声は、だがヒューズとの会話を拒否するものではなかった。
だからヒューズは気にせず一方的な会話を続ける。
「何考えてる?」
「何も」
「嘘つけ、聞かれたくないだけだろ」
間髪入れぬヒューズの言葉に、少しの沈黙が生まれた。
返ってきた言葉は、さっきよりは少しは愛想のあるものであった。
「お前な、分かっていて聞くのか」
「ああ」

端的な莫迦莫迦しい会話に、ロイはふっと口元を緩めた。
お節介な親友に根負けした男は、遠い空を見上げたままぽつりと言った。
「朝が来ると思って、空を見ていた」
「それくらいは、俺にも何となく察しはついてた」
人を食ったヒューズの言葉を無視し、ロイは雲一つない空を憎むように眉間に皺を刻む。
「また今日も晴れるのだ、と」
「ああ。イシュヴァールはアメストリス国内でも、極端に降雨量の少ない地域だからな」
そこまで話が進んだところでヒューズは、眼下に広がる瓦礫の景色と夜明け前の空を見据えるロイのきつい眼差しの意味を悟る。

乾燥した気候。
降らぬ雨。
類焼する心配のある森林もない砂礫の大地。

焔の錬金術師が活躍するのにこれほど都合のいい環境は、国内のどこを探してもここ以外には存在しないだろう。
新任の少佐相当官が出世を狙って、武勲を上げ放題に上げるには絶好の環境だ。
それなのに、この青臭い男は莫迦みたいに浮かない顔をしている。
戦争を割り切ることの出来ぬロイの思考をトレースし、ヒューズは何と話を繋いだものか考え込み、深紅に染まっていく夜明けの空を見つめた。

砂漠のプリズムは、遠く地の果てに存在する。
気の遠くなるような遙か地平線の向こうから届く可視光は、恐るべき距離に細切れに分解され、瀕死の赤の波長だけを地表へと到達させる。
夜の黒はゆるゆると鮮血のような朱に染めあげられ、急激な温度変化に大気の屈折率がそこかしこで狂い、揺れる陽炎に空が歪む。
全ての色彩の温度が上がる、その瞬間。
この男は、今日も自分が人殺しの道具になる運命を受け入れるのだ。
乾いた大気は焔を生むには申し分なく、雨の気配すら感じさせぬ空は男を有能な殺戮器官に仕立てあげてくれる。
それが、砂漠の夜明け。
ロイが見る、血の降る大地の原風景であった。

ヒューズは目の前の赤と黒の極端なコントラストから、矢の様に放たれる朝一番の光を避けるように手をかざす。
と、太陽の光に視界を焼かれたヒューズの耳に、不意にぼそりと低いロイの声が響いた。
「私はここに来るまで、夜明けがこれ程までに紅いものだとは知らなかった」
「ああ」
賛同の意味にも、ただの相槌にも取れる曖昧なヒューズの返事を気にする風もなく、ロイは淡々と言葉を続ける。
錬金術の研究で徹夜で夜明かしをした時に窓から見た夜明けも、新年の区切りに見た夜明けの景色も、私の知る夜明けは美しい青を基調にしていた」
ロイの話の意図が掴めず、ヒューズは彼の言葉にただロイの言葉の続きを待つ。

眩しげに目を細めるロイは、過去をのぞき込むように少しずつ夜と昼の境界を曖昧にし始める空の青を見つめ、夢を覗き込むように眼差しを切なく歪める。
そしてロイは記憶の奥底に仕舞い込んだ宝物を取り出すように、ぽつりと言った。
「一度だけ見たこの世のものとも思えぬ美しい夜明けも、やはり青い夜明けだった。一年が始まる瞬間に、世界中の青をすべて集めて夜空にグラデーションで敷き詰めたような、恐ろしいほどに美しい世界だった。湖面に逆さに映った景色が、世界を現実より更に美しく見せて、私はそこに在るもの全てをこの手で守りたいと思ったのだよ」
そう言って、ギラギラと世界を焼く太陽の光に照らされながら、ロイは静かに壮絶に笑った。
己を焼くような笑みを浮かべ、ロイは己の言葉を締め括る。
「その結果がこれだ」
ロイの眼差しはすっかり明けきった空から、照らし出される瓦礫の山へと移動していた。
ヒューズは黙って、ロイと同じものをただ見つめた。

士官学校で、入隊式で、晴れがましい思いでこの青い軍服に袖を通した時、彼らはそれが自国民の血で染まる日が来ることなど夢にも考えはしなかった。
この手が、この銃が、何の為に存在するか分からなくなる日が来るなんて、考えもしなかった。
この深紅の太陽の下、彼らは一体何を守って戦っているというのか。
ロイの夢見る青い世界は、この世の何処に消えてしまったというのか。

砂漠の太陽に焼かれる男二人は、起床のラッパの音を聞きながら自分たちの生んだ景色を見下ろす。
あちこちで人の気配が動き出し、朝を迎えた野営地は一気に慌ただしくなっていく。
一日の始まる気配に、ロイは何かを断ち切るように日除けのフードを被ると、さっと立ち上がった。
ヒューズを振り向いた彼はフードで眼差しを隠し、微かな自嘲を唇に浮かべた。
「さて、今からは私の手が空を赤く染める時間だ」
ヒューズは、そんなロイにかける言葉を見つけることが出来なかった。
だから、ただ当たり前の言葉でヒューズはロイを送る。
「死ぬなよ」
「お前もな」
ガツリと拳を突き合わせ、ヒューズはロイと別れる。
むなしさを振り切り、男たちは太陽に背を向けた。

そんな彼らの鼓膜を打つように、早朝だというのに見張りの塔からは今日も正確無比の銃声が響く。
朱に染まった空の下、地面を赤く染める『鷹の目』の銃弾が今日もまた一日の始まりを告げていた。

Fin.

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【後書きのようなもの】
 Dawn purpleの1と2の間のお話ですが、ちょっと毛色が違うので番外編扱いにさせていただきました。
 予想外に続いたDawn purpleシリーズも、これで終わりになると思います。流石にネタ切れです、長のお付き合い、ありがとうございました。

 今年もぼちぼち更新ですが、どうぞお付き合いの程よろしくお願いいたします。

 お気に召しましたなら。

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