SSS集 11

  目の前にあるもの



 「目の前にあるものだけを信じればいい」
 そう言ったロイはリザに背を向けると、彼女の目の前でキュッと音を立てて発火布の手袋をはめた。既に遠方では爆煙が上がり、戦闘が始まったことを告げている。
 目の前にあるもの。
 リザは手の中のブローニングと目の前に立つ男の背中とに交互に視線を走らせると、一瞬目を閉じて自分の中にあった迷いを断ち切るように、弾みをつけて立ち上がった。
 目の前にあるもの。
 それが本当の意味で自分に残された最後の信じられるものなのだと痛いほどに感じながら、リザは振り返りもしない男の背を追って走り出す。彼の目の前にあるものが、火蜥蜴と戦場だけでないことを祈りながら。
(久しぶりの140字以上のSSS(笑))
  KISS

 真面目な彼女が珍しく頬杖をつきながら、ダイニングテーブルでクロスワードパズルに熱中している。よほど難問のキィでもあったのだろうか? ロイはそんな彼女の姿を微笑ましく思いながら、読みかけの本をそっと閉じるとソファから立ち上がり彼女の方へと歩み寄った。
「リザ?」
 彼の呼びかけにも振り返らぬ彼女にロイは机をぐるっと回り、ダイニングテーブルの彼女の向かいの席に座った。
「リザ、何を」
 そう言いさしてロイは彼女がペンを片手に、小さく船をこいでいることに気付く。昼間の仕事の疲れが出たのだろう。パズルを解きながら寝入ってしまった彼女の姿にロイは肩をすくめて苦笑すると、彼女の手から握りしめたままのペンを取り上げる。
「私につきあって、起きていなくても良いものを」
 そう呟いたロイは、何気なく彼女の解いていたパズルに視線を落とした。
「……」
 あと一つ、キィを埋めれば完成するクロスワードパズルを見つめ、ロイは少し考える素振りを見せると先刻リザから取り上げたペンを手に取り、サラサラとそのマスを埋めてしまった。
 勝手に解いてしまって、翌朝彼女に叱られるかもしれないな。そう思いながらもロイは隠しきれぬ笑みを浮かべ、彼女を抱き上げると寝室へと足を向ける。二人の文字が混じって完成した「KISS」という最後のキィが、テーブルの上から彼らの背中を見送っていた。
(静かな甘い夜)
  背中を見送る

「作戦は以上だ。突入時刻はヒトハチフタマル。総員、持ち場に戻り次の命令を待て」
 簡潔な説明でその場にいるメンバーを見渡したロイは、解散の合図の前にガチガチに緊張しきった新兵たちにニヤリと笑ってみせた。
「死なない程度で良いからな、見栄は張るなよ。生きててなんぼだ」
 新兵たちの乾いた笑いに、リザは肩をすくめる。新兵の緊張をほぐす軽口の中に痛いほどの彼の本音が含まれていることを、彼女は知っている。そしてその為に彼がどれほどの危険に己の身を晒すかも、彼女は知っている。
 ああ、全く尻ぬぐいは誰がすると思っているのだろう、この男は。そう思いながらも、リザは彼の背を守るために己の得物を身につける。彼の本音は彼女の願いでもあるのだから、仕方がない。そして、その願いが真っ先に向く先は目の前のこの広い背中なのだから、全くどうしようも無いのだ。
 どうしようもない自分に肩をすくめたリザは、願いを込めて上官の後ろ姿をスコープ越しに見送った。
  夜に戯れ

「先に寝ていれば良かったものを」
「そんなことを仰りながら、手にお持ちなのは何でしょう? 大佐」
「女性の部屋を訪れるのに、手ぶらなんて無粋だろう」
「こんな夜更けにケーキを食べろと仰る方が、余程女心をお分かりでないかと」
「大丈夫だ、運動にはつきあうよ」
「どうせベッドの中で、等と仰るのでしょう」
「よく分かっているじゃないか」
「セクハラですよ」
「こんな夜更けに私を家に上げておいて?」
「勝手にお入りになった、の間違いでは?」
「可愛くないね」
「可愛い女をご所望でしたら、他をお当たり下さい」
「行って良いのかね?」
「お好きにどうぞ」
「そう言いながら不安な顔をするところは、可愛いのだがね」
「誰が!」
「君が」
莫迦ですか、貴方」
「夜更けにケーキを買ってきてしまう程度にはね。で、君は?」
「……こんな夜更けまで起きて貴方をお待ちする程には、莫迦の仲間のようですね」
「なら、話は早い。無粋な夜中のケーキでもどうかね」
「運動につきあって下さるのでしたら」
「どうやら可愛い女を探さずに済みそうだ、目の前にいた」
「部下にお世辞だなんて、莫迦ですか? 本当に」
「ああ、素直じゃない女が忘れられない程度にはね」
(素直じゃない人たちの言葉遊び)
  見えない敵

「まったく、皆どうして私を目の敵にするのかねぇ?」
 ロイはそう言うと国家錬金術師の証の銀時計を、ジャラリと懐から取り出して見つめた。
「敵は早めに消せ、ということでは?」
莫迦な。国家錬金術師の枠に定員があるわけでもなし、自身の術を研鑽すればよいものを他人の足を引っ張ろうとは本末転倒だろう」
「皆、自分より優れた者が怖いのですよ。自分が不要になるのではないかと」
莫迦莫迦しい。見えない敵を自分で作って、怯えているだけじゃないか」
 リザは上官の真っ当な意見を苦笑で聞き流し、優秀すぎる人には理解できないのだろうと話を切り上げた。見えない敵を作って怯えているのは、何も錬金術師だけではない。彼の後ろに立つ女も、自分が男にとって不要になる日が来るのではないかと怯えているのだ。見えない敵、それは自分の弱い心だと彼女は知っている。
(持てる人には分からないのです)