魔法使いのラジオ

時計の針が夜の十時を回る頃、リザはいつもの通りに客間のドアをノックする。
いつも通りの熱い珈琲と少しの甘いものの差し入れをしたリザは、いつも通りには立ち去らず、机に向かうマスタングの背中に向かって話しかけた。
「あの、マスタングさん」
「なんだい? リザ」
「少しだけ、いいですか?」
「構わないけど、どうかした?」
「あの、バカな質問をするかもしれませんけど、笑わないで聞いてもらえます?」
勉強の邪魔をして申し訳ないと思ったが、リザの周囲でこの疑問に答えてくれそうな人物は、彼以外に思い当たらない。
本当は夕食の席で聞いてみようと思っていたのだが、父の目があると言い出せず、ついつい夜食の差し入れにかこつける形になってしまった。
「なに、どうしたの?」
マグカップを片手に、マスタングはニコリと笑って振り向いた。
リザは躊躇いながらも勇気を出して、昼間から胸に抱えていた疑問を吐き出した。
「コインでラジオが作れるって、本当ですか?」
「え?」
あまりに唐突なリザの質問に、マスタングは彼女が淹れてきた珈琲を手にしたまま、目を丸くする。
「それは、錬金術を使って、ということかい?」
「いえ。そうではなくて、本当に言葉通りの意味で、なんですけれども……」
リザは考え込むマスタングの横顔をじっと見つめ、だんだん尻すぼみに小さくなる声で言う。
どうしよう? 言わなければよかっただろうか。
そう思うリザの心配を余所に、マスタングは身を乗り出した。
「コインだけで? 他にヒントはある? コイン以外に必要なものだとか、何センズコインが適当だとか」
持ち前の好奇心をそそられたらしく、マスタングは湯気の立つマグカップを机上に置くと、傍らの紙とペンを引き寄せ、リザの方へと視線を上げた。
彼の興味津々な様子に勇気を得て、リザは昼間、学校で級友から聞いた話を正確に思い出しながら、彼の質問に答える。
「クラスメイトが言ってたんですけど。軍人さんだったお祖父さんが戦場に行った時に、物資がなくてコインとワイヤーでラジオを作ったって、言ってたそうなんです」
「へぇ、それはすごいな」
マスタングは、相槌の言葉と共に紙の上にペンを走らせた。
リザは彼の指先が、“コイン→?”“ワイヤー→アンテナ?”“高周波→磁気振動、電気振動→銅線=ワイヤー”という文字を綴るのを眺め、話を続ける。
「でも、機械もなにもなくて、コンセントもないのにラジオが聞けるなんておかしい、って言い出す子もいて、言い出した子もお祖父さんの話で聞いただけだし、嘘なんじゃないかって話になっちゃったんです」
リザの話を耳に半分聞きながら、ロイはリザの言葉から何やら電気の回路図のようなものを描き始めた。
「でも、そんな嘘をつく必要なんてないですし、それにそんな魔法みたいな事が出来たらスゴいなって思って」
リザは話しながら、マスタングの手が休みなく紙の上に彼女には分からない記号を生み出す様子に目を瞬かせる。
こんな子供の作り話かもしれない、何の具体的なヒントもない話から、マスタングはあっと言う間に難しい図を描き上げ、数値を書き込みながらブツブツ言っている。
本当に魔法みたい。
そう思ってリザは邪魔をしないように、お盆を抱えてじっと傍らで彼の様子を見守っていた。
 
いつもリザに対してはニコニコしているマスタングであるが、こと錬金術や興味深い事象が絡むと途端に怖いほど真面目な顔になり、リザの声も届かない程それに熱中してしまう。
そんなマスタングを見ていると、リザは彼の笑顔を見ている時と同じくらいドキドキしてしまう。
手が届きそうで届かない、兄のようでいて家族ではない、そんなそんな彼の存在はリザにとって特別なものだった。
閉息したホークアイ家に清々しい風を運ぶ彼は、リザの目には本当に魔法使いのように見えることがある。
気難しい彼女の父と対等に議論を交わしたり、壊れた食器を錬金術で直してくれたり、夕食のメニューを当ててみせたり、父と二人の生活では感じ得なかったものがマスタングとの間には存在する。
おそらく彼にとっては何でもないことなのだろう、しかしリザにとっては、それは驚嘆すべき家族の風景なのだ。
自分以外の誰かが自分の為に何かをしてくれること、その幸せをリザは噛みしめながら、マスタングの横顔に見とれていた。
 
リザがぼんやりそんな事を考えている間に、マスタングは数枚の紙に幾つもの回路図を描いては、難しそうな計算を繰り返していたが、やがてパッと顔を輝かせてリザを見た。
「うん、出来る。可能だ」
「本当ですか!」
「ああ。コインというものに囚われてしまっていたが、よくよく考えれば鉱石ラジオの原理を使えばいいんだ。戦場では手に入れにくい鉱石の代わりに、コインを使ったと考えればいい」
リザは彼の言っていることが全く分からなくて、辛うじて自分の最初の質問に繋がりそうな単語に反応する。
「鉱石ラジオ、って何ですか?」
「んー、説明するのは難しいな……まず、ラジオっていうのはラジオ局から発信された高周波から、音の振動を取り出して聞く道具なんだ……って分かるかい?」
分かったような分からないような中途半端な理解で、リザは少し首を縦に振る。
「その音の振動を取り出すには“検波”という働きが必要で、鉱石ラジオは電波の磁界をキャッチして電流にするという方式の電池の要らないラジオなんだ」
こうなると、マスタングが何を言っているのかリザにはさっぱり分からない。
彼女は理解できない自分に苛立ち、口をへの字に曲げた。
リザのそんな様子を見たロイは、弱ったなと頭をかいていたが、ふと思いついたように立ち上がる。
 
「よし、リザ。百聞は一見に如かず、だ。作ろう!」
「え!」
突然のマスタングの提案に、リザはびっくりする。
もう深夜でワイヤーなんてどこにもないし、さっき彼の言っていた鉱石だってホークアイ家には存在しない。
それに、彼の勉強の時間をこれ以上、邪魔するわけにはいかない。
マスタングさん、でも!」
「いや、私も課題に行き詰まっていたところだから、気分転換にちょうどいい」
ぐずぐず言うリザの手を取り、彼は財布の中から硬貨を取り出した。
「材料費は五十五センズ」
リザの手の上に、十センズ硬貨が四枚と一センズ硬貨が五枚並べられる。
「後は、薪と紙とペンと水と塩。揃えられるかい?」
悪戯なマスタング黒い瞳が、リザの瞳をのぞき込む。
まるで今からマジックを披露するマジシャンのような彼の表情に、リザの期待と好奇心が躊躇をねじ伏せた。
「はい!」
今の彼の言った材料でラジオが出来あがるなんて、信じられない。
リザはワクワクと胸を高鳴らせ、それからちょっと違和感を感じて、もう一度自分の手の中を見た。
さっき、マスタングは『材料費は五十五センズ』と言った。
なのに、彼女の手の中には四十五センズしかない。
彼が間違ったのだろうか?
不審に思うリザの表情を読んだかのように、マスタングは笑った。
「うん、後もう一つ。リザの持っている中で一番錆びて一番汚い十センズ硬貨を用意して」
「はい!」
なんだかよく分からないけれど、リザは彼に言われた物をすべて揃えるために、四十五センズを握りしめ客間を飛び出していった。
 
数分後、ホークアイ家の台所は混沌とした様子を呈していた。
机の上には、紙の束とペン、薪、水の入ったコップと塩、それに錆びて緑青の浮いた十センズ硬貨と、四十五センズ分の硬貨のすべてが揃っていた。
マスタングはリザの見守る中、紙にさっと錬成陣を描いて薪を二十センチ四方の板と十センチ四方の板、そして高さ四十五センチはあろうかと言うサイズの細い木製の十字架を作り上げた。
「まず、これがアンテナ」
彼は十字架を指さす。
「大きいですね!」
「ああ、電力を使わない分アンテナを大きくして高周波を掴まえやすくするんだ」
そう言ったマスタングは、今度は四十センズを別の錬成陣の中心に置き、銅のワイヤーに変えてしまう。
そして、五枚の一センズ硬貨を二つのアルミの筒に変えた。
「これはアンテナと回路。こっちはバリコン」
「バリコン?」
「ラジオのチューニングのつまみだよ」
リザにも分かる言葉に言い換えると、マスタングは長い長いワイヤーを十字架に正方形を作るように巻き付けると、余ったワイヤーで小さなコイルを巻き付け、十センチ四方の板の上に何やら配線を組んでいく。
「鉱石ラジオはね、アンテナが電波を捕らえる時、その電波の磁界を掴まえて電流にするラジオなんだ。アンテナとラジオに流れる電流は、受信回路にもっとも流れやすい電流で、その電波を探すのに、この十センズ硬貨が必要なんだ」
リザには何の呪文かさっぱり分からない言葉を呟くと、マスタングは錆びた十センズ硬貨を大事そうにつまみ上げ回路の一端に乗せた。
木の台の上に、コインやコイルやバリコンの乗った不思議な回路と、四角いワイヤー枠で囲まれた十字架を立てたオブジェのような物体を、あっと言う間に組み上げたマスタングは、満足そうにそれを眺める。
「出来た!」
「これが、ですか?」
リザは吃驚した顔で、しげしげとそれを眺めた。
 
鉱石ラジオという語感から、彼女が想像していたものとは似ても似つかぬ巨大オブジェは、台所の机の上にドンとそびえ立っていた。
「まぁ、試してみれば分かるよ」
マスタングは自信満々に回路の一部を塩を溶かしたコップの水につけ、猫の髭のように渦巻いて飛び出した針金を彼女に持つように言った。
「それで十センズ硬貨の上を触ってみて」
おそるおそる彼女がその針金を、硬貨の上に当てた。
が、何も起こらない。
「?」
「君が今やっているのが検波だよ。音が出るところが必ずあるはずだから、探してごらん」
マスタングの言葉に半信半疑ながら、リザは針金の先で十センズ硬貨を撫でていく。
硬貨の表面のでこぼこを丁寧になぞるうち、リザはだんだん硬貨に近づいて寄り目になっていく。
見守るマスタングの表情も、真剣そのものだ。
ゆっくり、ゆっくり、リザは円を描くように十センズ硬貨を探る。
そう、彼女の魔法使いが作ってくれた物に失敗なんてあるはずがないのだ。
リザはマスタングを信じて、訳の分からないオブジェの一角を真剣な目で見つめ続ける。
電波の通じる場所を探して、針金の先で銅貨を探る。
耳を澄ませて、少しずつ針金を移動させて。
 
針金の先が、ちょうど『10』の文字の『1』のてっぺんの部分に触れた時だった。
不意に、オブジェから微かに音がした。
『ガ…ガ…ガ…』
マスタングの指がすかさず、バリコンを操作する。
『…最後のナンバーは、セン……リル…さの…クロス』です、今夜…お相手は、……リュー・ライドでした。それでは皆様、良い週末を!』
いきなり鮮明に聞こえだした音声と共に、小さな小さな音ながら、セントラルで流行りのポップスが流れ出した。
それは、確かに週末の地方局のラジオの番組だった。
成功した!
リザは驚きと喜びにパッと顔を上げ、マスタングの方を見ようとした。
 
と。
リザの睫が柔らかな接触に震えた。
検波に夢中で十センズ硬貨をのぞき込むうち、知らず知らず二人はおでこを付き合わせんばかりの距離まで接近していたのだ。
リザの金の睫はマスタングの頬を撫で、ザラリとした無精髭に引っかかる。
鼻と鼻が触れそうな恐るべき至近距離で、一瞬二人は見つめあう。
ハッとしたマスタングの表情は、今までリザが見たことのない彼の男の一面をのぞかせる。
それは彼女を女として認識する一個の男の視線であり、うっかりそれを表に出した己に舌打ちをしそうな大人の顔だった。
家族ではない、赤の他人の男の生々しい存在感にリザは思わず身を引いた。
その拍子に、手の中の針金を袖口にひっかけたリザは、鉱石ラジオを倒しそうになり、慌ててそれを支えようと自分も一緒によろめいてしまう。
あっ! と思った瞬間、リザの身体は鉱石ラジオごと、大きな手に抱きとめられた。
倒れかかるラジオを支えたマスタングの手は、同時によろめくリザの身体も腕の中に軽々と支え、どしりと頼もしく小揺るぎもしない。
動揺を押し隠し、いつもの笑顔を取り戻したマスタングは、何もなかったかのようにリザに問う。
「大丈夫かい? リザ」
いつもと同じ優しい笑顔。 
それでも、リザは知ってしまった。
その笑顔の下に潜む、マスタングのもう一つの顔があるということを。
『兄のような』、そんな形容を許さない男の顔をもつということを。
 
リザはもう気軽に「マスタングさん」と呼べなくなった男の腕の中で、見知らぬ世界を運び込んだ鉱石ラジオに視線を落とす。
彼女に新たな世界を垣間見せた魔法使いから、視線を逸らし意識を逸らす為に。
錆びた銅貨を見つめても、彼女の混乱した思考は混線したまま。
ラジオよりも複雑な心の振動に振り回されて、チューニングもままならない。
黒曜石の瞳はどんな鉱石よりも強力にリザの信号を受信するようで、リザは高鳴る鼓動をマスタングに悟られぬよう、さっき聞こえたラジオの音よりも小さな声で、ただ「はい」と一言返事をしたのだった。
 
 
Fin.
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【後書きのようなもの】
 大変お待たせいたしました。
 さや様からのリクエストで、「仔リザに若ロイが鉱石ラジオを作ってあげる」でした。若ロイ仔リザの割に、生々しくてすみません。甘酸っぱいを、ちょっと通り越して大人の階段風味です。すみません〜。
 とりあえず、マスタングの蘊蓄は自分が理解しないと書けないのですが、鉱石ラジオの仕組みを理解するのに半月かかりました。orz 電気、苦手なんです…… 頑張った!(頑張るとこが違う気が)
 リクエストいただき、どうも有り難うございました。少しでも気に入っていただけましたなら、嬉しく思います。
追記:大事な事を書き忘れておりました。これはあくまでもフィクションですので、硬貨をラジオの材料に変換しておりますが、日本国の貨幣の加工は『貨幣損傷等取締法』によって禁じられています。念のため

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