台所の錬金術師

「まだ決まらないんですか?」
不満を隠そうともしないリザの苛立った声に、マスタングは困った顔で頭を掻いた。
「こればかりは、どうにも……なぁ」
そう言いながら彼は肉屋の店先にぶら下がるソーセージを見つめている。
彼の自転車の前かごに乗せたリザの買い物駕籠には、さっき立ち寄った八百屋で買ったブロッコリーとキャベツが顔をのぞかせている。
リザはその小さな頭脳をフル回転させて、ソーセージ+キャベツ+ブロッコリーを等号で繋ぐメニューを検索する。
家に帰れば、ジャガイモが半ダースにセロリが一束と人参が一本残っていたはずだ。
それを組み合わせれば、ポトフにブロッコリーのマリネを添えれば彩りも良いし、体も温まる。
リザがそう考えていると、マスタングの視線は今度は塩漬けの豚肉の塊へと移動する。
リザの頭の中のメニューは、超高速で組み直される。
塩豚と緑黄色野菜を網焼きにして、キャベツのポタージュを添えれば……
と、またマスタングの視線は店先のサラミソーセージの束へと戻っていく。
やっぱり、ポトフ? それとも……
リザは小さく溜め息をついて、自分より頭一つ分背の高い父のお弟子さんを恨めしそうな目つきで見上げる。
マスタングさん、お夕食、いったい何が良いんですか?」
マスタングは居心地悪そうにリザの視線を受け止めると、また「こればっかりはなぁ……」と呟いて、ぶらぶらと揺れるソーセージとリザの顔とを交互に見つめたのだった。
 
事の発端は、その日の昼食の後の他愛もない会話だった。
三人で囲んだ食卓を片づけながら、何気なく父に尋ねた。
「お父さん。今日の夕食、何か食べたいものありますか?」
「……何でも構わん」
顔も上げずに答える父に、リザは昼食後の珈琲を淹れながら、小さく溜め息をついた。
視線をマスタングの方に向ければ、勘のいい優秀な錬金術師の卵はニコリと笑って先回りにリザに言う。
「ああ、リザの作ってくれるものは何でも美味しいから、君の好きなもので」
リザは先刻よりも大きな溜め息をつき、中空に目をやった。
予測通りの答えとはいえ、毎度これでは張り合いがない。
いや、それ以前に毎日毎日三食の食事のメニューを考えるのは、本当に面倒な仕事なのだ。
リザの父は、こと生活一般に関してかなり無頓着な方であるので、例え毎日同じメニューが続いたところで、文句も言わないだろう。
だが、それでは家族の健康を保つ事は出来ないし、リザの“主婦”としてのプライドが許さない。
だが、毎日、学校帰りに特売品のリストを頭の中に浮かべながら、自分のレパートリーと組み合わせて、夕食の献立を考えていると、リザは自分が一日中食事の準備のことばかり考えているような気分になり、時々リザはとても憂鬱に気分になってしまうのだ。
マスタングの答えだって、一見リザを尊重しているように見えて、全くの思考の放棄、要は丸投げなのだ。
リザはだんだん腹が立ってくる。
例えば夕食のメニューが決まっていれば、リザの仕事は料理を作るだけ。
考える手間が省ければ、少しだけリザの仕事は楽になる。
それなのに、二人ともリザには全く分からない錬金術にばかり夢中になって、「食べたいもの」すら考えてくれようとしない。
それどころか、研究に熱中している間は、二人とも食事が出てこなくても気づかないかもしれない。
ならば、私が一所懸命にやっている事はいったい何なのだろう?
リザの怒りはムクムクと、大きくなっていく。
そりゃぁ、リザには錬金術なんて欠片も理解できないし、家事や身の回りのお世話するくらいしか出来ない。
リザの存在は、とてもちっぽけなものに過ぎないのだ。
でも、彼らだってちょっとくらいはリザに協力してくれたって良いではないか。
リザはぐっと唇を引き結ぶ。
父が相手では、埒があかないことは分かりきっている。
となると。
マスタングさん!」
リザの強い口調に、マスタングは吃驚したように顔を上げ、マグカップを手にしたまま彼女を見た。
「午後から父は出かけますから、お時間ありますよね?」
「……あ、ああ」
リザの剣幕に押されて、マスタングは歯切れの悪い返事を返す。
「今日は買い出しに行きますから荷物が多くなると思うので、お買い物に付き合ってくださいますか?」
リザは少しだけ意地悪く、優しいマスタングが断りようのない言い回しで彼にお願いをする。
「ああ、構わないけれど」
「じゃぁ、その時に一緒にお夕飯のメニュー考えて下さいね」
「ああ、分かった」
“なんだ、そんなことか”とでも言いたげなマスタングの顔が、いつもの笑顔を浮かべる。
呆気ない程にリザの提案を受け入れてくれた彼の様子に拍子抜けしながら、リザは何だか自分一人が腹を立てている事が恥ずかしくなり、ぷいとそっぽを向いて珈琲を継ぎ足す為に台所へと向かった。
 
そんな経緯で一緒に買い物に出た二人は、こうして肉屋の店先でぼんやりとソーセージを眺めながら途方に暮れている。
マスタングの方は本当に困りきっているようだし、リザの方は待ち草臥れてしまった。
こんな事なら、自分でさっさとメニューを決めてしまった方が早かったのに。
意地っ張りなリザはそれでも何も言えず、先に立たない後悔を胸に隣のマスタングをちらりと見上げる。
彼は顎に指をかけ、真剣に肉屋のショーケースを覗き込んでいる。
リザとは顔馴染みの肉屋の店主が苦笑しながら二人の様子を眺め、横から助け舟を出して来た。
「なんだい、今夜のメニューが決まらないのかい?」
リザは困って小首を傾げる。
マスタングは困った顔で、そうなんですと頷いた。
「リザちゃんに任しとけば、いつだって美味いもん作ってくれるだろうに」
「そうなんですが、今日はメニューを決めろと言われてしまいまして。私は料理のことはさっぱり分からないものですから、困っている次第です」
あっさりと肉屋の店主にバラしてしまうマスタングに、店主は腹をゆすって笑い、リザは赤面する。
「リザちゃん、それは可哀想ってもんだ。男にそんな難しいことが考えられるわきゃねぇ」
「でも、マスタングさんは錬金術だって使えるし、色んなこと知ってらっしゃるし」
「何でも知ってる出来る男が唯一知らないもんが、家の中のことなんだよ」
リザの反論を遮って、店主はマスタングの自転車に積んだ買い物籠を覗き込みながら、彼女に尋ねる。
「今、その籠ン中に何が入ってる?」
「キャベツとブロッコリーですが」
答えるマスタングに店主は更に問う。
「お前さん、それでどんな料理が出来るか想像がつくかい?」
「サラダぐらいなら」
「リザちゃんは?」
「……」
「答えられないくらい沢山、ってか」
そう言って笑う見知った店主の顔を見ながら、リザは反論も出来ず頬を膨らませる。
「さっきからその兄さんの見てるソーセージ、美味いから持ってきな。で、美味いもん作ってやりなよ、リザちゃん。どうせ、もうメニューは決まってんだろ?」
そう言いながら店主はリザが返事をする間もなく、六本のソーセージを手早く油紙に包んでしまったのだった。
 
支払いを済ませ、ほたほたと帰路に着くリザは微妙に気まずい思いで、自転車を押すマスタングの後をついて行く。
何だか、自分一人が腹を立て無茶を言って彼を振り回してたようで、どうにも顔をあげられず、リザは自分の爪先だけを見て歩いていた。
そんなリザの様子を知ってか知らずか、マスタングは呑気な口調で振り向きもせず、彼女に話しかける。
「やっぱりリザは師匠の娘なんだな」
「どういう意味ですか?」
リザの疑問にマスタングは少しだけ振り向いて、彼女の方を見ながらこう言った。
「リザも立派な錬金術師だってことさ」
突然のマスタングの言葉に意味が分からず、リザは驚いて顔を上げる。
「私は錬金術なんて、全く分かりません!」
「そうかな?」
マスタングはパッと振り向いて、リザと向かい合う。
「だって、君はこの鞄の中身で料理が作れる。どんな材料を組み合わせて、どんな調味料を使って、どうすれば良いかを理解している。この材料を分解して再構築する、それが料理というものだろう。これって立派な錬金術じゃないかい?」
マスタングの解釈にリザは吃驚して、言葉もなく彼の顔を見つめた。
「例え私がこれらをもらっても、どんな錬成陣を描けばいいのかさっぱり分からない。恥ずかしながら、料理というものを理解していないからね」
「そういうものなんですか?」
「そういうものなんだよ」
夕陽を背に笑うマスタングの笑顔が眩しい。
リザは眼を細め、彼を見つめる。
「だから、役に立てなくてすまない。でも、君にはいつも感謝してるんだ。ありがとう、リザ」
マスタングと見つめ合うリザは、どんな表情をしていいのか分からず、また自分の爪先に視線を落とす。
自分はちっぽけな存在だと思っていた彼女に、彼は存在理由をきちんと与えてくれる。
彼こそ、本当にいろんなものを生み出す錬金術師だ。
リザは嬉しさに頬を染める。
「いえ、そんな」
「いつも、なかなか言えなくてすまない」
そう言ってマスタングは彼女に向かって、情けない顔をしてみせる。
リザは顔をあげてそれを笑い、夕陽が紅くなった自分の頬を染めて隠してくれる事に感謝する。
そんなリザに、マスタングは少し躊躇ってからこう言った。
「今更だけれど、ソーセージを見てて思ったんだが」
「何でしょうか?」
「君の作ったポトフ、あれ好きなんだ。この材料で作れるかな?」
リザは思わず眼を見開いた。
結局、彼女が考えていたことと彼が望んだ事は一緒だったのではないか。
「ああ、無理ならいいんだ。すまない」
慌てるマスタングにリザは笑った。
「勿論、大丈夫ですよ。私を誰だと思っていらっしゃるんですか?」
悪戯な笑顔のリザに、マスタングは少し考えてから彼女と等分の笑顔で答えて寄越す。
ホークアイ家の台所の錬金術師殿、かな」
栄誉ある称号を与えられたリザは、彼に促され自転車の後ろに横座りに乗り込んだ。
「さて、他にポトフ錬成の材料に必要なものは?」
「これで十分です」
「じゃぁ、帰ろうか」
「はい!」
マスタングは、夕陽に向かってゆっくりと自転車を漕ぎ出した。
リザはその広い背中を幸せな想いで見つめ、頭の中でもう一度、彼の好みに合うようなソーセージ+キャベツ+ブロッコリーを等号で繋ぐメニューを検索したのだった。
 
Fin.
 
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【後書きのようなもの】
 大変お待たせいたしました。
 ユウ様からのリクエストで、「若ロイ仔リザで夕飯の買い出しデート」でした。ほんわか暖かい感じを目指しましたが、いかがでしょうか? あんまりデートっぽくないですが、怒濤の本誌展開の分、幸せをここに思いきり込めました。
 リクエストいただき、どうも有り難うございました。少しでも気に入っていただけましたなら、嬉しく思います。
お気に召しましたなら

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