夜・オフィス・山積みの書類

「ああ、疲れたな」
「同感で」
青い軍服に身を包んだ二人の男は、すでに発車した夕刻のイーストシティ行きの汽車の中でドカドカと大きな足音を立てながら、自分たちの席を探していた。
ドアの上部に書かれた番号を確認しながら、ロイは溜め息混じりに愚痴をこぼす。
「呼ばれれば行かねばならんのが、宮仕えの悲しさだな」
そして彼はそこでいったん言葉を切ると、狭い汽車のコンパートメントの通路にみっしりと幅を取り歩く部下の後ろ姿に向かって、思いついたように言う。
「そう言えば、お前と二人でセントラルというのも、珍しいな。ひょっとして、初めてじゃないか?」
「そうですよ。どうもむさ苦しくて、すんません」
「それはお互い様だ」
レダの無愛想な返事に気を悪くする様子もなく、ロイはようやく見つけたコンパートメントの前でグンと伸びをすると、「むしろ、むさ苦しい方が気楽でいいさ」と暢気な顔で付け加えた。
レダは皮肉屋の顔でふっと唇の端を上げる。
「俺はそれに関しちゃ、ノーコメントで」
怖い副官殿に告げ口されては堪らない、とでも思っているのだろう。
危機管理能力の高い部下は小さな笑いを直ぐに引っ込めると、真面目な顔でコンパートメントの番号と手元の切符の番号を確認し直した。
そして、ロイの先に立ってコンパートメントに入り、ざっと個室の安全チェックをすませると、上官と向かい合って深々と堅い椅子に座り、大きな溜め息をついた。
「しかし、今回の件は俺にとっちゃ良い勉強になりましたけど、中尉は毎回こんな仕事こなしてんですか」
「ああ」
「まったく、敵わんですね」
レダは堅苦しく着込んだ軍服の襟元をゆるめ、しみじみと言った。
「しかし、中尉が風邪とは珍しいじゃないですか」
「鬼の霍乱、というやつだな」
利口な部下は二つ目のパスを発動して、ロイの言葉をスルーする。
「ま、いつ休んでんだか分からん人ですから。たまには、こんな強制休養も良いんじゃないですか?」
「確かにな。女の身でよくやってくれている」
ロイの言葉にブレダは微妙な顔をした。

「なんだ? 何かあるのか?」
「いや、確かにそうなんですがね。中尉ってあんなナイスバディの美人の割に、不思議と女って雰囲気がない人だと思っただけです」
レダの言葉にロイは不審な顔をする。
「いや、変な意味じゃないんすよ。例え仕事が出来てマーシャルアーツも滅茶苦茶強くても、女性尉官はやっぱり女性なんですよ。上手く言えないんですが、俺たちとは違う臭いがする生き物だとハッキリ感じる」
レダは自分でも分析しかねるように、言葉を途中で止めた。
ロイは興味深い思いで、部下の分析を聞く。
「だけど、中尉は違うんですよ。女の臭いがしない。俺たちマスタング組のむさ苦しい変人揃いの中にいて、当たり前のように馴染んでいる。男にも女にも上官にも部下にも同様に接し、無口で感情的にならない。これだけ長く男性佐官の補佐をして浮き名の一つも立たない。なかなかいないですよ、こんな人」
ロイはブレダの長広舌に茶々を入れる。
「女じゃなかったら、なんだね」
「それが分からんから、不思議だという訳ですよ」
珍しく饒舌なブレダは、苦笑してお手上げのポーズをとった。
ロイは少し考えて、非常に無難な答えを形成する。
「それは我々が同志である、という単純な理由で片付けてはいかんのか?」
「まぁ、端的にいうならそうかもしれませんがね」
レダの言葉を受け、ロイは論題を広義に展開する。
「同じ釜の飯を食う、というのは家族的な精神的連帯感の育成を助長するからな。家族なら、異性の感情が抑えられるのも道理だろう」
「そっち行きますか、大佐」
「元々軍隊がそう言う素地を持った団体だ、お前の言う女を感じる尉官は、他部署の人間だろう」
「おっしゃる通りで」
さすが士官学校をトップで卒業しただけあって、ブレダはロイの意図を悟る。
「競技ディベートで?」
「ディスカッションでも構わんが」
ガタガタと揺れる列車の中、閉じた空間での暇つぶしに男たちは議論という遊びを選ぶ。
こうして、イーストシティに到着するまでの間、ロイは退屈することなく移動時間を過ごしたのだった。
 
     *
 
カチャリ。
レダを直帰させたロイは、独り、夜の執務室に静かに滑り込んだ。
一々資料を持ち帰るのが面倒だったのと、ある予感が彼にあったからだ。
自分の靴音だけが響く室内に灯りを点し、ロイは自分のデスクを見た。
揃えられた文具、処理済みの書類が消え、新たな書類が小さな山を築いてる。
やはり。
ロイは小さく溜息をつく。
風邪を押して出勤した彼女は、ロイのデスク周りを片付け最小限の仕事をして行ったのだ。
「全く、無茶ばかりするな、君は」
ロイは机の上に残された小さなメモを手に取った。
『お帰りなさい。お疲れさまでした』
優しい彼女の字がメモの上に踊っている。
ロイは女らしいその文字を眺め、まるで彼女がそこにいるかのように話しかける。
「君の作戦は成功しているらしいぞ? あのブレダまで、君の軍人の仮面に騙されている」
いつも感じる彼女の視線、そこにロイが感じるものは、決してブレダの語る彼女の姿とは相容れないものだった。
密やかに秘めた軍服の下の本当の彼女は、あまりにも艶かしい。
しかし、それは触れてはならぬ果実だった。
触れればあまりに脆く壊れてしまう事が、分かり切っている彼女だから。
築かれた書類の山の上に、更に鞄から取り出した書類を積み上げ、ロイは苦く笑う。
「私も騙される事が出来ればいいのだがな。そうすれば、こんなメモ一枚に胸を掻き乱される事もないものを」
乱雑に積んだ書類が、彼を責めるようにバサリと崩れた。
ロイは薄い闇の中、小さな紙片を大事に胸ポケットに仕舞い、片手で己の顔を覆い真っ暗な天井を仰ぐと、そっと諦めたように瞳を閉じた。
 
Fin.
 
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