dawn purple 2

「大佐! やっぱり無茶です! と申しますより、どう考えても無理があります。今からでも遅くありませんから引き返しましょう!」
「ここまで来て、止められるか!」
 
怒鳴り合うような大声で会話を交わす二人の周囲を、白いアクセントを添えられた景色がのったりと過ぎていく。
昼までイーストシティの空を覆っていた雪雲はこの白い景色をこの地にもたらした後、強い風に吹き飛ばされてしまったらしく、雪が掃除したクリアな大気には目映いばかりに冬の星座が輝いていた。
寒風吹き荒ぶ夜道を行く二人は、心細く揺れる灯火を頼りにヨロヨロと前進し、風に飛ばされそうな言葉を相手の耳に届けるべく冷たい空気に喉を開く。
吸い込んだ刺すような冷気は、肺の奥深くまで凍みるようだ。
「いい加減、思いつきで行動なさるのはお止め下さい!」
「こんな事、思いついた時でないと実行出来ないだろう!」
リザの言葉は風に逆らってなお、ロイの耳には届かない。
なんと言っても本人に聞く気がないのだから、どうしようもある筈がない。
リザは聞き分けのない上官への進言を諦め口を閉じると、ぐるぐる巻き付けられた分厚いマフラーを鼻の上までずり上げ、自分の目の前で上下する上官の広い背中を見つめた。
必死になってペダルを踏むロイの吐く息は、積もった雪と同じくらい真っ白で、吹く風と同じくらい荒い。
 
雪が地面まで覆い尽くすことは出来なかったせいで、彼の思いつきは滞りなく実行されてしまった。
否、例え道が凍っていたとしても、彼はきっと自分の我を押し通したことだろう。
まったく、変なところで幾つになっても大人げない人だ。
そう思って肩を竦めるリザは彼の後ろで自転車の荷台に揺られながら、昔と同じ彼の誘いに乗った自分の心が、懐かしさと期待とに揺れているのを感じた。
そう、彼らは今、夜明けに向かって走っている。
 
事の起こりは数時間前の、東方司令部の執務室だった。
晦日であろうが何だろうが、仕事は消えてなくなりはしない。
いつも通りの、否、面倒な案件のせいでいつも以上に長くなってしまった勤務を終えた彼らは、一年の終わる感慨も希薄なまま年を越した。
年が明けた事にも気付かぬまま執務室で零時を迎えたことをリザが知ったのは、ロイが〇二三〇をさした壁の時計を見上げ、彼女に珈琲を所望した時だった。
「今年最初の珈琲も、また君に淹れてもらうことになろうとはね」
「昨年最後の珈琲も、数時間ほど前に淹れさせていただいたばかりですが」
「流石に今日はもう少し早く上がりたかったのだが。まぁ、今年もよろしく頼む」
そう言って自虐的な笑みを浮かべたロイは、ふと思いついたように彼女に聞いた。
「明日の、いや。今日の夜明けは何時だったかな?」
「おそらく、〇六三〇前後ではなかったかと」
リザの返事を聞いたロイは考え込むような素振りを見せると、パチリと懐の銀時計の蓋を開いて何事かをブツブツ呟くと、彼女を振り向き机上の書類を指すとニコリと微笑んだ。
「とりあえず、これで片付けなければならないものは一区切り付いたな?」
「ああ、まぁ一応は」
「君も私も、明日は、否、もう今日か、は非番だな?」
「ええ、その筈ですが」
リザのその返事を聞くか聞かないかの内に、ロイは壁に掛けられた二人分のコートを取ると彼女に押しつけた。
「大佐? いったい」
「出るぞ」
「こんな時間から、どこへですか!」
「来れば分かる」
「まったく、いつもいつも貴方って方は」
「何を今更。それに、どうせ帰っても寝るだけだろう? 付き合いたまえ」
そう言ったロイは彼女の先に立ち、さっさと歩きだしてしまった。
結局リザはいつも通りその背を追いかけ、彼がハンドルを握る車に乗り込み、彼女自身の実家にたどり着く。
そこでロイは錬成で古びた自転車を修繕し、荷台に彼女を乗せると軽やかに走り出した。
彼女はぼんやりと彼の意図を悟り、きつい坂道で必死にペダルを踏む寝不足のロイを何度も諫めたが結局聞き入れられぬまま、こうして現在に至るのであった。
 
黙り込んだリザの耳に、ロイの独り言が届く。
「ああ、重いぞ。まったくもって重すぎる」
だから止めるよう言っているのに。
流石にムッとしながら、リザは冷たく彼の愚痴を突き放す。
「うるさいです、大佐。ご自身が実行なさると決められたのでしたら、黙って最後まで完遂なさって下さい」
「そうは言うが、君ね」
「十年以上経っているのですから、私とて子供の頃のままとはいきません」
「ああ、随分変わった。君も。私も」
自転車の二人乗りなんて、何年ぶりだと思っているのだろう。
少女の頃に比べれば、リザの体重も普通に成長すれば倍以上になるのも当然だ。
ムクレるリザに気付かないのか、ロイはのんきに答えて寄越す。
急な坂道で流石の彼も息を切らし、立ち上がって自転車を漕ぐものだから、彼の軍服のスカートが邪魔でしょうがない。
リザは分厚い青の布切れを避けながら、彼に届くよう大きな声で叫ぶ。
「ですから、あそこまで車でいらっしゃれば良かったんじゃないですか。あの頃と違って、我々は二人とも車の免許だって持っているのですから」
「だからこそだよ。変わってしまったものが多すぎるから、変わらないものをもう一度己で確認したかった」
あっさりとそう言ってのけたロイは、すとんとサドルに腰を落とすと「下るぞ」と彼女に一声かけ、少し前傾姿勢になる。
リザが古い記憶にハッと身構える間に、上り坂は何の予告もなく一気に下りに転じ、急加速する自転車の荷台で彼女はロイの背にしがみついた。
「ほら、変わらないだろう!」
「大佐!」
今にも笑い出しそうなロイは、きっと寝不足で逆に精神が高揚してしまっているのだろう。
リザは半ば呆れながらも、真面目に彼を諭している自分の方が莫迦莫迦しくなってくる。
「変わってしまったと言えば、君の胸は確かに育ったが」
「大佐!」
非難を込めた彼女の声は、坂道の作る風の唸りにかき消される。
彼女の言葉を聞かず、ロイは笑って何気なく言葉を続けた。
「私は君を守るつもりだったが、それも変わってしまったか」
リザは答えに詰まった。
彼が自責の念を込めてそう言っていることが、彼の笑いに自嘲の成分を含ませている。
顔が見えないからって、ずるい人だわ。
リザは手の掛かる上官に再び肩を竦めて、今度は絶対にロイの耳に届くように伸び上がって彼の耳元で声を上げた。
「そうですね、変わってしまったと思います」
そこでいったん言葉を切ったリザは、ぎっちりとロイの腹に両手を回し己の身を隙間なく彼の背にくっつけてから、もう一度怒鳴った。
「私が大佐をお守りするようになったのですから、これも大きな変化でしょうね」
それでも、二人で分け合う温もりは子供の頃と変わらない。
言外にそう伝えようと、リザはますますロイの背にしっかりしがみつく。
冷たい風のせいか、リザの言動のせいか、珍しくロイの耳朶が赤く染まった。
リザはそんな彼を背中から見上げ、くすりと笑うと彼の背に頬を埋めた。
返事の代わりにペダルを漕ぐロイの脚にますます力が入り、彼らは最後の坂道を一気に走り抜けていく。
 
いつかのニューイヤーイヴにロイが彼女にくれた自転車での小さな冒険は、大人になった二人にまた新たな夜明けをもたらしてくれる。
後悔も自責も、想いも絆も、思い出も現在も、全てを二人は自転車のペダルに乗せて、あの美しい夜明けの見える高台へと走る。
しらしらと白む群青の空に、刷毛ではいたような幾百もの青が散り始めた。
夜明けはすぐそこで、彼らが来るを待っている。
 
世界は美しいままであることを、彼らに知らしめる為に。
 
Fin.
 
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【後書きのようなもの】
Dawn purple」、なんとなく思いたって2年越しの続編です。来年は、大将&副官で書いてたりして。(笑)
彼らを迎える新しい世界が希望に満ち溢れたものでありますよう、今年もまた祈ります。
 
旧年中はぼちぼち更新にお付き合いいただき、ありがとうございました。
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

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