overtime work

ロイが彼女のその習慣を知ったのは、ほんの偶然の事だった。

彼らの管轄内で起こったテロ事件が、解決の糸口を掴めぬまま膠着状態に陥ったのは二日前のことだった。
立てこもった犯人達の要求を飲むことなどできぬ軍内部では、早期の解決を目指して強行突入作戦の為の会議が開かれていた。
テロリスト達のおかげで帰宅もままならぬ男達は、血走った目で不毛な議論を交わしている。
強行派も慎重派も好き勝手にぎゃんぎゃん対立しあう中、ロイは作戦の立案に寝不足の頭をしぼっていた。
まとまらない意見をまとめ、部下達の被害が最も少なくて済むよう堅実な作戦をまとめあげた時点でロイの疲労はピークに達していた。

作戦の詳細さえ詰めてしまえば、後の準備やある程度の連絡は部下達に任せておけばいい。
とりあえず、数時間でもいいから仮眠をとって、明日の早朝の作戦に備えなければ。
ロイはそう考えながら、重い足を引きずって執務室の扉を開けた。
「お疲れさまでした」
「なんだ、帰っていなかったのか」
ロイの素っ気ない返事に気を悪くする風もなく、リザは机上の道具を脇に避け立ち上がった。
「大佐が真面目に働いていらっしゃるのに、副官がサボっているわけには参りません」
「どうせ、明日は盛大に駆り出されるんだ。今のうちに休んでおけば良かったものを」
「どうせ帰る暇はありませんでしょう?」
「何故知っている?」
「作戦の概要に関しては、既にハボック少尉から連絡がありました」
あまりの睡魔にしょぼしょぼする目頭を押さえ、ロイは彼女への説明の手間が省けたことにホッとする。
このままでは、喋っている間に眠ってしまいそうだった。
「ああ、それなら話が早い。朝から二人ともこき使うから、覚悟しておきたまえ」
「何を今更」
偽悪的なロイの言葉に、リザは笑って彼のためにお茶を淹れ始める。
「仮眠をとられる前に、体を温めて行ってください。休まりますから」
「すまない」
そう言いながら、ロイは彼女が机上に置いていた道具に目を留めた。

「暇つぶしに、爪の手入れかね?」
目の細かい紙ヤスリを手に取り、しげしげと眺めるロイに彼女は意外な答えを返してきた。
「いえ。明日の準備を」
「?」
リザの言葉の意味を図りかねるロイに、彼女は困ったように笑って言った。
「指先の感覚を鋭敏にするために、指先をヤスリで削っていたのです。明日はこき使われるそうですから」
ぎしりと音を立てて自分のデスクについた彼は、自分の方に歩み寄ってくる彼女を見上げた。
彼に向かってお茶の入ったカップを差し出したリザは、彼から紙やすりを受け取ると、ついでのように、彼の目の前に自分の右手を差し出してみせた。
彼女の右手の引き金を引く指は、うっすらと薄紅に染まり指紋が消えている。
「どんな僅かな反応も逃さない為に、スナイパーなら行っている者は少なくないと思います」
「痛くはないのか?」
「触るとピリピリする程度です」
「ふむ。では、熱いカップなど触っている場合ではないだろう」
「触れないようにすることは出来ますから」

ロイは彼女の説明に頷くと、手渡されたカップを脇に置き、彼女の手を取るとその指先を至近から眺めた。
ほんのりと紅く色づいた指先を眺め、ロイはぼんやりと思う。
彼女の任務は、こんな痛みさえも彼女に強いるのか、と。
そう思うと、ロイは衝動的にその指先に口付けた。
リザはびくりとして、怒った顔で彼を見る。
「大佐、いったいどういうおつもりですか!」
ロイは言い訳を探して、適当なことを言う。
「イヤ、きみの敏感な部分にはとりあえず触れておくべきかと」
莫迦ですか!」
「ああ、おそらく」
ああ、やっぱり怒ったか。
そう思いながら、ロイは睡魔に負けて瞼を閉じる。
後はもう知ったこっちゃない。
ロイはグラグラとブラックアウトする思考に巻き込まれ、意識を失った。

     §

「まったく何を考えておいでですか! 明日は、……大佐?」
リザは頭ごなしに自分の上官を叱りつけようとして、彼が自分の話を聞いていない事に気付いた。
ロイは彼女の手を握ったまま、眠っていた。
彼女は唖然として、彼女を振り回すだけ振り回して眠ってしまった男を見つめる。
「大佐? こんなところで眠られては風邪を引かれますよ?」
リザの言葉も耳に届かず、彼は数日ぶりの眠りを貪っていた。
彼の疲労を知っている彼女には、これ以上彼を起こしてまで怒ることは出来なかった。
彼女は溜め息をついて、彼の手の中から自分の手を引っこ抜く。
「まったく!」
文句を言いながら、リザはロイの唇が触れた指先を左手で握りしめる。
ぴりぴりと指先が痺れているのは、単純に触れられた刺激のせいだけでないことを彼女は自覚していた。

優秀なスナイパーである彼女は、その優秀さ故に彼女の上官に撃ち落とされてしまった。
こんなことなら、明日の朝にやすりを使えば良かった。
そう考えながら、リザは眠り込んだ男の頬に敏感な指で触れた。
なにものも逃がさぬ指先の感覚は、ちくりと指先を刺す無精ひげの存在を感じ取る。
部下を帰宅させ、自分は幾日も帰っていないロイの数日がそこに感じられた。
彼の任務は、これ程の無理を彼に強いるのか。
そう考えながら、リザは仮眠室に毛布を取りに行く為に立ち上がった。
僅かな平安が彼の上に暫く留まっていてくれることを願いながら。

Fin.
 
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【後書きのような物】
 とりあえず、原稿に目処がついたので浮上。以心伝心?
 紙やすりで指先を鋭敏にする話は、本当らしいです。

 短いですが、お気に召しましたなら。

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