上司としての顔、部下としての顔

「私は、この女を生涯の伴侶とし、共に生きることをここに誓います」
「私は、この男を生涯の伴侶とし、共に生きることをここに誓います」
 
二人は爽やかな青空の下で高らかにそう宣言すると、目と目を見交わして幸福そうに笑った。
わっと参列者の間から歓声が上がり、小さな拍手の渦が沸き上がった。
メインテーブルの前でヒューズは誇らしげに目元を赤く染め、傍らのグレイシアを促して皆に向かって一礼すると、いきなり花嫁を抱き上げ、グルグルとその場で回りだした。
驚いて新郎の首に抱きつく彼女を微笑ましい思いで眺め、ロイはテーブルにおかれたシャンパングラスを取り、めでたい光景に小さく乾杯をするとゆっくりそれを飲み干した。
同じテーブルでは揃いの軍服に身を包んだ同期の仲間達が、談笑しながら同じ光景に幸福を噛みしめている。
イシュヴァールで逝った仲間も多い中、こうして幸せを掴む者もいることはある種の救いだ。
広い庭のあるレストランを借りきった人前式の気さくなパーティーで、彼らは久しぶりの再会を喜び、花嫁の友人の品定めと料理を楽しんでいた。
 
「まさか、ヒューズが一番乗りとはな」
「一番モテなかったくせに」
「次は誰だ? 予定のある者は? オースティン辺りどうだ」
「まさか。そんな甲斐性はないさ。ロイ、お前は? 俺たちの中で一番の出世頭だからな」
「こき使われて、それどころじゃない」
そう言って肩を竦めたロイの隣で、オースティンがいかにも明るい口振りを装って誰にともなく問い掛けた。
「ウォルターは今日は来ないのか?」
ロイの胃の辺りがすっと冷たいもので満たされた。
一拍の間があり、誰かが呟いた。
「あいつなら、去年の秋、二階級特進した」
「……そうか」
「あいつ、南部戦線長かったからな」
努めて何でもない顔で返された答えに、ロイはまた鬼籍に入った友人が増えたことに胸の内で溜め息をついた。
まだまだ守れないものばかりだ。
そう考えながらロイは、めでたい場にそぐわない話題を何か明るいものに変えようと口を開きかける。
だが、その必要はなかった。
 
「いぇあ! お前ら、俺の結婚式でなーにを辛気くさい面並べてんだよ」
ひとり、頭がピンクのお花畑と化した男が奇妙なステップを踏みながら、彼らの輪の中に乱入してきたのだ。
「ヒューズ!」
「美人のグレイシアのお友達は、みんな美人さんだぞ! お前ら、この機会を逃してどーする! むさ苦しい顔つきあわせてないで、さっさと散開しろ」
完全に幸せに酔った男の登場に場の雰囲気は和み、皆が一様にホッとした顔をする。
気まずい雰囲気を振り払おうと、男達はグラス片手にヒューズに促されるままに立食形式のパーティーの利点を生かし、先程までの品定めに従って花を求めて立ち上がる。
ロイはだらしなく鼻の下を伸ばしたヒューズとともに彼らを見送り、ウェイターの運んできたフルートグラスをもう一つ取った。
「ロイ。お前は行かなくていいのか?」
「ああ、必要ない」
「まぁ、それもそうか」
ヒューズは納得したように言うとロイの肩に腕を乗せ、遠くで友人たちと談笑する花嫁をうっとりと眺める。
「どうだ? 綺麗だろ、俺の嫁さん」
「ああ、お前には勿体無いくらいだ」
「うっせーよ、お前。めでたい席だぞ」
「だから、褒めている」
「なんか微妙だな」
ぶつぶつと文句をいいながら、ヒューズは自分もウェイターを呼びシャンパンを受け取る。
シャンパンに口を付けようとして、ヒューズは思い出したようにロイに尋ねる。
「そういや、何でお前は連れて来なかったんだよ」
「誰を?」
「ばーか。彼女に決まってんだろ、鷹の目ちゃん」
ヒューズの言葉にロイは溜め息をつく。
「知り合いの全くいない結婚式で壁の花は可哀想だろうが」
「他のヤツらに見せたくなかっただけじゃねーのか?」
「違う!」
「ムキになるのが怪しいな」
「新婚初夜を向かえる前に燃やされたいか? ヒューズよ」
「イヤーん、ロイちゃん。それだけは勘弁」
ヒューズは笑って、自分も手の中のシャンパングラスをあおった。
ロイは遠い眼で幸福そうに笑うグレイシアを見る。
そんなロイを見て、ヒューズはふと真顔になって言った。
 
「お前、鷹の目ちゃんと知り合って何年になる?」
突然のヒューズの問いに、ロイは一瞬虚をつかれ頭の中で指を折った。
「確か、私が初等科を卒業した時に師匠に弟子入りしたから……十六年かな」
「羨ましいな、俺はまだグレイシアと知り合って二年だ」
「なんだ、それは」
思いもかけぬヒューズの言葉に、ロイは豆鉄砲を喰らった鳩のような顔をする。
「だって、考えても見ろ、ロイよ。アメストリス国の男の平均寿命は六十五歳。戦没者が多いから、トータルではかなり引き下がってるが、軍人以外での統計なら七十五歳だ」
「それがどうした」
「俺たちは今、二十七だ。頑張って平均寿命まで生きても、あと五十年弱しかグレイシアと一緒にいられないんだぜ? 俺は人生の三分の一をグレイシア無しで過ごすと言う、取り返しのつかないロスをしてしまった」
「ヒューズ、お前、酔ってるだろ?」
呆れた声のロイに向かって、ヒューズはブンブンと首を横に振った。
「いーや、酔ってない。それに引き換え、お前はどうだ。ロスタイムは十一年、人生の九割近くを彼女と一緒に過ごせる計算だ。ああ、クソ羨ましいぞ」
ヒューズの飛躍した論理に、流石にロイは笑った。
まさか、自分たちの関係が人から羨まれるような一面を持つなどとは、流石に彼も考えた事がなかった。
しかし、ヒューズの言葉は奇妙な程深くロイの胸に染み込んだ。
ロイはヒューズの提示した事実を感慨深く噛み締める。
「まさか、結婚したばかりの新郎に羨まれるとは、思ってもみなかったぞ」
「わはは、俺もそう思う」
ヒューズはフワフワと笑うと、残りのシャンパンをあおった。
「結婚ってのはある種の幸せの『記号』だ。この記号が付いてりゃ、皆、ああ幸せだなって納得してくれる。あ、今の俺は確かに世界一幸せな男だけどな」
そこで、いったん言葉を切り、ヒューズはもう一度真顔になった。
「お前が選んだのは記号に頼らない、中身だけの絆だ。それだけ自分たちに自信があるのは、凄い事だと思うぞ?」
「そうか」
「俺は俗物だからな。記号の幸せの良さも知ってるし、茨の道を行く気もねぇ」
「ああ、確かに人に勧めるものではないな」
「俺は、結婚は勧めるけどな」
ロイは苦笑する。
ヒューズはとりとめもない話を止め、遠い眼をした。
「五十年、長いようで短いぞ」
「ああ、知ってる」
「あんないいパートナー捕まえたんだ。キッチリ天辺まで登り詰めろよな?」
「ああ、分かっている」
「俺はグレイシアを幸せにするぞ」
「ああ、頑張れ」
ロイもつられて遥か青空を臨む。
 
上官としての顔、部下としての顔を貫いて生きて行く道は、彼らが共に選んだ道だ。
それは、イシュヴァールを過去のものとして終わらせる事の出来ない彼らのけじめだ。
だが、そんな上司部下の顔をしていても、彼らの間に数えきれない絆がある。
人生の目的を共に背負うパートナー、命を預け合う事の出来る頼もしい部下、青臭い夢の賛同者、償うべき罪も過去の痛みすら共有出来る共犯者、初々しい青春の思い出を分かち合う初恋の女、命がけで間違いを糺す責任を持つ相手、まさに彼女はロイの人生そのものなのだ。
今更結婚などという形に囚われる必要性を感じない程に。
階級上の上下はあっても人として対等に向き合える彼女の存在と、人生の全てを共有出来るような奇跡のような出会いに感謝して、ロイは祝いの酒を一息に飲み干した。
 
fin.
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