Alice Blue Ver.Roy

 夜中にふと、目が覚めることがある。
 別に深酒をして眠りが浅くなっただとか、昼間執務室で居眠りをしてしまっただとか、そんな明確な理由があるわけではない。ただ、本当にぽっかりと眠りの隙間で足を踏み外したかのように、不意に目が覚めてしまう。そんなことがある。
 ロイはシーツの隙間で、そっと目を見開いた。
 カーテンを閉め忘れた窓から差し込む青白い月の光を反射した白いシーツは、薄青い水底のような淡いブルーに染まっている。無音の世界でロイは独りの夜をぼんやりと眺める。時刻はおそらく、日付が変わって間もない頃だろう。珍しく表を走る車の音すら聞こえず、カチカチと時計の音だけが静かな部屋の中に響き、ロイの時間を細切れに切り刻んでいく。自分の心音と重なるような時計の音に、ロイは不意に思う。ああ、時間が。時間が足りない、と。
 己は、二十五で大佐になった。これでも異例の出世だと言われている。だがしかし、この上に大総統職にたどり着くまでに、後いくつ階級があるのか。そして、そこまで上り詰めたとして、そこから頭の固い軍上層部の面々を説き伏せ、議会を復活させるのに、どれだけの時間がかかるだろうか。他国との講和に、どれほどの時間が必要だろうか。民主政という夢は、険しく遠い。それなのに、己はもう人生の三分の一以上を生きているというのに、未だこんなところで足踏みをしている。
 じわじわとこみ上げる焦燥感に、ロイは飲み込まれていく。シーツの海は、その圧倒的な静寂でロイを深い深い夜の水底へと沈める。誰もいない水底で一人、生まれたままの姿でたゆたう己はあまりに無力だ。軍服も階級章も身につけず、発火布も持たず、焔の錬金術もなく、ただ己自身であることに、いかばかりの意味があるのだろう。ロイは、きつく目を閉じる。
 その時、さらりと衣擦れの音がした。はっと振り向けば、金の髪が青いシーツの海に揺れる。ロイの孤独を破ったのは、リザの微かな身じろぎの音だった。ごろりと振り向いたままに寝返りを打てば、リザが彼の隣で安らかな寝息を立てている。ロイはじっと彼女の姿を見つめ、そしてそっと手を差し伸べると、小さな小さな声で彼女の名を呼んだ。
「リザ」
 優しい響きのその声は、眠れる彼女の鼓膜を震わせる。呼ばれたリザは眠りの淵を漂いながら、半分だけ寝返りを打って、ロイの方へと身を寄せた。その拍子に彼女の背の秘伝が、無防備に彼の目の前にさらけ出された。
 月光に照らし出され白い肌に浮かび上がる秘伝は、その内容の与える禍々しい術の行く末も知らぬげに、リザの一部として息づいている。彼が焼いた肌も、彼が抱く身体も、ただ彼女が生きてそこに存在する証として、彼の前に照らし出されている。
 彼女が生涯誰の目にも触れさせぬよう、負い続ける重荷の全て。ロイの目の前でだけ、彼女が安心してさらけ出せる秘密の全て。あどけない寝顔を己に向けるリザを見つめていると、自分だけが彼女の安心できる唯一の場所であるのだと言われているような、そんな想いがロイの孤独の隙間を埋める。
 政治を動かし、国を動かし、たくさんの人間の人生を動かそうと、思い通りにならぬ人生の中で彼は足掻いている。しかし、こうやって一人の女を自分の手の中で守ることもまた、同等の価値を持っているのかもしれない。
 ロイは、彼女に腕枕をしてやる形になった手でシーツの端を掴み、もう一方の手を彼女の身体を抱くように細い腰に添えた。リザがこの孤独の海に沈まぬよう、非力ながらも己が彼女の防波堤になれるのなら。この三十年の人生も、そう無駄ではないのかもしれない。ロイはそう想いながら、己の焦燥を沈める穏やかな寝顔を見つめ、それからそっとその黒い瞳を閉じた。
 
 Fin.
 
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【後書きのようなもの】
 10月のオンリーで出したペーバーの再録です。ペーパーでは、サクラちゃんの素敵絵とのコラボをさせて頂きました。ちょっと肌色多くてドキドキなクセに、夜の静寂をたたえた絵だったのですよ。
 リザとロイの視点の違いに、男と女の違いを出してみたいなぁと。上手くいっていたら良いのですが。
 
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