SSS集 10

  手当て



「どうかされました?」
 いつもなら食後にはソファで読書に勤しんでいるはずの男が、ぶすりと不機嫌な顔で頬杖をついている。何か悪いものでも食べさせてしまっただろうか? リザはソファの背もたれに手をつき、背後からロイの肩に手をかける。
「どうやらまた腫れてきたらしい」
「痛みますか?」
「ああ。まいったな」
 投げやりな口調の彼の返事に、リザは男の右の頬を凝視した。ひどく疲れたり、ストレスがたまったりした時、ロイは歯茎を腫らす。親知らずを抜いた時の傷があるらしく、それはいつも右の奥と決まっていた。
「冷やしますか?」
「いや、いい。それよりも」
 そういったロイは肩に置かれた彼女の手を取り、自分の頬に押し当てた。
「何をなさるんですか!」
「俗に“手当て”と言うだろう? 君の手当てを受ければ治るかもしれん」
莫迦ですか、貴方は。“手当て”は手を当てることではありません」
 冷静に至極当然の反論をしてみせるリザに、彼女の手を掴まえたままロイは苦笑する。
「そんなことは、分かっているさ。だが、少なくとも君がこうしてくれたなら、私のストレスを和らげる“手当て”にはなるのだがね」
 相も変わらぬロイの気障な科白に、リザは大きな溜め息をつく。そして、仕方ないですねと言って、いつもは銃を握って男を守る手を、男を癒すために差し出したのだった。
 (忙し過ぎて歯茎ばんばんに腫れてます。でも、転んでもただでは起きない妄想力。頑張る!)
  真夜中の独り言

 リザがコトリとカップを机上に置くと、父は香ばしい珈琲の香りにチラリと視線をあげると微かに頷いてみせる。父の視線の先に置かれた書類には、見慣れた父のお弟子さんの几帳面な文字が踊っていた。
 そう言えば、今日の昼間マスタングさんは酷く父に叱られていたのだった。父は何が気に入らなかったのだろう? リザはチラリとそんな事を考えながら、黙って父に頭を下げると、お盆を胸に抱え踵を返した。
「まったく生意気な」
 リザが書斎の扉を閉める直前、父の独り言が彼女の耳に届く。
「教えもせんのに、こんな美しい構築式を作りおって」
 苦々しげな台詞の裏に微かに滲む喜悦の匂いに、リザはまるで自分が褒められでもしたかの様に口元をほころばせると、静かにそっと扉を閉めた。
(親子でマスタング好きだったりとか)
  純情可憐

 リザが熱い紅茶の入ったマグカップを手に執務室に戻ると、二人の少年はロイのデスクの前で熱心に一枚の紙片に見入っていた。
「どうしたの?」
「いや〜、大佐って案外真面目っつーか、可愛い感じなんだな〜って思ってさ」
「って言うか、見た目によらず保守的って感じで吃驚しました」
 なんの事やら分からぬリザを前に、エドワードとアルフォンスはその紙片を指し示す。幾つかの構築式が描かれたそれを不思議な思いで見つめるリザに、エドワードが言う。
「構築式って術師の性格とかセンスが、モロに出るからさ。大佐って実は、こんな性格なのかーって」
 そう言って少年がキシシと笑うと同時に、パタリと執務室の扉が開いた。
「中尉、この書類だが……! 鋼の! 何を人のものを勝手に見ている!」
「大佐こそ、何を純情可憐な構築式描いてんだよ!」
 ヒラヒラと構築式を晒すように紙片を掲げてみせるエドワードに、ロイは一瞬で顔色を変えた。
「ウルサい!」
「わ。大佐、赤くなってやんの。自覚あるんだ」
「黙れ! 鋼の。とにかく、それを返したまえ」
「ヤダよ〜」
 どちらが子供か分からない追いかけっこを始めた上官の姿にリザは呆気にとられ、それから錬金術に関してだけは昔から変わらぬその生真面目さが残されているのかと、肩をすくめて苦笑した。
(何か今日は、ばんばん出る日)
  風の中

 彼の墓前で写真の中だけの存在だった彼の伴侶と会うのは,これで三度目だった。彼の毎度の惚気も当然と思える穏やかで美しい女性は、凛としたしなやかな強さで哀しみを包み隠し,いつも我々に微笑みかけてくれる。
「本当に,あいつの惚気には毎度ウンザリさせられるほどでした」
「ゴメンなさい,あの人、ああ言う人でしたから」
 私の上官と並んだあの人は、酷く透明な笑顔で虚空を仰ぐ。世間話を交わせる程に,彼の葬儀から時間が経ったとは思えない。しかし、あの人は綺麗な笑顔で笑ってみせる。
「でも、エリシアの事と家の事以外のあの人の話には、いつもロイ・マスタングと言う名前が出てきて,私、少し嫉妬してたんですよ」
「我々の前では,仕事の話以外は貴女とお嬢さんの話ばかりしていたのですがね」
 私の上官と彼女は視線を交わして苦笑し,饒舌だった男の物言わぬ墓石を同時に見た。
「ズルい人」
「まったく」
 私は二人の後ろ姿から視線を逸らし、どうすればあれほど強くなれるのだろうと高い空を見上げた。
(ヒュグレ書きたいです)
  焼き直し

 深酒の代償は、翌日の酷い宿酔とキンキンと頭に響く煩い彼女のお小言だった。確かに着替えてからベッドには入れとは言われたが、ちょっと仮眠を取るだけのつもりで横になって睡魔に負けてしまったのだから仕方がないだろう。ああ、まったく煩い恋人だ。頭が痛い。
 そう思いながら半ば自棄になって手近のカップを手に伸ばし、私は喉を潤した。そして、てっきり水だとばかり思っていたカップの中身が、彼女のお手製の宿酔の特効薬のレモネードだと気付き、思わず笑ってしまったのだった。まったく。この素直じゃない所が、可愛くて堪らないのだが。
 小言の止まらぬ唇をキスで塞いだら、また文句を言われた。本当は嫌がっていないクセに、どうしてこう素直じゃないのだろうね、君は。
 ねぇ、リザ?
(SSSその1の焼き直し。昨年の初夏のオンリーイベントの企画に投稿。本人も忘れてたのを発掘)