望まない確執

「承服致しかねます」
リザは直立不動の体制で、上官のデスクの前で明確な拒絶の意志を表した。
とりつく島もないリザの返答に、ロイは苦虫を噛み潰したような顔をすると「理由を述べたまえ」と、こちらも簡潔な返答をして寄越した。
「それが私である必要を認めませんので」
「警護が必要だ」
「“あの”アームストロング家の邸宅内で、ですか? しかも、オリヴィエ・ミラ・アームストロング少将がおられるというのに? まさか!」
ロイは反論の糸口を封じられ、更に眉間に刻んだ皺を深くする。
「大体が招待状は大佐個人に届いているのです。副官を連れていくような場ではありませんでしょう」
リザが更に追い打ちをかけると、ロイはむっとした口調で答えて返す。
「パーティーの場にエスコートする相手もなく乗り込むほど、私も間抜けにはなりたくないのでね」
巻き髪と巻き髭の紋章を封蝋に施した招待状を机の上に広げ、ロイは由緒ある屋敷に勤める執事が綴ったであろう流麗な文字を指さした。
「ほら、ここに書いてあるだろう。『ご同伴者様も正礼装でのご来訪をお願い致します』だ。パートナーを連れて行くのは社交場の常識だ」
「でしたら、社交界の常識もわきまえぬ副官を連れていって恥をかかれるより、マダムのお店のレディ達を同伴なさればいかがでしょう。目立って良いですよ。それに、きっと彼女たちも喜んでついてきてくれる筈です。新規の上客の開拓には打ってつけの場所でしょうから」
リザはうんざりしながら、ロイの反論を完膚なきまでに叩き潰す。
まったく、この上官はどうして分かってくれないのだろう。
私が行きたくないと思っていることを。
溜め息を隠して、リザは目の前の招待状をいかにも興味のない素振りで眺めた。
 
一般庶民の中でも特に貧乏な錬金術師の家で生まれ育ったリザには、上流階級の人間が何故パーティーというものを開くのか、何の目的で着飾って集まるのか、その目的も理由もさっぱり理解出来ない。
陰謀と策略と嘘と噂が渦巻くと言うならば、それは軍内部でも同じ。
人脈の開拓といわれても、リザは所詮ロイの副官なのだから意味がない。
むしろ、そう言う時にロイの傍らにいるのは毒にもクスリにもならない、つまり相手が警戒しない同伴者の方が望ましい。
そんなリザの判断をロイは一蹴し、彼女を連れて行くと言い張るのだ。
 
下心、というには彼らの関係は微妙だ。
おそらく彼はこのパーティーにかこつけて、ひと時の夢を見たいのだろう。
リザをパートナーとしてエスコートするという夢を。
上官と部下の関係を保つ彼らの関係上、プライベートにおいてその夢が叶うことはない。
ならば上官命令の名を借りて、彼は副官として自分に属する彼女ではなく、一人の女性として彼に属する幻を作り上げたいのだ。
男というものは、つまらないところで無邪気な生き物だ。
その無邪気さが無自覚な所が、本当にタチが悪い。
 
彼の気持ちは分からないでもない。
だが、二人が綱渡りのような微妙なバランスの上に築き上げてきたこの関係を、揺るがすようなことはリザには出来なかった。
もしも、彼が軍服を脱ぎ、焔の錬金術師である国軍大佐の顔を崩した時、自分はそこに彼の上官としての顔だけを見ることが出来るだろうか。
もしも、自分がこの身を鎧う軍服を脱ぎ、その精神を司る銃を置き、女の姿でロイの前に立ったなら、その時自分は果たして副官の顔を保てるだろうか。
そんな不安がリザの心を苛むのだ。
たかが一枚の軍服がどれほど自分を軍人たらしめているのか、それはリザ自身が痛い程に知っている。
こんな軍服一枚に縋らねばならない程に自分が弱いことを、リザはイヤという程知っている。
それほどまでに自分が脆くなるほどに、自分の抱えた彼への想いが大きなものであることを、リザは吐き気がするほど自覚している。
だから、彼女は断固として彼の誘いを断らねばならないのだ。
 
彼女と同じくらいウンザリしているであろうに彼女を諦めない上官に、リザは遂に奥の手を使うことにする。
本当なら絶対に使いたくもない、奥の手を。
リザはわざとらしく大きな溜め息をついた。
「それから、大佐。女性の正礼装がどんなものかご存知で、先ほどから私にお声をかけて下さっているのでしょうか?」
「何のことだ?」
「こういった席での女性の正礼装は、イブニングドレスと相場が決まっています」
そこでリザは腹にぐっと力を込めるとロイの目を真っ直ぐ見つめて、如何にも呆れた口調を作りながら付け加えるように言った。
「イブニングは肌を見せるドレスが正装とされているため、『背中』、肩や胸元が大きく開き、袖がないものが正式な形となるのです」
リザはそれだけ言うと、ロイから視線を逸らした。
ロイの顔色が変わった。
リザの胸は切り裂かれるような痛みを感じる。
それでも、彼女は能面の様な無表情を保ってみせる。
「お分かりいただけましたでしょうか」
「……分かった」
己の犯した過去の罪に囚われた男の顔は、正視に耐えぬ程哀しげに歪んだ。
「お分かりいただけましたなら、結構です。それでは私はまだ仕事の続きがありますので、これで失礼致します」
リザはそれ以上ロイの顔を見ていられず、踵を返して執務室を出た。
 
望まぬ確執を終わらせる為に、リザは男を傷つけることしか出来なかった。
その刃は自分をも切り裂くものだと知りながら。
それでも守らねばならぬ、ロイとの距離がリザにはあった。
彼の傍で生涯を共にする為の、上官と部下の距離が。
失われるわけにはいかない、リザの最後の居場所を守る為の距離が。
自分の軍靴の足音も聞こえぬ程に俯いて、リザはロイから遠ざかる為に必死に長い廊下を歩き続けた。
 
Fin.
 
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