if【case 06】

Caution!!:超未来ねつ造、ご注意下さい。
 
 
 
 
 
 
 
if【case 06】:もしも、彼が大総統にならなかったら
 
 

その日は、朝から風が吹いていた。
穏やかな晴天の東方司令部を吹く風は、痛いほどに乾燥した砂漠の風とは違い、柔らかく心地良いものだった。
リザは目を細めて彼の門出を祝うような好天を見上げ、そして隣に立つ男に改めて言った。
「ご退官、おめでとうございます」
「やれやれ、どうにか殉職せずにこの日を迎えることが出来たか」
ロイはそういって穏やかに笑った。
目尻に刻まれた皺が普段は厳しい彼の顔を、柔和なものに変える。
ずっと傍らで見続けてきた横顔を感慨深く見上げ、リザは素っ気ない口調で答えた。
「私がおりますのに、そういうことをおっしゃいますか」
「いや、君には感謝しているよ。何度命を救われたか分からないからね。特にイシュヴァール政策に関わるようになった最初の数年は、日々命を狙われ通しだった」
「仕方ありません。なんと申しましても、貴方は“イシュヴァールの英雄”だったのですから」
ロイは答えず遠い目をして苦笑している。
リザは遠い日々を思い起こして、無意識に愛銃に手をかけた。
 
“お父様”との戦いを終えた『約束の日』から三十余年、彼らは共にイシュヴァール政策に文字通り人生を賭して取り組んできた。
シン国の皇子との縁があったおかげで両国の国交は開かれ、イシュヴァール地域は今では東方交易の要として栄える一地方都市として、現在はある程度は落ち着いている。
だが、ここに到達するまでには本当に多くの紆余曲折があった。
中でも一番の問題は、イシュヴァール人の中に根強く残るアメストリス中央政権への不信と、軍人への憎しみだった。
就任直後にロイが最初にこの地方を訪問した際、最初に浴びせられたのは罵声と涙と石礫とであった。
事前にスカーから聞いていた話から覚悟はしていたものの、やはり肉親を奪われたものの怒りと哀しみは計り知れないものがあった。
イシュヴァールの血を色濃く継いだマイルズ、そしてスカーとその師父や『約束の日』に協力してくれたイシュヴァール人たちの協力を得て、彼らはイシュヴァール政策に取り組んだ。
ロイの暗殺は何度も何度も企てられ、リザはイシュヴァールの民をなるべく刺激しない穏便な方法でそれを阻止し続けた。
おまえが息子を殺した、家族を奪った、そんな罵倒を受け続け、暗殺も暴動もテロも止まない雨のように彼らを襲った。
それでも彼らは歩むことを止めず、ひたすらにイシュヴァールの復興に尽くした。
地域に受け入れられるまで十年、そこからの地域の復興に更に十年、気づけばロイは退官年齢を過ぎ何度も慰留され、この年になり漸く楽隠居を許されることとなったのだ。
全てが解決したわけではない。
だが、人間には年齢による限界もあるのだから、仕方はない。
ロイの黒かった髪は白髪交じりのロマンスグレーとなり、重ねた年輪がその皮膚に皺を刻み、それでも精悍さを失わない彼の傍らで、リザは全てを共に見続けてきた。
リザ自身も彼と共に年齢を重ね、淡い蜂蜜色の髪はややその色を褪せたものの不思議と歳をとった印象もなく、ロイに「君は相変わらず年齢不詳だな」とからかわれるのを日課としている。
彼の副官として公私に渡り彼を支え続けた彼女にとっても、この日は感慨深いものであった。
 
「引き継ぎは、もう終わられましたので?」
「ああ、イシュヴァール政策についてはあちらを出る前に全て済ませた。東方司令部本部には最後の挨拶だけだから、これでこの軍服を返却すれば、私は晴れて一般国民だ」
そういったロイは、しみじみと礼装の肩章に手をかける。
リザは星が三つから増えることの無かったロイのそれを見て、ふっと表情をゆるめた。
「残念でしたね」
「何がだね」
「大総統におなりになれなくて」
ロイは相変わらず君はストレートだなと苦笑し、答えた。
「仕方あるまい。あの事件に直接関わったものは、出世コースから微妙に外された。大将になれただけでも御の字だ。それに大総統になることが目的だったわけではないからね。あくまでも地位は手段でしかない。民主化は次の世代に任せるさ」
明るくそう言いながらも、ロイは少しだけ残念そうな顔をしてみせる。
「まぁ、やり残したと思うことは沢山あるが、体は一つで人生は一回きりだ。仕方あるまい」
リザはクスリと笑って、欲張りは身を滅ぼしますよと肩をすくめてみせた。
ロイはそんな彼女の仕草を笑うと、思いついたように言う。
 
「ああ、そうだ。やり残したことと言えば」
「他にも何か?」
「君にプロポーズをするのを忘れていた」
「今更ですか?」
リザはもう一度クスリと笑って、すっとその手を彼の前に差し出した。
「指輪の似合う綺麗な指でいた間におっしゃって下されば、よろしかったのに」
いくら彼女が驚異的に老けていないとはいえ、手には年齢がもっとも如実に表れる。
砂漠の強烈な紫外線に長年晒された手の甲にはシミが浮き、銃を握り続けた手はゴツゴツとたくましい。
ロイはその手の甲を愛おしげにすっと指先で撫で、彼女の手を軽くつかんだ。
「他にやることが沢山ありすぎて忙しくてね。しかも暗殺の危機があまりに多かったものだからすぐに君を未亡人にするのも忍びなくて、機会を逃した」
「為すべき事を為さらずプロポーズなど為さっていらしたら、私は貴方を撃たねばなりませんでしたから、仕方ありませんね」
「ああ、怖いね。震え上がりそうだ」
二人は悪戯な笑みを交わし、握った手をゆっくりと離した。
長い年月を共に過ごした彼らにとっては、既にそんな話題すらタブーではなくなっていた。
全てを分かち合い、全てを共に体験し、全てを委ねあってきた二人の間に培われた絆は、そんな話題すら超越する強さを得ていた。
彼らの間に存在する全てを、当たり前のこととして受け止め、共有する強さを。
 
ロイは穏やかな笑みを浮かべたまま、リザに問う。
「私は君に撃ち殺されずにすむ上官として、この日を迎えられたと自負して構わんかね」
リザも笑みを納めることなく頷き、躊躇無く彼の言葉を肯定した。
ロイは満足げにうなずき、手に持った式典用の軍帽を被り直した。
「いろいろ迷惑をかけた、感謝している」
「改まって、何ですか。気持ち悪いですね」
「なに、これからも世話になるからな。一応の礼儀だ」
リザは小さなため息と共に苦笑して、ひたとロイを見つめた。
「仕方ありません。父といい、貴方といい、錬金術師とは手のかかる人ばかりですから。私がいなければ、研究に熱中して食事を摂ることすら忘れておしまいになるのですから、目が離せるわけがありませんでしょう」
「ひどい言われようだが、反論できんのが何ともな」
リザの視線をまっすぐに受け止め続けた男は、「よろしく頼む」と言って破顔する。
「何を今更」
お決まりの台詞で返したリザは苦笑を穏やかな笑みに変え、小さくうなずいた。
ロイの副官として今日まで共に歩んできたリザは彼と共に退官し、これからイシュヴァール地方の市井の人として生きるロイの傍らで共に生きる事を決めていた。
錬金術は大衆のために。
軍人であることを止めたから贖罪の道に終わりが来るわけではないのだからと言って、人生の最期の瞬間までその理念をイシュヴァールの地で貫き通そうとする彼の傍らで、人生を終えるのが彼女の決めた生き方だった。
 
最期の時まで、その背を見守り続ける為に。
最期の時まで、この背を託し続けるために。
最期の時まで、彼の傍らで共に生きる為に。
 
このままこの身朽ちるまで、この人の傍に居られれば。
そしてこれからもずっと、過ぎ去っていく時の変化も、二人の間にある変わらぬものも、どちらも共有する事が出来るならば。
これ以上は、彼女は何も望まないのだから。
 
「大将、そろそろ式典のお時間では?」
「ああ、そうだな」
リザの言葉にロイは懐の銀時計を取り出して時間を確認すると、ガシャリと腰のサーベルを鳴らして歩き出した。
彼の退官を祝う式典に、主役が遅れるわけにはいかない。
リザは彼の背を追い、歩き出す。
 
「ところで、プロポーズのことだが」
「式典が済むまで余計なことは考えないで下さい」
「あー、分かった分かった」
「ところで、大将。演説の草稿はお持ちですか?」
「あれ、君に預けなかったか?」
「ですから、昨日デスクの上に置きましたと何度も申し上げました」
「あー、すまんすまん。忘れていた」
「大将、いい加減になさってください! まったく最後の最後まで!」
 
いつもと変わらぬ二人のやりとりを、高い高い青空が見守っている。
風が二人の間を吹き抜けた。
 
Fin.
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【後書きのようなもの】

 これもまた、ひとつのif。「国家錬金術師」とは、別のベクトルでの未来予想。Blog四周年にして、最終回のおかげでこのようなSSを書ける日が来たことを嬉しく思います。
 ただ、アニメ誌の荒川先生のインタビューによるとロイは大総統になるようですから、こちらは本当の意味で完全にifなのですけれど。それでも。
 
お気に召しましたなら。

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