…少しくらい敬いたまえ

何故、こんな事になっているのだろう?
グルグルと酩酊した頭で、考えたところで埒のあかないことを考えながら、ロイはズキズキと脈打つ己のこめかみを押さえた。
カップを持つ手すら、既におぼつかなくなってきている。
現時点で何杯飲んだか、いや、もう“何本”飲んだかすら分からない。
マズい、これは非常にマズい。
向かいに座る彼女の魅惑的な唇が、スローモーションのように動く。
「大佐、聞いていらっしゃいます?」
「……ああ、聞いている」
彼とは対照的にシャッキリと背筋を伸ばしたリザは、少し温くなったワインを半分ほどあおり、トンとその美しい指先で優雅に無骨な琺瑯のマグカップを置いた。
ロイは緊張を持ってその唇の動きを見つめた。
 
「ですから、今回のこのフォーメーションの問題点は、ここに砲撃隊を置いた点にあると思うのです。これでは、遊撃隊が自由に動けなくなってしまいます」
「それ、さっきも聞いた」
「大事なことなので、二回申し上げました」
「……この、負けず嫌い」
全く魅惑的ではない話題の、全く可愛げのない彼女の言葉に、独り言めかしてロイは心に浮かんだことを、そのまま口に出した。
「何かおっしゃいまして?」
「いーや。で、君の提案は?」
リザは少し思案顔になると机上の地図をしばらく見つめ、等高線の入り組んだ地点を指さした。
「この地形におきましてもっとも狙撃に優位なポイントは」
「高地を押さえるのは用兵の基本だ」
「ですが雪中での行軍の体力消費を考えますと」
「行軍に必要なエネルギーの消耗が馬鹿げていると言っている」
ロイは呂律の回らなくなってきた舌を必死でフル回転させて、リザの議論をやりこめようとする。
リザの方も負けてはいない。
二人はしばらく睨みあっていたが、フンと鼻を鳴らして同時に自分の杯を空けた。
 
何故、彼らはこんな状況で用兵に関する議論を繰り広げているのか。
それは、ここブリッグズにおける北方軍との合同演習におけるペイント弾を用いた模擬戦闘で、ロイの率いる東方軍が惨敗を喫した事に始まる。
面白くもない打ち上げの最中から、模擬戦闘における問題点をグラス片手に語り始めた二人は、そこでブリッグズの雪の女王に散々耳の痛いお説教をくらった。
当然の如く彼らの議論はヒートアップし、宴の終わった後彼らは会場から失敬してきたワインを飲みながら、ロイに貸し与えられた指令室の一角で延々と反省会を続けている。
元々がぶっ通しの演習で疲れているところに粗悪な酒を流し込んでいるのだから、当然通常よりも酒の回りは早い。
色気の欠片もない軍支給の琺瑯のマグで、質より量の安いワインを早いピッチで空け続けていれば、いつしか議論は堂々巡りの袋小路に陥って、彼らは自分の尻尾を追いかける犬のように同じ持論を繰り返す。
かくして、ロイは沈没一歩手前のギリギリのラインで何とか踏みとどまって、既に何のための議論か分からない議論を己の副官と戦わせている。
 
ワインを飲み干したリザは傍らのボトルを引き寄せ、ロイのカップと自分のカップにきっちり等分に残った酒を注ぎ入れる。
ロイはその臭いだけで吐き気を催しそうになり、眉間に皺を寄せる。
しかし、目の前のリザがそれを飲み干しているのを見ては、彼も後には引けない。
息を止めて、ぐっと一息にそれを飲み干せば、またロイの世界が回った。
リザの唇が、更にゆっくりと動くのだけがロイの目に映る。
「ですから、今回のこのフォーメーションの問題点は、ここに砲撃隊を置いた点にあると思うのです」
「三回め」
「大事な事ですから、三回言いました」
「がんこだな、きみも」
「裏表のない性格だと自負しております」
「しってる」
どんどんロイの呂律が怪しくなってくる。
「大佐?」
「だいたい、きみはずけずけものを言いすぎるんだ」
「大佐、大丈夫ですか?」
「言いたいことを、なんでも言えばいいってもんじゃない」
「そんなことは」
「こんかいの用兵にかんしてだって、そうだ」
喋りながら、ロイの上体がクワンクワンと回り出す。
「大佐!」
「わたしだってこれでもものすごくかんがえたんだ」
「大丈夫ですか?」
「あれだけ敵地で善戦したんだ。もんくばかりいわないで…少しくらい敬いたまえ」
 
ゴトッ。
遂にロイの手から空のカップが落ちた。
それと同時に、ロイも落ちた。
これのどこをどう敬えと言うのか、というひどい醜態だった。
机の上に突っ伏したロイを前に、こちらも完全に酔眼になっているリザはゆらりと立ち上がった。
「大佐、こんなところで寝られては風邪を引きます」
ふらふらとした足取りで、それでも机の上で完全に酔い潰れたロイを起こそうとしたリザは、意識のない人間の重たさにそれを諦め、傍の簡易ベッドにあった毛布を何枚もロイの上に乗せた。
一枚一枚、毛布をかけながら、ベロベロに酔ったリザは呟いた。
「言いたいことを何でも言っているように見えます? 私が貴方に本当に言いたいことは、これほどまでに酔っぱらっても口に出せないことなのですけれどね」
そう言って、彼女はぼんやりと毛布から黒髪だけをのぞかせた情けない上官の姿を、しばらくの間ぼうっと見下ろしていた。
やがてリザは酒臭い息を吐きだし、こちらも撃沈一歩手前の状態でよろめきながら何か考える素振りをして、とりあえず自室に帰る事を思いついたらしく、司令室を後にした。
 
ぱたり、と彼女が司令室の扉を閉める。
残された闇の中に小さな男の声が響いた。
「そんなこと、知っているさ」
拗ねた子供のような男の吐き捨てるような言葉は、空き瓶の並ぶテーブルの下に転がり、誰にも知られぬままブリザードの響きにかき消された。
 
Fin.
 
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