Twitterノベル02

051.
壊れたラジオを前に途方に暮れる私を「妙な所で女の子なのだな」と、彼は笑う。ラジオなど一瞬で直せる術師のクセに、嬉々としてドライバー片手に分解を始める彼の方こそ男の子なのだと私は思う。音楽を受信する魔法の箱の前で額を付き合わせ、我々は童心に返る魔法にかかる。
052.
食卓の向こうで鼻を摘んだ彼が言う。「ガガッ、補給部隊到着、人参と馬鈴薯は確保した。指示願う」「ピーッ、お湯が沸くまで待機願います」「了解」下らない通信ごっこも、偶に握る主導権も、台所の中でだけの彼と私の子供染みた真面目なお遊び。小さな飴玉の様な幸福が、湯気の中で霞んで揺れる。
053.
何気なく踏み出した一歩が、歩幅の違う筈の彼と揃う。そんな些細な事ですら、私に笑みを浮かべさせる力を持つ幸福と恐怖。恋慕と依存の狭間で、私はふらふらと風見鶏のように揺れる。「どうかしたのか?」「いえ、何も」
054.
両の手首を頭上で拘束され床に縫い止められる瞬間、服従を強いられる感覚に酷く神経が昂る。無理強いという体が守るのは、彼の面子と私の矜持。嘘と言い訳で飾りたてた狡い我々だから、犬の様に浅ましく貪り合うのが似合いだと首筋を舐る舌に教えられ、私は恍惚として躾を受け入れる犬になり下がる。
055.
少女の頃、洗濯が出来ない雨の日は憂鬱だった。今は上司が無能になるから、やはり雨の日は憂鬱だ。それなのに「君、雨の日は生き生きしているな。気合いの入り方が違う」と彼は言う。分かっていて私をからかう呑気な彼に憂鬱は更に増し、それでも雨の日が嫌いになれない自分が、憂鬱に止めを指す。
056.
雨上がりの薔薇色の夕空が美しい。「空気中の塵が雨で落ちて光の透過率が」「煩いです。綺麗でいいじゃないですか」バッサリと蘊蓄を切って捨てられ、流石に拗ねてやろうと思ったが、薔薇色に染まる彼女を見ていると何だかどうでも良くなった。そう、君が綺麗だから、後はどうでもいい。
057.
「え?」聞き間違いかと思って問い返せば、また同じ答えが返ってきた。悪童の様なニヤニヤ笑いはチェシャ猫より性悪で、彼がわざと私を困らせている事を伝える。もし、ここで私が「Yes」と言えば、彼だって三月兎のように慌てふためくだろうクセに。そう、我々の間に選択肢は「No」しかないのに
058.
酷く辛そうに顔を背けた彼女のうなじの艶かしさに、ハッとする私をたしなめるのは制服の高い襟。ああ、そうだ。我々は全てをこの軍服の中に封じ込めたのだ。そう、封じ込めた筈だったのだ。
059.
ひどく楽しそうに笑い転げるあの男と、苦虫を噛み潰したような表情の彼とが、親友だという事実が未だに私は解せないでいる。やはり笑顔というものが、彼を惹き付けるのだろうか。慣れぬ角度に口角を上げかけ、ふと我に返った私は、自分の莫迦な考えに口角を自嘲の角度に上げ直した。
060.
眠れない夜に、バカだなぁとギュッと抱き締められて、余計に眠れなくなる私を彼は知らない。抱き寄せられた胸の中で、実は彼の心拍数も上がっていることに気付いている私を彼は知らない。私達は夜の闇の中に、様々なものを隠している。
061.
窓辺で遠い目で夕暮れを見る彼女の横顔が、哀しくも美しい。過去に想いを馳せているのか、憂いを帯びた表情に私は胸を締め付けられる。振り向いた彼女は、切なげな表情で言った。「お腹、空きましたね」意表をつかれた私は一瞬目を丸くし、次の瞬間笑い出す。全く君には敵わない。
062.
「おはようございます」何となく気まずい、喧嘩の翌朝の第一声に彼が振り向いた。「おはよう」振り向いた表情に、彼も私との距離を計っているのが分かる。何事もなかったことに出来ない我々は、謝罪と償いのタイミングをいつも探している。生涯、探し続ける。
063.
トーストの上で溶けるバター、淹れたての珈琲、用意されたYシャツの糊、私の上に屈み込む彼女。嗅覚を刺激する朝の標。人生が目覚めるに値するものだと教えられ、私は悪夢から帰還する瞼という名の扉を開く。「おはよう」日常という幸福。私のそれは、彼女の姿をしているらしい。
064.
バンと書類をぞんざいに投げ出した彼は、その隣に丁寧に本を置き愛しげにその表紙を撫でた。時としてのぞく、彼の内に潜む研究者の顔。もし、これが彼の表の顔だったなら、私はどんな姿で彼の隣にいただろう。埒もない空想に、私は酷く喉を渇きを覚えた。
065.
どうも彼女の様子がおかしい。よくよく観察するに、どうやら自分で適当に前髪を切って失敗したのを気にしているらしい。大胆にして繊細な彼女の為、私の視線は今日は仰角30度より下方に固定される事が決定した。伏し目がちな男と言うのも気持ち悪いが、君の為なら仕方あるまい。
066.
「どうぞ」「ああ、ありがとう」もう何年も、執務の合間に彼にお茶を淹れ続けている。一時期もっと偉い人の為にお茶を用意していたが、それは当然の日常として流された。「ありがとう」その一言を忘れぬ人だから、私は今日も彼の補佐の為、ここにいる。理由なんて単純な方がいい。
067.
万年筆の蓋をくわえ、立ったままペンを走らせる彼の姿が見えた。考え事をしながらメモをとる時の彼の癖。薄く開いた淫らな唇が蠱惑的に過ぎるから、私は敢えて怒った振りで彼に言う。「みっともないから、お止め下さい」笑って答えぬ唇は、更に私を惑わせる。ああ、なんて酷い人。
068.
査察の最中の街角で、無意識の彼女の視線の先を追う。ショーウィンドウの中ではなく、そこに映る自身の姿形をチェックする彼女は、たとえ軍服でその身を鎧っていたところで、やはり女なのだと思いしらされる瞬間。見ない振りでやり過ごす私は、所詮卑怯な男なのだ。
069.
「あ」デートの最中、ストッキングに伝線が走る。「どうした?」困り果てる私に、涼やかな笑顔で彼は問う。「脱いでしまえば同じだろう?」空気中の塵すら導火線に変える男の指が、机の下で伝線の跡を撫で上げる。焔が身体の芯に届くまで、コンマ五秒。スプーンを持つ手が震えた。
070.
「暑いな」上衣の襟元を寛げ露出された喉仏が、一息に水を飲み干す動き。露出される彼の野生。目が離せなくなる。
071.
軍隊格闘の名手である彼女との喧嘩は、悲壮だ。今日も今日とて、鳩尾に華麗な肘打ちを食らう。彼女に手を上げる事など出来ない私は、じっと反撃のチャンスを待つだけ。隙を見て、抱きしめて、口付けて、黙らせる。卑怯だなんて喚いているが、耳まで赤くなっているのは誰だろうね?
072.
疲れきって夕食の後片付けもせずに、ぼんやりとソファーに座り込んだ私の目の前に、突然ぬっと差し出された珈琲は濃すぎて、おまけに彼は火傷をしている。台所では不器用な彼の不器用な労いは、普段の自信過剰な彼の姿からは想像もつかない、私だけの秘密のビタミン。
073.
ギアをロウに入れると、彼女は滑らかに車を発車させた。昔はギアチェンジが下手で、毎回車が壊れそうなひどい音をたてていたのに。「何を笑っておいでですか?」「ちょっと昔の事を思い出してね」彼女の過去も今も知っている、そんな日々の積み重ねが幸福なのだと私は知っている。
074.
彼と同じ整髪料の香りに振り向く街角。重症だ。
075.
引っ越しの荷造りに託けて、要らないものを整理した。使わないのに捨てられないもの、その全てが彼にまつわる想い出を秘めている。そんな自分を莫迦だと思いながら、その全てを一つの段ボール箱に詰め込み、私は温かな過去に封をした。
076.
「いい加減、遅刻しますよ」そう言った彼女は器用に髪をアップにし、キリリと精悍な仕事用の顔を作り上げてしまう。あのバレッタを隠したら、彼女はずっと女の顔でいてくれるのだろうか? 靴を隠してしまう彼女の仔犬と同レベルの思考で、私はシーツの隙間に小さな溜め息を隠す。
077.
彼女の武器。ブローニング、エンフィールド、抜群のプロポーション、美貌、鋭い視線、そして、泣かない決意。いっそ泣いてくれた方が楽なんだが、等と考えるのは男の我が儘。彼女に泣く事さえ封じさせたのは、他でもない私なのだから。
078.
仕事の最中、書き損じの書類を丸めてゴミ箱に投げて遊んでいるのを、彼女に見つかった。黙って床に散らばった無数の紙玉をゴミ箱に放り込んだ彼女は、私の方をちらとも見ずに溜め息をつくと部屋を出ていってしまう。何だ、この寂寥感は。えーと、あの、お願いだから叱って下さい。
079.
少し早く出勤した朝、既に準備を終えて窓辺に佇む彼女の姿を見つける。誰もいない執務室で無防備にぼんやりと朝陽に照らされる彼女の、金の後れ毛が眩しい。私の姿を見れば副官の顔で隠されてしまう穏やかな彼女の美しさを、ドアノブを握りしめたまま私はただ見つめる。
080.
錬金術を習い始めた頃、自分が何でも出来る魔法使いになった気がした。「何でも作ってあげる! 何がいい?」思い上がった私を信じ、幼い彼女はとびきりの笑顔で答えた。「海が見たいです!」彼女の願いを叶えられなかった出来損ないの魔法使いは、今も夢の償いのため歩き続ける。
081.
彼はその長い指で私の唇を指して、ゆっくりと彼自身の唇を指した。指先の繋ぐ架空の口づけはあまりに思わせ振りで、私は脈絡もなく子供の頃に教えられた「人を指さしてはいけません」という言葉を思い出す。人を指さしてはいけません、人はそんな事にすら惑う生き物なのです。
082.
掌に感じる肩甲骨の動き。彼女の細い腕が、躊躇いがちに私の背に回される合図。掌に収まるしなやかな骨が伝える彼女の想い。私はしっかりと両手でそれを抱き締める。
083.
耳朶を弄る行為、小さな穴にぐっと硬いものを貫通させる感覚に、淫猥さを感じるのは私の邪さのせいだけではない筈。紳士の顔で送ったピアスを彼女に付けてやる瞬間、無意識に送りあう秋波は夜の始まる合図。さぁ、今夜はどこへ行こう?
084.
ずっと一緒に暮らしてきた夫婦は、顔が似てくるという。夫婦ではないけれど、これ程までに長く共に歩んできた私達も、いつか似て見える日が来るのだろうか? 眠る彼の頬を撫で、この顔に似た自分を想像してみたらなんだか笑えてしまった。彼は彼、私は私。違うからこそ一対。
085.
ねっとりと湿度の高い夜は、しっかりと抱きあう肌の密着度すら高くなる。みっしりと彼女と私の間を埋める空中の粒子に甘え、きっちりと隙間なく彼女と絡みあう。しっとりと彼女から溢れる慈雨を、うっかり溢さぬよう、ゆっくり味わう。うっとりと闇に酔いしれる午前二時、夏の夜。
086.
シーツの中で泳ぐ指先が、彼の脇腹の火傷の痕に触れた。手を引こうとする私の背に、彼の指先が優しく触れる。「こんなところまで、揃いにする必要も無かったか」冗談めかして笑う瞳が全てを包んでくれるから、私は今日も穏やかな眠りに落ちる。ありがとう、おやすみなさい。
087.
また似たような万年筆を買ってきた彼に文句を言えば、今回のは作家ものだと言い返される。良いペンでしたら、さぞや仕事も捗るでしょうねと嫌味を言えば、むきになって事務仕事に没頭する振りをする。誰も知らない彼の子供じみた一面を、私は今日も溜め息と苦笑と共に受け入れる。
088.
何も残さず、死ぬかもしれない。何も成し遂げず、死ぬかもしれない。路傍でゴミのように、砂漠で犬のように。そんな職業に就いた。後悔はしていない。彼の傍で死ねるなら、彼の為に死ねるなら、後悔はしない。
089.
するりと私の腕の中を脱け出した彼女は、まるで何事もなかったかのような顔で動揺を隠し、服の乱れを直した。そんな事をすれば、ますます私の征服欲を掻き立てるだけだと学習しない彼女の愛らしさに、私は両の腕で檻を作り何度でも彼女を閉じ込める。「逃がしてなどあげないよ?」
090.
罪に名前を付けよう。臆病者。虐殺者。制圧者。偽善者。それは、全て私の名。全て甘んじて受け止めた。ただ一つ、裏切者の名を彼女が与えてくれなかったから、私は彼女を巻き込まぬ道を許されず、二人分の人生を罪に堕とす。最も深い罪の名は、継承者。二人で背負った罪の名。
091.
スコープの向こうに彼を見つけた瞬間、死にかけた感情が蘇った。それは歓喜に似て、それは絶望に似て、 ただ内臓に手を突っ込まれ背骨を鷲掴みにされるような感覚が、ぞくぞくと身中を跳ね回る。 ああ、この男はこれ程までに深く、私の中に住み着いていた。殺せぬ感情に操られ、私はただ彼を見る。
092.
「最近、長雨で野菜が高いんです」久しぶりに仕事を早く退けた帰り道、マーケットで荷物持ちに甘んじる私に彼女は言った。天候と経済の関係を考える私の横で、彼女はレタス片手に無意識に呟く。「ああ、本当に雨は嫌」……ああ、何だか耳が痛い。私は黙って彼女の好きなワインを買い物籠に追加した。
093.
別に特別なものは、何もいらないのです。豪華な指輪だとか、プロポーズだとか、白いドレスだとか、特別なものは何も。貴方が生きてそこにいて、肩書きでも名前でも何でもいいから私を呼んで、必要とされていると思わせてくれたら、後は特には何もいらないのです。本当に何も。
094.
彼女は鉛筆を落とした。彼女は机の下に潜った。机の下から激しく大きな音がした。彼女は頭をぶつけたらしい。彼女はいつまで経っても出てこない。笑わないから出ておいで。
095.
研究に熱中すると寝食を忘れる彼が、珍しく何か食べている。銀縁眼鏡の真面目な顔で、難解な本を片手に一心不乱にバナナを食べ続ける彼の姿は一種異様で、私は笑うべきか呆れるべきか頭を抱えた。学問の世界に遊ぶ彼を現実に連れ戻す為、私は食事の準備に取り掛かる。バナナに負けてなるものか。
096.
白いワイシャツ。黒いタートルネック。白いワイシャツ。黒いタートルネック。まるで何かの暗号のように、彼と私の洗濯物が並んで風にはためいている。まるで正反対の私達は、正反対だからこそ対になるのかと私は風に向かって笑う。白と黒。白と黒。青い空に映え、風に舞う白と黒。
097.
今年もまた、北部での演習の時期がやって来た。「今年は負けんぞ!」彼の鼻息は既に荒い。彼の子供のような負けん気の強さに苦笑する私の周囲で、男達は皆一様にフガフガと鼻息荒く彼に賛同している。かく言う私も負ける気はないのだから、世話はない。類は友を呼ぶ? 朱に交われば朱くなる?
098.
ふわりと上衣を脱いだ彼女に、某かの違和感を覚えた。何となく観察してみるに、彼女がタートルネックを前後ろに着ているであろう事実に私は気付く。私の事務仕事が捗らず機嫌の悪い彼女に、この事実を指摘するべきか否か。常にない難問題に、私は山積みの書類を横目に頭を抱えた。
099.
仕事に疲れた夜、無意識に延々と愛犬を撫で続け、私は仔犬の機嫌を損ねてしまった。小さな温もりに安堵を覚えていた己に気付き、私は次に愛しい怠け者が我が家を訪問した際は、少しだけ彼の過度なスキンシップを受け入れるべきかと思案を始める。こうして私の思考は、いつも彼の方へと向かっていく。
100.
「君が助けを必要とするなら、この手を掴めばいい」彼がそう言って差し出した手を、私は微笑と共に握りしめる。「貴方が助けを必要となさっているようですから、この手を取って差し上げましたよ?」一瞬の呆れ顔の後、彼は破顔する。どうにも負けず嫌いな私達は、こうして手を取り合って生きていく。
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