Ashgray4

「貴女がそう望むのであれば」
ロイはそう言って、言葉を切ると目の前に立つ女のヘイゼルの瞳を見つめた。
彼女とよく似た彼の副官は、痛ましい表情を浮かべ、彼の言葉に耳を傾けている。
「私がそう言うと、彼女は黙って頷いた。そこで私はヒューズに連絡を取り、彼女の逮捕状を用意させた。後のことは、追ってヒューズから連絡が入るだろう。私に出来たのは、ここまでだ」
そう言って話を終えたロイを、リザは言葉もなく見つめ、小さな溜め息をついた。
「私は、この事件をそっとしておくべきだったのだろうか。今となっては、真相を暴く必要があったのか、自問ばかり繰り返している」
リザは、ロイのその言葉に即答した。
「いえ、そんな事はないと思います。そのお嬢さんは裁かれる日を望んでいらしたのでしょう? 我々と同じです。罪を裁かれることにより、人は己が赦されたと感じることが出来るのでしょうから」
確かにロイの葛藤は、リザにも痛いほどに理解できた。
しかし、その錬金術師の娘にとって、それは逆に酷なことであったろう。
 
「確かにそうかもしれない。彼女自身、何度も自首しようと考えたらしいが、母親を思うとそれが出来なかったと言っていた」
「どう言うことでしょうか?」
リザの問いに、ロイは重い表情で答えた。
国家錬金術師殺害の罪は重い。おそらく、死刑は免れないだろう。しかし、彼女が死ねば、彼女の中に受け継がれた母の命を無駄にすることになる。自分でそのきっかけを作ることが出来ず、彼女はあの家で誰かが自分を裁いてくれる日を、ずっと待ち続けていたらしい」
リザは答える言葉もなく、じっとロイを見つめた。
リザもロイも、戦場では死者の存在の上に己の命を保って生きてきた。
しかし、これほどまでに直接的に己以外の者の命を奪った重責を背負わされることは、己の生自体を罪だと言われるも同然ではないか。
命を背負う事の辛さを、改めて突きつけられたようでリザはぶるりと身震いした。
追い打ちをかけるように、ロイは悲しげな声で言った。
「だが、彼女の命は裁判まで保つかどうか……どうやら病気はゆっくりだが確実に進行しているらしい」
リザはロイから視線を逸らして、自分の爪先に目を落とした。
裁かれても死、裁かれずとも死。
それはいかほどの絶望だろうか。
 
そんなリザを見つめ、ロイは自分の考えを整理するように話を続けた。
「私が彼女を犯人と断定したきっかけは、あの錬金術師の描いた錬成陣にあった。あの錬成陣には、本来存在するべき一文が欠けていたのだよ」
「描かれている途中であったとか……」
リザの反論を、ロイは封じる。
「いや、あの文を中心に延命の錬金術は展開されるのだから、それはありえない。“土は土に、灰は灰に、塵は塵に”の一文がない限り、それは彼の延命の錬金術とは言えないのだ。そして、あの錬成陣にはそれがなかった」
「それはつまり……」
「延命の錬金術は、完成していなかったのだよ」
「!!」
話を根底からひっくり返すようなロイの断定の言葉に、リザは目を見張った。
「それでは!」
「ああ、あの時点で彼の論文は盗む価値のあるものではなかった、ということだ。そして、事件解決の後で彼の担当官から閲覧許可の出た極秘資料によると、彼の査定はマイナス評価で、彼が殺されたあの年に結果が出なければ、彼は国家錬金術師の資格を剥奪されることになっていたそうだ」
「では、失われた論文は何処に?」
「彼女が燃やしたのだそうだ。人の命を奪うような恐ろしい術が世に出ぬようにと。まさに、“灰は灰に”だ」
呪文のようなロイの言葉を耳に、リザは彼の話の意味するところを反芻するように、頭の中で整理し直す。
 
殺された国家錬金術師は娘のために研究を行っていた。
彼は研究に行き詰まり、資格を剥奪されかけていた。
それは、彼から娘を救う手段を奪う事に他ならない。
そして、事件の日、その研究は完成していなかったのに、彼は娘にそれが完成したと嘘をついた。
一体何のために。
 
リザの思案顔を眺め、ロイは不意に話題を変えた。
「彼の研究していた延命の錬金術は、非常にユニークな性質のものだった。中尉、君は人間とゾウとネズミの寿命に何らかの共通点があると言ったら、どう思う?」
突然のロイの質問にリザは戸惑い、少し考えて、想像もつきませんと答えた。
「普通に考えれば、この三者に共通項などないとしか言えないだろう。だが、彼は発見したのだ。動物はその種族の別に関係なく、心臓が約二十億回拍動し終えると死を迎えるという事実を」
リザは驚愕する。
自然界には、そんな不思議な法則が存在するという事に。
そして、それを解明しようとする人間の探求心の凄まじさに。
「延命の錬金術とは、その回数を何とかして増やそうと生命の情報を書き換える術を探求するものだった」
リザには全く分からない世界のことを淡々と話すロイは、立ち上がるとリザの前に歩み寄る。
「なのに、あの部屋に残された錬成陣は、延命の錬金術と似て非なるものだった。心臓の動きとその生体内の役割について描かれている部分が大半だったから、私も実物を見るまでそれが延命の錬金術だと信じ込んでいた。私も軍も騙されていたのだよ、彼に」
彼の手がリザの頬に触れた。
リザは黙ってロイを見上げ、その瞳で彼に話の続きを促がす。
「あれは、もっと医療方面に特化した錬成陣だった。なぜ、あの錬金術師がそんなものを作ったのか。彼女の話を聞いて、私は全てに納得がいった」
 
おそらく、ロイが今ここで語っている事は、裁判でも明らかにされない事柄なのであろう。
無意識のうちに、彼はリザに救いを求めている。
そんなロイの姿を見るリザは、彼がどうしても抱え切れぬ苦しみがそこにあるのなら、自分はそれを支えたいと思う。
止まらぬロイの話を、リザは黙って聞き続ける。
 
「あそこにあったのは、端的に言うなら、臓器を移植するような類の医療錬金術だったのだ。それも今のアメストリスの医療では不可能とされている、心臓移植の、だ」
「心臓、ですか? そんなものを取り出してしまったなら、人は死ぬしかないではありませんか!」
リザの驚きは最もだった。
いくら、錬金術が発達したとはいえ、生体練成で動いている心臓を作り出す事は不可能だ。
それに生きている人間の心臓を誰かに与えるならば、与えた側の人間は死んでしまう。
死んだ人間の止まった心臓を移しても意味はないし、それは全く莫迦げた考えにリザには思えた。
しかし、ロイの言葉によるとそれが可能になっていたのは間違いのない事実らしい。
リザは混乱する。
 
「ここから先は私の想像でしかないのだが」
そう断ったロイの表情は、さらに暗いものになる。
「彼女はおそらく心臓病を患っていたのだろう。そして彼女が助かる方法は、心臓移植という今のこの国の技術では不可能なものしかなかった。問題は、誰の心臓を彼女に与えるかと言う事だったのではなかったかと、私は考えた」
リザの頬を滑り降りたロイの手はそのまま彼女の背に回され、リザは座ったまま彼の腰の辺りに頬を押し付けるように抱き寄せられた。
国家錬金術師の地位が危うくなった時、おそらく、延命の錬金術は完成しないものと彼は悟ったのであろう。ならば、彼のとるべき道はひとつ。娘の命を救うことだ」
頭上から響くロイの声と彼の体温に、リザはそっと目を閉じた。
不吉な結末を綴るロイの唇は、止まることなく言葉をこぼし続ける。
「彼は自分の心臓を娘に与えようとしたのではないかと、私は推察する」
リザはロイの言葉に思わず身を固くする。
「親子なら肉体を構成する生命の情報も似ているはずだからな。当然、そうなれば彼は死ぬ。だから、彼は自分が死んでも娘が悲しまないように、最後に彼女に憎まれるために一芝居打ったのではないかと」
そんな! それでは!
リザはロイの言葉を確認するように、呟いた。
「……母親を殺したのが自分であると言えば、娘は自分を憎むと……例え、彼が目の前で死んでも憎しみがあれば悲しみを駆逐すると」
「ああ。しかし、彼の錬金術師は気付いていなかったのだ。自分が研究室に籠もりきりになっている間に、娘がきちんとした自我を持った一人の大人に成長していたことを」
親子の断絶が招いた不幸。
いや、愛情故のコミュニケーションの不足が招いた不幸、なのか。
「彼はあの日、愛する娘に自分の心臓を与え、自分は死ぬつもりでいたのだと思う。しかし、その前に彼は娘に殺された。父を愛するが故にその罪を許せなかった娘に」
空回る愛情、どこにも出口のないやるせなさ。
リザは泣きたい想いで、ロイの背に手を添えた。
お互いがお互いを愛するが故にすれ違った親子のあまりに哀しい結末は、確かに一人で背負うにはあまりに辛いものだった。
リザはゆっくりとロイの背を撫でた。
力強くリザの前に立つ筈の彼は、力なく項垂れている。
 
心臓を他人に与えると言う行為。
それは命そのものを与える行為。
では、この胸に宿ると言う心は、その時一緒に相手の中に入ってしまうのだろうか。
非科学的なことだ思いながら、リザは自分の頭上で脈打つロイの心臓を感じる。
『heart』という単語は、様々な意味を持つ。
「心臓」「心」「愛情」「勇気」「核心」「真髄」
その言葉の表すものは、人の中に存在する根源的なもの。
それを人に与える行為は、愛を以ってしか行えないであろう。
 
He was going to give his heart to his daughter.
彼は娘に、自分の「心臓」を与えようとした。
彼は娘に、自分の「愛情」を与えようとした。
 
似て非なる意味を持った、一つの文章の解釈の違い。
リザはとりとめもなく、そんな事を考えながら、どうにもならぬ家族の悲劇を思った。
しかし、何故、ロイはこの事件にこれほどまでに拘ったのだろう。
リザは話をそらすように、ロイに問う。
「大佐?」
「なんだね」
静かな問い返しに、リザはすいとロイを見上げた。
「なぜ、大佐はこの事件をそれほどまでにお気にかけていらしたのですか」
リザの瞳を見つめながら、ロイは苦笑するように表情を歪めた。
「何故……そうだな、やはり錬金術師の性と言うものだろうか。あの天才的な錬金術師の完成した術があるのなら、知りたいと思った。それが葬られたのなら、取り戻したいと思った。知識の喪失は、とてつもない損失だと」
そう言ったロイの瞳は、ひどく遠い所を見つめていた。
「それだけですか?」
「いや……そうか……そうだな。あの家に行くと、私は君と師匠と共に過ごした日々を思い出していたのだと思う……おそらく、私はその安寧を破った者を、ただ突き止めたかったのかもしれない」
ロイは大きな溜め息をつくと、人とは勝手なものだと呟いて彼女から視線を逸らした。
 
リザはそっと立ち上がると、ロイの背に自分の両手を回した。
ああ、結局この人もただ己の家族を求めて彷徨い続けているのかもしれない。
リザは少しだけ冷えたロイの身体に、自分の体温が伝わればと彼を抱く手に力を込めた。
夜の執務室はその帳に二人を包み込む。
哀しみの海に沈まぬように、リザは闇に目を見開きロイと分かち合った哀しい事件の結末を心の奥底に沈め、そっと封印を施した。
 
Fin.
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【後書きのようなもの】
 初出が07年11月、暗過ぎて書けなくて二年放置してました。やっと書けましたよ。ほんと、どうしようもない話ですみません。
 延命の錬金術の理論にある鼓動が二十億回で、というのは実際にある理論です。興味のある方は「ゾ/ウ/の/時/間 ネ/ズ/ミ/の/時/間」(/を抜いて検索して下さい)をどうぞ。
 
10/20、一部追記修正
 
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