SSS集 7

  1122SSS



 気付けば、夜が更けていた。
 ロイはウンと伸びをすると、取り寄せたペーパーから顔を上げた。時計の針は既に10時を回り、彼は何か自分が忘れ物をしているような気がしてソファから立ち上がった。
 帰って直ぐに彼女から預かったブラックハヤテ号に餌はやったし、買い足しておけと言われた珈琲豆もきちんと買って来た。はて、後は何があっただろうか? そう思ってロイはすっかり真っ暗になった窓の外を見ながら、開けっ放しになっていたカーテンを閉めた。思い出せそうで思い出せない気持ち悪さに、ロイが声をあげて唸ったその時。
 ぐぎゅるる、と音を立てて彼の腹が鳴った。
 ああ、そうだ。夕飯を取るのを忘れていた。ロイは己の間抜けさを笑い、腹が鳴った事で自分が空腹である事に思い至る。何か食べ物があっただろうか? 確かレーションが棚の中に隠してあった気がする。そう考えながらキッチンに向かうと、ダイニングテーブルの上に一片のメモが置かれているのが彼の目に映った。
『シチューは温め直して下さい。パンはいつもの籠の中です。お勉強は程々に R』
 ああ、完全にお見通しという訳か。ロイは笑って小さなメモを胸ポケットに放り込む。と、同時にドアをノックする音がした。全く何と言うタイミングだ。ロイは、一人クツクツと笑いながら彼女を迎え入れる為に、玄関へと向かう。ドアを開ければ、半日振りに会う彼女がニコリと笑って立っていた。
「ああ、もっとゆっくりしてくれば良かったのに。久しぶりに会う友人だったのだろう? 夕飯? いや、君が帰ってくるのを待っていたんだ。ひとりの食卓は寂しいからね」
 そう言ったロイは、クスクスと笑うリザが何か自分に不都合な一言を言い返すのを阻止するため、急いで彼女の唇をキスで塞いだ。しかし、雄弁な彼の腹は再び盛大な空腹の叫びを上げ、隠しきれぬ彼の失態を声高に彼女に告げたのだった。
 
(男の小さな見栄と虚勢は、世話を焼く女には可愛らしいものです。息抜きに良い夫婦の日SSS。さて、原稿に戻ります)
  愛してる

「たまには、夜の散歩も良いものだな」
 ロイは白い息を吐き出しながら、コートのポケットに手を入れたまま、真夜中の空を見上げた。隣に立つリザは寒さに鼻を赤くしながら、彼の視線を追っている。
「月が綺麗ですね」
 リザの言葉通り、中空にかかる満月がまるで昼間のように明るく、眠れるイーストシティを照らし出している。ロイは彼女の言葉に記憶を刺激され、蘊蓄の引き出しから昔聞いたことのある遠い遠い東の島国の話を、引っ張り出した。
「そう言えば、シンの国の遥か向こうの島国で、“I love you.”をその国の言葉に翻訳する際“月が綺麗ですね”と訳した国文学者がいたそうだ」
「なんですか、それ?」
 リザは月を見上げたまま笑う。
「それでは、こんな夜には皆に愛の告白をしてしまう羽目になるではありませんか」
「ああ、確かに。まぁ、奥ゆかしい叙情的な表現だと思えばいいのだろう」
「ロマンティック過ぎて、全く伝わらないでしょうがね」
 そう言ったリザは、ふっとロイに視線を移すと悪戯な口調で尋ねた。
「では、大佐ならなんと訳されますか?」
「“I love you.”は“I love you.”だ。愛している、とストレートに言いたいものだが」
 苦笑してそう言ったロイは彼女を見つめ、思い出したように穏やかな声で付け加えた。
「ああ、そうだ。昔こんな風に言ったことがある『君に背中を任せる。間違ったと思ったら、その手で私を撃ち殺せ』とね。今思うと、少々気障だったかな」
 リザははっと驚いたように目を見開き、それから仕方がないと言わんばかりに苦笑して、彼が差し出した手を握りしめ呟いた。
「『お望みとあらば地獄まで』」
 二人は視線を交わすと、手を繋いで誰もいない深夜の街を歩きだした。月がおぼろに浮かび上がらせた二人の影が、ただその後を付いていく。
 
(『I LOVE YOU を訳しなさいバトン』より派生)
  伝染

 ごく稀に同じベッドで朝まで彼と一緒に過ごす時、リザは眠りの中で苦悶の表情を見せるロイの姿を見る事がある。過去の記憶に苛まれるのか、時に呻き声すら上げる彼の無意識の苦悩は、リザの心も一緒に絞め上げる。彼の心が穏やかであれば、リザも同じように穏やかな想いでいられる。
 この不思議な伝染病のような感情の伝播は、二人の共有するものの重さを感じさせるようで、リザは時折それを息苦しく感じることすらある。しかし、こうして二人で過ごす時間は、リザの心の糧になっている事は確かなのだ。おそらく、ロイの方も似たようなことを感じているのだろう。そうでなければ、二人のこの曖昧な関係がこんな風に続くことはなかった筈なのだから。
 絆というものは、時に心強く、時に疎ましい。見えないものに無理に名前を付けるから、そう言う齟齬が起きるのだと分かっていても、人は様々なものに名前を付けて分類することを止めない。名前を与えれば、それを手の中に捕まえておくことが出来るような気がするから。
 名前をつけて分類することで得られる仮初めの安心に溺れ、ようやく彼らは眠ることが出来る。互いの躰に触れ、その存在を確かめながら。
 
(新刊没部分)
  冬の夜

 父のお弟子さんとともに、いつもより賑やかな食卓を囲んでの夕食を終えたリザは、いつも通りテーブルの片付けを始めた。さっさと席を立ってしまった父と対照的に、マスタングはダイニングに残り珈琲を片手に何かの本に視線を落としている。
 いつもと違う一人ではないダイニングは、冬の夜ですらいつもよりも寒さを和らげているようにすら、リザには感じられる。とは言え、やはり古びた家はどこからかすきま風が忍び込んでいるらしく、時折足元から急に冷気が上がってくる。
「……寒い」
 急に吹き抜けた寒風に思わず呟いたリザの独り言に、マスタングは本から視線をあげた。マスタングの座っている場所は、すきま風とは無縁のポジションであるので、当然彼女が寒がっている理由が分からないのだろう。
「寒い? どうしたのリザ、風邪でも引いた?」
 そう尋ねたマスタングは、身軽に立ち上がるとひょいと彼女のおでこに自分のおでこを寄せた。突然、眼前に迫る長い黒の睫毛と、ふわりと触れた前髪、そして自分よりも高い体温にリザは呆然と立ち尽くす。
「熱はないみたいだけど、少し顔が赤いね。後やっとくから、今日はもう休むといい」
 顔が赤いのは貴方の所為だ。
 そんな一言を飲み込んで、リザは食器の山を抱えたまま、一瞬の接触から逃げ出すように台所へと駆け込んだ。
 
(冬の定番ネタ、意外に書いてなかった)


↓以下、ヒュグレSSS
 
 
 
 
  愛してる



 遊び疲れて眠ってしまったエリシアのあどけない寝顔を見つめ、ヒューズはとろけそうな笑顔で娘の頭を撫でた。
「まったく、なんでうちの娘はこんなに可愛いんだろうなぁ。いつか嫁に行っちまうなんて、考えるだけで涙が出そうだ」
 毎度大袈裟な夫の親バカ加減に微笑み、グレイシアはヒューズの肩に手をかける。
莫迦ね、気が早すぎるわ」
「でもよ、グレイシア。いつかまた俺たち二人きりになって、俺たちのどっちかが独り残されて……って思うと、なんだかな」
 昼間、何か嫌な事件でも担当したのだろうか? グレイシアは軍法会議所で働く夫を背後から抱きしめ、その耳元で優しく囁いた。
「大丈夫。貴方の最期を看取るまで、私は死なないわ」
「君ひとり残すのも嫌なんだけどな」
「貴方の方が私より、寂しがり屋でしょ?」
「……君は強いな」
 グレイシアは穏やかな笑顔で、当たり前のように答えた。
「だって、私、女ですもの」
「参ったな……また明日、ロイの野郎に電話してノロケることが増えちまった」
 照れ隠しのようにそう言って彼女を抱きしめたヒューズの腕の中で、グレイシアはイシュヴァールに行った男を待ち続けた日々を一瞬だけ思い出し、自分が軍人の妻である事実を胸の奥で噛みしめた。
 
(I LOVE YOU を訳しなさいバトンで浮かんだ突発SSS。初ヒュグレ)