Twitterノベル01

001.
いつもの習慣で彼のカップに珈琲を注いだ所で、私は気付く。そうだ、彼は出張で中央司令部に行ったのだった。用意したものが勿体無いから。そう自分に言い訳した私は、躊躇いながら彼のカップに唇を付けた。白いカップに残った自分の紅の色が淫らに見え、私は赤面して親指でそれを拭い胸を押さえた。
002.
「ほら、口を開けて」彼は笑って、私の口元に生の牡蠣を差し出す。私が牡蠣を苦手な事も、彼の強引な行動を断れない事も知っているくせに。腹を立てつつ、私は仕方なく口を開ける。ぬるりとした貝と、唇に触れた指を鳴らす位置にタコのある男の指。そのどちらもが、私の背筋を震わせるのが、口惜しい。(←サードガール・オマージュ)
003.
ふと悪戯心が蠢いて、突然立ち止まってみる。反射神経の良い彼女だから避けられるかと思ったが、どんと背中に柔らかな身体がぶつかった。「急に止まらないで下さい!」怒る彼女の鼻が赤くなったのが無性に可愛くて、からかったら更に怒られた。怒られて喜ぶ私は、莫迦なのだろうかね。
004.
溜め込んだ仕事に、イライラと机をタップする指が止まった。何気ない風を装い振り向けば、彼は遠く窓の外を見ていた。真っ暗な闇夜に、ぼんやりと浮かび上がる電話ボックスの灯り。それに気付いた私は彼の姿をそれ以上正視する事が出来ず、慌てて視線を逸らし踏み込めぬ領域に唇を噛んだ。
005.
トイレに篭っていると何か閃くものがあり、私は手近にあった紙に慎重に構築式を書きなぐった。胸ポケットにペンをさしておいて良かった! そう安堵に胸を撫で下ろした私は次の瞬間、必要な紙まで全て使ってしまった事実に青冷めた。大切な閃きを使うか、恥を忍んで彼女を呼ぶか。何と言う究極の選択!
006.
手を伸ばせば指が届くところに、いつも彼の背中がある。それでもその背にこの指が届かないのは、私が臆病だからか、彼の背がそれを拒むからか。理由なんてどちらでも良い。我々は、ただの上官と部下なのだから。そう考えて私は冷えて温もりを求める自分の指を、見つめる
007.
手が触れたくらいで照れるような年齢でもない。それでも君がそんな顔をするから、まるで自分が君にとても酷いことをした極悪人に思えてしまう。たかが書類を渡す際、指先が触れただけだと言うのに。何も見ない振りで背を向ける。だから、君は今どんな顔をしても構わないんだ。自分を殺さないでくれ。
008.
その最中に、戯れにネクタイで彼女の両手を拘束してみる。「何をなさるんですか!」「どうすれば、君を私に縛り付ける事が出来るかと思って」そう答えた私に彼女は呆れた顔をしてみせる。そして、拘束された手で私の頭部をかき抱くと、何を今更と呟いた。
009.
固くて開かないジャムの瓶を、いつもは手袋に包まれた彼の裸の手がいとも容易く開けてみせる。そんな些細な事に見とれる自分が悔しくて、私はそっと目を伏せた。
010.
口づけの時に顎を掴まれるのは、行為を強要されるようで好きではない。項を掴まれるのは、所有物扱いされているようで気にくわない。そう主張すれば、大人しく目を閉じない君が悪いと揶揄されるのも腹がたつ。一番苛々するのは、その全てを実は内心では喜悦をもって受け入れている自分だ。
011.
「なら、お前も惚気返せばいいだろ」親バカな悪友にそう返され、私は言葉に詰まる。「美人で聡明で仕事が早くて、銃の腕もスタイルも抜群で……」「そんなの俺でも知ってる」「あと、唇がひどく甘い」私の言葉に髭面の男は微妙な顔で「やってられねーよ」と日頃の自分を棚にあげ、鼻を鳴らした。
012.
現在、彼女と共に見ている映画がホラーだとしても、悲鳴を上げて抱きついて貰えるかもしれない等という甘い期待は欠片もない。むしろ心配なのは。『ガタッ!』ジャキン! 不穏な物音がする度に、彼女が太股に隠した銃に手を伸ばす事だ。「こら、スクリーンのゾンビを威嚇しない!」
013.
「大佐、酔っておられます?」「いーや」世の中の酔っぱらいは、大抵自分は酔っていないと言い張るものだ。渋々肩を貸そうと身体を屈めると、いきなり抱きつかれた。「大佐!?」「だから、酔っていないと言っている。試してみるか?」何を試すのか聞き返す前に、私の唇は塞がれ問いは虚空に消された。
014.
出張の帰り、疲れきって二人で列車のコンパートメントに向かい合う。暮れかけた藍の空を硝子に透かし、そこに映り込む彼を見る。「何を見ている?」「何も」そう答え、私達は硝子の中で視線と微笑を交わす。そう、何も見ていない。貴方以外は。
015.
「雨は嫌いなんじゃなかったんですか?」「いや、好きだよ。君が私の心配をしてくれるから」返事に詰まる私を見て、彼はプッと吹き出した。「こうして君と密着出来るし」「傘が一本しかなかっただけです!」相合い傘でする言い合いに、欠片も説得力が無いことくらい本当は私だって分かっているのだ。
016.
クロークに預けられた無数の軍支給のコートを眺め、私はすぐに彼のコートを見つけだす。全部同じ既製品なのに、なぜ分かるのか。自分でも説明はつかないが、分かるものは分かるのだ。そう考える私の脳裏に、なくした手袋を探し出す我が家の仔犬の姿が浮かぶ。私は小さく苦笑した。
017.
振り向く彼女の瞳が、私の躊躇いを射抜く。「射程圏内で視認可能なら、片付けます」ただ事実を告げたまでという淡々とした口振りが、私の背中を押す。「命令を」そう言われて応えられなければ、男が廃る。「殺すな、そして殺られるな」無茶な注文への答えは、満足げな彼女の笑顔。つられて私も笑った。
018.
湯上がりの彼女の美しい玉の肌が湯を弾く。その背中の爛れた一部を例外に。あまりの痛々しさにその背を後ろから抱き締めれば、きっと私が邪な思いを抱いたと勘違いして、彼女は肘鉄の一つも食らわしてくれるだろう。私は笑って、密かに過去の罰を受け入れる。
019.
不意に私の手の中の書類が消えた。「君、今日はもう上がりたまえ」「大佐、何か問題でも?」彼はちょっと眉を上げて、私の珈琲を顎でしゃくる。「無糖派の君が砂糖を二つも入れるとは、非常事態かと思ってね」見ていないようで細かい所まで目の届く困った上官は、そう言って私の口に飴玉を放り込んだ。
020.
威厳をもって歩く彼の後頭部で、ぴょこぴょこと寝癖が跳ねている。厳しく部下を叱責する彼のまぬけな後頭部を眺めながら、私は笑いを噛み殺し、彼のプライドを刺激せず、髪を直させる方法を考える。こんなまぬけな仕事すら重要だと思う私もまたまぬけだと、私は再びわき上がる笑いを噛み殺した。
021.
「あ」と小さな声が上がった。彼女の指先から、ぽたりと真っ赤な血が落ちる。どうやら紙で切ったらしい。あの指を掴まえてこの口に含めば、彼女はどんな顔をするだろう。そんな空想を自制心で隠し、私は素知らぬ顔でガリリと己の爪を噛む。口中に広がる血の味に、私は陶然として薄い笑みを浮かべた。
022.
水を一杯所望すれば、まるで見計らったかのように彼女が熱い紅茶を淹れてきてくれた。まさか冷たいものが欲しかったとも言えず、「ありがとう、流石だな」と驚いてみせれば、彼女の鼻がヒクヒクと誇らしげに蠢く。全くこの可愛さは反則だ。私は胃を焼く熱い紅茶を、美味そうな振りで飲み干した。
023.
読書の手を休め、何気なく隣で本を読む彼の横顔を見詰める。「男前すぎて見惚れるか?」そう揶揄する声を無視して、その頬の辺りを凝視し続ければ、彼はやがて照れ臭そうに口元を押さえる。そんな仕草を見る事が出来る特権を喜びをもって噛みしめて、私は再び本に視線を落とす。
024.
「いいな、文官は。衣替えで薄着になって」私のあんな姿もこんな姿も見ているクセに、何を今更と思うのだが、何か違うらしい。「チラリズムは男の浪漫だ!」等と莫迦な事を叫んでいる暇があったら、仕事をして欲しい。クソの役にも立たない浪漫など、犬に喰わせて捨ててしまえ!!
025.
枕元の電話が鳴った。「おはようございます。起きていらっしゃいますか?」「たった今起きた」すっかり支度を整え珈琲を飲みながら、私はわざと眠そうな声で答えてみせる。彼女の小言を聞きながら、朝から彼女の声を聞く幸福の為に、私は今日も小さな工作を仕掛け続ける。
026.
顔を隠す仕草が可愛くて無理やり腕をとれば、現れるのは艶かしい女の顔。本当は私の手を払う事など容易なクセに、弱々しい抵抗しかみせないのは確かに彼女の中に潜む雌の打算。いやらしい女だと苛めば啼いて喜ぶ彼女は、確かに私だけの女。それを喜ぶ私は、実は彼女の掌の上で踊っているだけなのだ。
027.
残業中に大欠伸をしている所を、偶々彼に見られてしまった。何か言ってくれれば良いものを、クッと笑って如何にも見なかった振りをしているのが憎たらしい。自分だって毎日毎日欠伸ばかりしているクセに! 自棄になって珈琲を一気飲みしている所を見られ、また笑われた。ああ、全く腹の立つ!
028.
「陽のある内に帰れるなんて、珍しいですね」「ああ、夏至が近いからな」同じ一つの帰宅時間の話をしても、私は日常生活を、彼は天体を見ている。自分よりも遥か遠くを見ている彼に追い付きたくて、私は少しだけ歩くスピードをあげてみる。
029.
徹夜明けの目に朝陽が痛い。見上げれば、まだ夜の名残が空に残っていた。「明けの明星ですね」と、昔、彼に教わった事を思いだせば「宇宙人だと面白いのだがな」とふざけた答えが帰ってきた。時々彼が見せるこうした子供染みた一面は、私に素直な笑みを浮かべさせる力を持っている。
030.
「君が受傷したのは私のせいだ」と謝ると彼女は怒る。そして、「私の技量不足でご迷惑をおかけして、すみません」と謝り私を怒らせる。この堂々巡りのメビウスの輪を断ち切るべく、私は口づけで彼女の反論を封じる。抵抗は許さない。今すぐ降伏すれば、口づけだけで許してあげよう。どうだね?
031.
「くそ、昨夜の事が何も思い出せん!」宿酔いの頭を押さえて私が喚けば、彼女は呆れたように水を差し出す。「いい加減みっともないですよ」「相変わらずキツいな」昨夜の全てをなかった事にする二人の儀式は、今日も円滑に我々の心の一部を殺す。そうやって生きる道を我々は選んだ。選んでしまった。
032.
ラジオから懐かしい歌が流れる。彼がまだ錬金術師の卵で、私がひよこのように短い髪をしていた頃の流行歌だ。思わず歌詞を口ずさむ私の背後で、彼の鼻歌が聞こえる。想い出入力式ステレオ放送に、我々は顔を見合せて笑う。笑いあえる過去が二人の間に存在する救いに、バカのように酔いしれて笑う。
033.
部屋を出る彼女の後ろ姿の、細い肩が震えていた。相変わらず嘘が下手だなと思いながら、私は切り裂かれた胸を押さえる。おそらく彼女の方がもっと痛む胸を抱えているのだろうが、彼女の振るった刃の本当の意味が分からぬバカな男に彼女の後を追う資格はない。私は何もなかった振りで、ペンを取った。
034.
秘密の隠れ家、と言っても使い古された倉庫だが、の片隅で読書に専念する幸福に自然と私の頬は緩む。仕事が嫌いな訳ではない。ただ、血塗れの己の手を見たくない日があるだけだ。過去に遊ぶ私を現実に連れ戻すのは、彼女。だから、人前では決して見せぬ緩んだ頬を、私は隠さずノックに答える。
035.
秘めた想いは秘めたままでいる事が、彼女がずっと私の傍に居てくれる必要十分条件だと信じている。傍に居てくれるだけで十分だと、自分に信じさせている。だから「落とされましたよ?」「ああ、すまない」何気ない素振りで受け取った手帳に何が挟まれているか、彼女にだけは気付かれてはならない。
036.
「何ですか? これ」「残業の差し入れだ」出張から直帰で夜中のオフィスに現れ私を死ぬ程驚かせた男は、子供騙しの様なクッキーを差し出し、更に私を驚かせる。何か悪い物でも食べたのかしら? そう考えつつ、私は二日ぶりに見る彼の無事な姿に心の平安を感じ、珈琲を淹れる為に立ち上がった。
037.
「君といると癒されるな」彼はそう言って、私の背の傷を撫でる。彼に枷を負わせたこの背と私であると言うのに。「癒しとは何ですか?」と戯れに聞き返せば、「生きていく苦しみを、生きられる程度に薄める事」と簡潔な答えが返る。気付けば私の頬を涙が伝い、彼はそっとそれを舐め取った。
038.
「やっぱり莫迦ですね、貴方。指揮官として最低です」結局、先頭きって危険を引き受け、やっぱり受傷した男を私は見下ろす。「莫迦は君だ。そんな顔で憎まれ口を叩いても、全く説得力がない」と彼は笑い、すまないと酷く優しい声を残して運ばれて行った。私は唇を噛み、声もなくただ彼を見送った。
039.
彼に渡された軍服をハンガーに掛けようとして、私はその胸ポケットに自分の筆跡を見つける。一週間前、躊躇いながら置いた出張を労う簡易なメモ。それを未だに持っている彼に淡い期待を抱き、私は苦笑する。諦めてしまえれば良いのに。そうすれば、こんなメモ一枚に胸を掻き乱される事もないものを。
040.
「今、戻った」「お疲れ様でした。査察はいかがでした?」「相変わらずだ」私の答えに苦笑した彼女は、私の機嫌をとる為に熱い紅茶を淹れてくれる。ただいまを言っても返事のもらえない少年時代を過ごした私には、このささやかなやり取りすら眩しい。彼女はいつも、知らない内に私の心をを照らす。
041.
「あんたにとって、あの男って何?」酔った親友の明け透けな問いに、私は苦笑する。「昔は憧れのお兄さん、裏切り者、サボり魔の上司、後……」「愛しい恋人?」「まさか! あり得ない」彼女の茶々を私は即座に笑い飛ばす。彼はそんな単純な言葉で表せる存在ではないの。彼は私の全てなのだから。
042.
珍しく食堂の前で彼女と会った。「どうだね、少尉。ランチでも」私の誘いに彼女はメニューを一瞥し、丁重に断りを述べる。何気なくメニューを見た私は、その全ての皿に添えられた赤い物体に吹き出した。「君、まだトマト嫌いなのか!」私の言葉に彼女は真っ赤になり、少女の頃と同じように逃げ出した。
043.
彼が両の掌を押さえている。貫通した刀の古傷が、雨のせいで痛むのだろう。「雨の日は無能なんですから、残業しないで早く上がって下さい」と素っ気なく言えば、彼は微笑む。「優しい人だね、君は」「何を今更」そう返せば、「君、グレードアップしたなぁ」と彼は心底嬉しそうに笑った。
044.
愛犬の散歩にかこつけて、深夜に彼が暮らす窓を見上げる。身辺警護という言い訳を笑う自分と、窓辺の灯りに胸の奥を照らされる自分とが、並んで深夜に彼が暮らす窓を見上げる。開く筈のない窓を、私は見上げる。
045.
街の治安状態を知る為に。そんな言い訳を抱えて、深夜に彼女が暮らす窓を見上げる。このままその部屋の主をこの腕の中に収めたい自分と、そんな資格はないと項垂れる自分とが、並んで深夜に彼女が暮らす窓を見上げる。開く筈のない窓を、私は見上げる。
046.
「こんな時間に何をしている?」「犬の散歩です、貴方こそ」「治安状態の視察だ」真夜中の邂逅に、我々は互いの窓が開いていた事を知る。そこから一歩が踏み出せないのは、ここが互いの家の中間地点でどちらもが誘いを掛けにくい、等というバカな理由だなんて。立ち尽くす我々を照らす街灯が優しい。
047.
男達が「無人島に持っていくもの」という、定番の話題で盛り上がっている。あの気障な男が「君だ」と言い出しそうで、私はヒヤヒヤしながら聞いていない振りをする。そんな私の様子にニヤニヤしながら話題に興じる振りをするあの男は、獲物を弄ぶ子猫の様に無邪気に狡猾に、私の息の根を止める。
048.
久しぶりの晴れ間に溜まっていた洗濯物を干そうと庭に出た私は、洗ったシーツに残っていた黒髪に気付く。こんな髪の毛一本すら風にさらわれるのを寂しく思うのは何故だろう。私は父のお弟子さんの顔を思い浮かべ、そっと湿ったシーツを胸に寄せた。
049.
珍しく、彼女がシャツの襟元の釦を一つ余分に外している。たかが釦一つで溢れだす無意識の女を抱えた彼女のストイックな視線に弾かれて、僅かにのぞく肌色に目を取られ止まった私の指先は、花を見つけた蝶のように本能に忠実に動き出す。「ねぇ、誘ったのは君の方だよ?」
050.
落下した専門書を見事に頭頂で受け止めた彼は、その衝撃に声もなくうずくまる。彼が体勢を整えるまで書架の影で待機した私は、何も知らぬ振りで彼に声をかける。平静を装う莫迦な彼の威厳を保つ為、こみ上げる笑いを封じる日常はバカバカしくも奇妙に愛しい。きっと、そう考える私も莫迦なのだろう。
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