frosty gray

定刻を半時遅れて出発した列車は、漆黒の夜の中を静かに滑っていく。
ロイは汽車が出発してからずっと、車窓の風景を眺めていた。
彼の副官に少しの無理を押し通し、初めて乗った砂漠の汽車の旅はまるで夢の中を走っているようだった。
夜の砂漠は仄かな月明かりに白く浮かび上がり、夜半の風が砂に描く風紋は幻想的で、彼は飽きることなく夜の海原のような白い景色を眺め続ける。
時折車体が揺れるのは、風に吹き寄せられ線路に積もった砂のせいだろう。
砂漠を走る汽車は、どうしたって砂の影響を受けざるを得ない。
防砂対策を抜本的に考える必要があるな。
また仕事のことに戻ってしまう己の思考を笑い、ロイは新しく開通したシン国とアメストリスを結ぶ鉄道に揺られている。

シンとの鉄道交易を始めるにあたって、一時は砂に埋もれていたこの鉄道を掘り起こすのに、彼らは三年の歳月を費やした。
自然との戦いは厳しく、幾度も頓挫しそうになった計画を何とか軌道に乗せ、開いた路線は彼らの希望を乗せ走り出した。
運行には様々な問題がつきまとったが、砂漠を越える者たちは一様に安価に安全に砂漠を越えるルートが確保されたことを喜んだ。
先人の作ったものを再構築し直しただけとは言え、自分の行った政策が目に見える形で実を結んだことは喜ばしく、ロイは以前から一度この汽車に乗りたいと密かに考えていた。
しかし、国境を越える汽車に乗る旅に出るには彼は忙しすぎたし、お忍びで出掛けるにしても彼の地位は高くなりすぎていた。
自分が開通した汽車に乗りたい。
まるで子供のような彼の願いは、この日ようやく叶えられたのだった。

この日のロイの仕事は、シンの外務大臣との会談であった。
大仰な外交団を率いた堅苦しい数日を終えた彼は、張り詰めていた気を解き純粋に汽車の旅を楽しんでいた。
護衛に守られたコンパートメントでは、くつろぐにも限度はあるが、それでも異国での腹のさぐり合いを無事に終えた重圧から解放された安堵は計りしれぬものであった。
基本的に彼自身は、己は政治家には向いていないと思っている。
感情が表に出やすく熱くなりやすい己を殺して、ポーカーフェイスと冷静さを保たねばならない。
政治家の仮面を被るのにもそろそろ慣れてはきたが、それでも疲れることに変わりはない。
彼女のようなクールさが、私にも必要か。
ロイは苦笑しながら、コンパートメントの向かいで目を閉じているリザの白い頬に視線を移した。
長い異国での外交業務に疲れたのだろう、珍しく彼女はロイの前でうたた寝をしていた。
窓から差し込む月光に、長いまつげが頬の上に淡いグレイの影を落としている。
相変わらず、無理をさせすぎか。
そう思いながらも、それから彼女を解放できるわけもない自分を笑い、ロイは視線を彼女の手元に落とす。
先程まで律儀に仕事の続きに手を付けていたリザは、貸し切った列車の伝票やシン国での護衛の配置図など握りしめたままだ。
まったく真面目なことだ。
苦く笑って、ロイはすっと伝票の一枚を彼女の手から抜き取った。

ロイの望みを叶える為、リザは汽車の通常の業務に差し支えの少ない最終便の列車を手配し、様々な面倒な手続きを文句も言わずにこなしてくれた。
僅か数時間の、ロイのささやかな我が儘を叶える為に。
伝票には汽車の運行会社との契約が記されていた。
乗員数や貸し切りの条件、その他諸々の細かな記載事項の最上段にロイは目を留める。

出発点、シン国中央駅。
終着点、イシュヴァール。

彼の成し遂げた仕事の一つが、文字として紙の上に印字されている。
これが今回の旅の切符かと思うと少し味気ない気もしたが、ロイは子供染みた自分の感想を伏せた。
形がどうあろうと、彼が今こうして夜汽車に揺られているのは、この一片の紙切れのおかげなのだから。
ロイは、リザの手の中に切符代わりの伝票を戻した。
全く起きる気配のない彼女の手の中の、出発点と終着点の都市名を見ている内に、ロイはそう言えば彼女を己の副官にしてから、出張の時は常に彼女に切符の管理を任せてきた自分を思い出す。
彼が把握していなくとも、彼女はきちんと彼の出張先や旅の目的地を知っていた。
彼が道中どんな居眠りをしていても、彼女は必ず目的地で彼を起こし、さっさと改札の手続きを終わらせていた。
今日のように彼女の方が眠り込んでしまう事は、珍しいのだ。
それが副官の仕事として当然の事であるとは言え、自分が十年以上の長きに渡り、彼女に己の行き先を任せてきたことを彼は感慨深く思う。

そして、それは逆に考えるならば、常に彼の行く先には彼女が同道していたことを意味していた。
この十年、彼の肩の星の数とラインがどれだけ増えようと、彼の赴任先がどこになろうと、彼がどんな政策を掲げようと、彼女は何も言わずに彼の後をついて来ていた。
命懸けで渡り切らねばならぬ危機もあったし、二人の絆を試されるようなこともあった。
だが、何があろうと彼女はその人生の片道切符を彼に預けてくれていたのだ。
きっとその切符の出発点には、イシュヴァールという地名がついているのだろう。
では、終着点はどこに?
それは、未だ彼にすら分からない。
それでも、その道が彼らの未来をこの月明かり程度には照らしてくれるものであることを彼は祈る。

二人揺られるコンパートメントを月が照らす。
その淡い光が踏み外せぬ彼らの道を何処までも照らしてくれる事を祈り、ロイは深夜の月に手を翳した。
月光は何も答えず、ただ彼の上に冷たい光が降り注ぐ。
己の感傷を笑う男は翳した手をぐっと握り締め、月の光を捕まえた。
月光を捕まえた指先で、ロイはすっとリザの頬を撫でる。
労いの想いを込めて。
誓いの想いを込めて。
明日からはまた激務が二人を待っている。
それまでの一時の休息を求め、ロイは再び車窓から飽きず夜の砂漠を眺め続ける。

     §

彼女との約束を叶える為にロイが動かした砂漠の汽車は、カタカタといつ果てるとも知れぬ砂の海を進んでいく。
二人分の人生の切符を握ったロイと二人分の乗車券を握ったリザを乗せ、まるで彼らの前に新しい道を開くように、真っ直ぐに夜を切り裂きながら。
闇の中に隠された美しい夜明けを目指し、二人は真っ直ぐに進んでいく。

Fin.

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【後書きのような物】
 昨夜の140字SSSが、どう見てもただのプロットの断片に見えて仕方なかったので、きちんと書いてみました。設定的には、ロイが少将以上にはなってそうなくらい。新刊の後日譚があるなら、こんなのかもしれないかなと思いながら。今あまり暗いものを書く気分でないので、「Forget me not」はまた日を改めて。
 会話もない、肩書きもない、でもいつものロイとリザの物語。こういうのも良いかなと。

お気に召しましたなら。

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