Twitterノベル05

201.
「胃薬」「机の上です」「水」「胃薬の横です」起き抜けの私の単語の羅列に、端的にして明快な答え。「準備万端だな」「経験上」味も素っ気もない最小限の言葉と、机上に並んだ最大級の気遣いの落差が彼女だなぁと、私は胃痛を忘れて少し笑う。どうやら私の特効薬は、机上ではない場所にあるらしい。
202.
冷えた手を大きな手のひらでサンドイッチ。こういう気障な事を自然にやってしまう人だから、私の心拍数はいつも乱高下。無邪気さすら標準装備。たちが悪過ぎる男に振り回される日々は、まるでジェットコースター。スリルがないと物足りなく思うようになった私は、きっと彼の思うつぼ。
203.
己のコンディションを万全に保つ為、どんな環境でもどんな状況でも眠れるのが、軍人という生き物の筈なのに、彼の隣ではなかなか寝付けないのは何故だろう。答えの解りきった疑問を胸の内に転がしながら、私は彼の腕の中で今夜何度目か分からない寝返りをうつ。彼ひとり、暢気な寝息が口惜しい。
204.
寝返りがひとつ、溜め息がひとつ、彼女の夜の長さを思う。寝たふりで少し、寝不足で少し、己の胸の痛みを隠す。二人でも孤独、一人より孤独、心の闇の深さを覗く。
205.
真っ白な息さえ凍る、チームでの深夜の張り込み。何気無い素振りで、私は飲みかけの熱い缶コーヒーを押し付ける。気にも留めない素振りで、彼女はそれに口を付ける。何もなかった素振りで、皆と共にまた闇を見つめる。色を消した吐息だけが、我々の秘密の証拠。
206.
「まだ、ご機嫌は斜めかね」「あまりよろしくはありませんが」「だが、贈り物は受け取ってくれたのだろう?」「花とチョコレートを贈れば、機嫌が治るとでも?」「いや。しかし唇にチョコレートを付けて怒られても、迫力に欠ける事は確かだね」「!」「君のそういうところ、好きだよ」
207.
頭でっかちの学者肌の彼は、昔からいちいち理屈っぽい。「む、やはり朝のカフェイン摂取は、覚醒を促すのに良いものだな」「素直に『珈琲美味い』って、おっしゃれないんですか?」「……すまん」こういうところで変に素直だから、憎めないのも昔から。長い付き合いを懐かしむ、冬の朝。
208.
「お待たせして申し訳ありません」そう言って二泊三日の出張の待ち合わせ場所に現れた彼女の手には、小さなボストンバッグが一つ握られているきりだった。こういう彼女だから惹かれるのだと思い、荷物の少ない女の潔さに見惚れる己を隠すように、私はただ頷いて彼女の言葉に答えてみせた。
209.
「じっとしていたまえ」そう命じた彼の唇が背のファスナーを引き下ろす。この背の秘密を暴く事もこの肉体を暴く事も彼だけに許された特権だと知る唇が、素肌に触れんばかりの距離で蠢く。既に彼の焔に心まで犯された私は、その唇が私自身に触れ私を支配する時を待ちわびて、全てを隠す闇に身悶えた。
210.
新聞の一面に踊るノンフィクションに見せかけたフィクションを暴くには、あまりに非力な己を知っている。それでも足掻く自分を支えてくれる幾多の手がある事も知っている。最も側近に彼女がいる事が、私にどれ程の力を与えてくれるかも知っている。己の身の程を思うたび知る、その存在の大きさ。
211.
「躊躇うくらいなら、やらない方がマシです」そう言い切った彼女の瞳が、誰にも分からない程微かな不安に揺れていた。私は何も気付かないふりで、彼女の背を押す為に無言で力強く頷いてみせる。何かあったら上官である私が全部引き受けて、責任も何もかも被ってやるから、君は思うまま君の道を行け!
212.
冬の朝の低い太陽が網膜を焼く。「こんな残業は予定外だ」独り言めかした愚痴に答えはない。振り向けば、うたた寝の彼女の姿。今の私に出来る事は己のコートを毛布代わりに貸す程度。朝まで共に過ごすのは仕事の為だけ。縮まらぬ彼女との距離とその無防備な寝顔に、私は雄になりきれぬ己を自嘲する。
213.
「遅れる訳にはまいりません!」そう言って、猛烈な勢いでアクセルを踏み込んだ彼女の操る車は華麗なコーナリングを決める。生真面目だなぁ、そんなに急がなくて構わないのだがなぁと思いながら、私はピンボールの球の如く後部座席で転がった。まぁ、彼女に転がされるなら、掌でも車でも構わんがね。
214.
年が明けようが何だろうが日々のルーチンワークは変わらず、年が明けようが何だろうが彼女の小言も変わらない。変わらないものを数える今年最初のデスクワーク。きっと私のサボり癖も変わらないだろうから、どうか今年は少し手柔らかに頼む。そんな言葉に彼女が浮かべる苦笑も、きっと変わらない。
215.
『花に埋もれて眠るお姫様』はおとぎ話によくあるけれど、『数式に埋もれて眠る王子様』というものはついぞ見た事がない。キスで彼を目覚めさせる勇者にはなり得ぬ私は、せめて束の間の眠りを守る門番になれればと、構築式の描かれた紙を拾う手を止め、仮眠室の薄闇でそっとその寝顔を見つめる。
216.
「どうした? 顔色がよくないようだが」そんな私の言葉に、彼女は怒りと羞恥をない交ぜにした複雑な表情を浮かべる。「急いで口紅を塗り忘れただけです」しまった、ここは気付かぬふりをするべきところか。時々思いがけず遭遇する彼女の女の一面は、少女の様に繊細で娼婦の様に艶かしい。参ったな。
217.
「どうかね? このあと食事でも」そう言った彼が私を連れて行ってくれるのは、指令部の裏にある田舎料理の店。スーツ姿の彼しか知らない女達が決して招待される事のない、彼が大口を開けて笑う店でとる安くてボリュームのある夕食は、私にはどんな高級レストランでのディナーより嬉しいの。内緒よ?
218.
出張帰り、車窓からの景色を眺めていた彼女が、不意に顔を輝かせ私を呼ぶ。手元の本から視線を上げた私の視界を、湖に落ちる美しい夕陽が染め上げる。いつも通過点でしかないリゾート地を眺め、私はそこを目的地にする旅を夢想する。車窓からでなく間近でその景色を見て、彼女が喜ぶ姿を夢想する。
219.
「朝は眠いんだ」「同感です」「デスクワークは嫌いだ」「同感です」「今日はたしなめないのか?」「事実ですから」「だが、働かないわけにはいくまい」「同感です」「書類はためると余計に面倒だ」「同感です」「……働くか」「よろしくお願いします」ああ、今日も彼女に操縦されてしまった……。
220.
添い寝の深夜、不意に彼女に頭を撫でられた。驚いて仰ぎ見れば、どうやら夢うつつの彼女は、私を自分の仔犬と間違えているらしい。いつもと逆転する行為者の立場に苦笑しながらも、その心地好さに私は目を細め、いつもこの幸福を享受する仔犬に莫迦な嫉妬を覚える己にまた苦笑する。
221.
いい加減酔いの回った二度目の乾杯に、私はグラスを二度鳴らす。「同期のキムとイザベラがスコットとサラの新居に行くのに、マーゴットとエリザベスも誘ったそうです。私も行って良いですか?」そう言った私は、飲み干したグラスをトンと音をたてて置く。時には私から誘っても、構いませんか?
222.
彼の中指が机を二度タップする。「構わんが、ウィルとハリーはどうするね。エリザベスから聞いているよ、リザとエリザベスで彼らに射撃の指南をしてやるのだろう?」思わず絶句する私に彼はにこりと微笑むと、グラスをコトリと差し出した。「もう少し酔うといい」貴方に? ワインに? これ以上?
223.
食後の筋トレを始めてはや一時間。互いの負けず嫌いが災いし、我々はトレーニングを切り上げる機会を見失う。「終わるか?」「ギブアップですか?」「君が辛いかと」「私は平気です」腕立て伏せをする腕が互いにガクガクなのも分かっていて、我々はまた疲れた身体に鞭を打つ。莫迦だな、君も私も。
224.
「くそっ、やり過ぎた」「どうしたんッスか?」「ただの筋肉痛だ」そう答えた私の背後で彼女の声がする。「ああ、筋肉痛がひどいわ。嫌になる」「どうされたんですか?」「昨日、少し……ね」顔を見合せて我々の言葉を深読みする部下たちを眺め、私はあまりに健全な真実に腹筋を押さえ苦笑する。
225.
「待つな」と言う人だから、待つのだと思う。「待つな」と言いながら待たせてくれる人だから、待つのだと思う。そして本当に危急の際は決して待つ事を許してくれない人だと知っているから、だから、今、私は彼を信じてここで待つ。黎明の光を待つように、ここで彼を待つ。
226.
当たり前に過ごす日常が本当は脆くて儚い事を、我々は知っている。「また明日」という言葉が永訣の言葉になってしまう日々を、我々は知っている。だから、別れる時は必ず笑顔で。これが最後でも悔いのないように。それが我々のルール。とても簡単でとても難しい二人の約束。
227.
乾燥した冬の口づけは、痛みが走る程に刺激的。静電気に困り果てる彼女を捕まえて手袋を外したら、その手をとってアースを確保。青白い火花を指先に逃がしたら、別の意味で刺激的なキスをしよう。
228.
彼女という名の地図をたどる。滑らかな肌に刻まれた傷。砂漠での再会の傷痕。地下回廊での死闘の傷痕。我々の歴史を刻む彼女の身体があまりに愛しくて、私の手は彼女の柔らかなだけではない肌をたどり続ける。
229.
「女に関してはほんと、百戦錬磨って人だから敵う気がしないわ」「いいじゃない、百戦錬磨の女って可愛げないし」「でも、悔しいじゃない」「きっと向こうだって『君には敵わない』とか思ってんだから、お互い様よ」「え! 彼がそう言った事、何で貴女が知ってるの?」「あ〜、はいはい。ご馳走様」
230.
「ああ、クソッ。私にどうしろと言うんだ!」「何振り回されてんだよ、この色男」「まったく。天然が一番たちが悪い」「お前、本命にだけは弱いの、昔からホント変わらねーな」「因みに本命の相手も変わっていないぞ」「惚気か? 鬱陶しいな」「お前に言われたくない!」
231.
「死んでしまった人には、勝てないわ」それは真実であると同時に、ただの言い訳。この言葉で、この身体で、この想いで、彼を揺すぶるのは、生きている私。灰は灰に。塵は塵に。死者は墓に。彼は未来に。覚悟なさい、生きている人間が一番強いのよ。
232.
ふと目覚めてしまったシーツの中で、自分以外の人間がいる気配に安堵する、午前4時。広い背中がこちらを向いてくれているから、少しだけ寄り添ってみる、午前4時。夜と朝の隙間に落下した私の、彼には内緒の甘えの発露。 午前4時、もう一眠りしたら隠してしまう私の秘密
233.
「押し付けられたとは言え、たまには前衛芸術というのも乙だな」「そうですか?」「嘘だ。数式の羅列の方が余程美しく見える」「それも変ですよ」「……。む。この作品、鋼のを引き延ばしてぐるぐる巻いたようだな」「私にはチェリーパイをぶつけた馬に見えます」「……斬新だな」「お互い様です」
234.
硝子に映る彼女の笑顔をそっと見つめる。私が振り向いたらきっと隠されてしまう儚い笑顔を、硝子越しにただ見つめる。手の届かぬ虚像でも構わないと、私は密かにその美しい笑みを見つめる。
235.
戯れにとった指先の冷たさに驚く。了承を得なかったから彼女は何やら抗議しているが、構わず己の懐に突っ込んだ。今の私が君に分け与えることが出来るものなんて、こんな指先を溶かす程度の温もりしかないのだから、好きにさせたまえ。今日、一つ目の命令だ。
236.
シュレーディンガーの猫とは、箱を開けるまで生きた猫と死んだ猫が同時に存在するパラドックスなんだ」「何のお話ですか?」「さぁ?」私は微笑み、視線を本に戻す。彼らがその想いの蓋を開けるまで、想い合う二人は存在する事にもしない事にも出来る。便利な理論だ、と私は苦い笑みを噛み締める。
237.
躊躇いを残した指先が、焼け爛れた私の背に触れる。こんなに臆病な人だったのだと、私は涙が出そうな思いで気付けなかった彼の一面に触れる。傍若無人なふりをして私を組み敷く男の、揺れる黒い瞳に映る自分が泣き出さないように、私はその黒髪を胸に抱き、その指先の与える刺激に声を殺して啼く。
238.
クールであまり感情を表に出さないと思われている彼女が、本当はとても表情豊かな事を私は知っている。微かに上がるまなじり、少しだけひそめられた眉、僅かに傾けられた首、全てが雄弁。その中で、ほんの少し口角を上げただけの口元が、私の胸の中を温める。彼女にも内緒だけれどね。
239.
夜の始まり、赤裸々な姿を晒した私を彼は視線で撫で回す。「どうかされましたか?」触れられぬ不安と視線の羞恥に震える私の問いに、彼は薄い笑みで言う。「君を鑑賞している」視線だけで私の体温を上げる男は、その硬質の黒い瞳だけで狂おしいまでに私の肉体を奥の奥まで蹂躙する。
240.
脱ぎ捨てた二人分の靴が散乱したベッドの下は、仔犬の格好の遊び場。ベッドの上の我々はお互いに夢中だから、きっと仔犬は好き放題に靴と戯れているだろう。叱らなくてはと思っても、靴を脱いでいる時の我々にそんな余裕は欠片もなくて、仔犬の躾はいつまで経っても始まらない。
241.
そんな安い言葉に心を載せるなんて、私のプライドが許さない。言うだけで伝わるなら、これほどの月日は重ねない。生涯かけて伝わればいい。どれ程の、どれ程の想いが私の中に巣食っているのかを。どれだけの、どれだけの狂おしい感情が私の中に渦巻いているのかを。生涯かけて伝えられれば、それで。
242.
柄にもなく、幸せな結末というものを夢見ている。この土地に人が戻り、笑顔が戻り、民族の違いだけで憎しみあわずにすむ、そんな未来を夢見ている。そして、少し贅沢を言うならば、それを彼女と共に見届けて「ありがとう」と言って朽ちる、そんな未来を夢見ている。
243.
二人並んで別々の望遠鏡で、とても遠くを見ている。この国の未来を、次の世代が笑って暮らせる未来を夢見ている。それぞれが望遠鏡を覗いているから、今は隣にいる互いの姿を見る事は出来ないけれど、互いの体温が確かに隣にある事は感じられるから、だから今はそれでいい。
244.
累々と横たわる屍の山を背に指先に焔を生むたび、頭の中でレクイエムが鳴る。Libera me, Domine, 少しずつ磨耗し死んでいく私の心と、寄る辺無き民を送る鎮魂歌。「死なないで下さいね」と言ってくれた彼女の背が、死んでいく私の心を送る。Libera me, Domine,
245.
「大嫌い」そう口に出して言ってみる。「大嫌い」本当にそうだったなら、こんなに胸は痛まない。「大嫌い」鏡に映る歪んだ顔。「大嫌い」裏返しの言葉、嘘吐きな私。
246.
ざわめく皮膚の下に隠した感情が彼の指を助け、私を追い詰める。私の抵抗を形だけのものだと嘲笑うかのように、もう一人の私が皮膚の下で快楽に手を伸ばす。彼に組み敷かれ身悶える私が本当に抗っている相手は、彼ではなく私自身であることを彼は知らない。
247.
「人生をやり直したいと思うことがあるかね?」「いいえ、きっと何度やり直しても同じ道を選ぶと思いますから」「奇遇だな、私も同じ考えだ」二人で共に重ねた幾百幾千の昼も夜も、そのどれ一つとてなかった事にするなんて出来ない。そう、今この一瞬でさえ。
248.
居ないとばかり思っていた彼を台所で見つける。読みかけの本。食べかけのパン。伸びかけの無精髭。睡魔に負けてダイニングテーブルに突っ伏した彼は、国軍大佐と言うにはあまりに清貧に過ぎる日常をさらしている。きっと彼が本当に欲しているのは、肩に輝く四つの星よりも一片の知識なのかと思う瞬間。
249.
残業帰り、深夜のカフェの灯火が消えていなかった事を口実に彼女を誘う。一杯の珈琲を飲み干す間、職場では味わえぬ二人きりの静寂を味わう。少しビターで、彼女が入れた砂糖二つ分の僅かな甘みを帯びた時間を、我々は無言で堪能する。
250.
「少しだけいいですか?」そんな言葉と共に、背中に微かな重みを感じる。私の背に額だけをつけるのは、彼女が自分に許すささやかな私への甘え方。そのいじらしさに彼女を抱きしめたくなる衝動を抑え、私は彼女に小さな憩いの場を提供すべく、ただ黙って彼女の気が済むまで背中の重みを受け止め続ける。
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