Ashgray 1

「いつ、お帰りになっていらしたのですか?」
執務室のドアを開けたリザは、無人のはずの部屋に上官の姿を認め驚いて思わず声をあげた。
「セントラルからのお戻りは、明日のご予定だったはずですが」
執務室の素っ気ない椅子に身を沈め、腹の上で手を組んだロイはちらりと視線だけをリザの方へ寄越した。
「切り上げて最終便で帰ってきた」
面白くもなさそうに机の上に溜まった書類をパラパラとめくり、ロイはリザの問いに無造作に答える。
そうして書類を放り出すと大きな伸びを一つして、天井を見上げて溜め息をついた。
それ以上のリザの質問を拒むようなロイの態度に、リザは何も言わず手に持った書類を机の端に置くと黙って彼を見つめた。
 
何があったのだろう。
物憂い様子のロイを見て、リザは考える。
散々リザに文句を言われながらも、今回のセントラルへの出張に際し、本来の日程を無理やり一日延長したのはロイ本人だったというのに。
それをなかったことにした上に、直帰せずに司令部に戻ってきたロイの真意が分からず、リザは様々な憶測を巡らせる。
ヒューズ中佐と仲違いでもしたのか、セントラルの将校に無理難題でもふっかけられて来たのか。
否、どれも違いそうだ。
そんな事が原因なら、彼は今頃怒りや憤りといった感情を露わにしているに違いない。
今のロイの状態は怒りとは程遠い、むしろ憔悴しているといった方が近いのではないだろうか。
 
久しぶりに見る力無いロイの様子に戸惑い、リザは部屋を出るに出られずその場に立ち尽くす。
そんなリザにチラと視線を寄越した後、ロイはくるりと椅子を回し彼女の方に向き直ると不意に口を開いた。
「中尉、君は錬金術の基本が何か知っているかね?」
一体どうしたというのだろうか。
ロイの突然の質問に面食らい、不審に思いながらもリザは答えを返す。
「等価交換、でしょうか?」
「そうだ。物質なら同じ質量・同じ構成物質のものを別の形に置き換え作り出す事が錬金術では可能だ。例えば、葡萄からワインを。レンチからナイフを。鉛筆からダイヤモンドを」
素人に講釈を垂れるように、ロイは錬金術の基礎の基礎を至極真面目な顔で語り出す。
仮にも錬金術師の娘であり、焔の錬金術師の副官を務めるリザにこんなふざけた問答をするロイの考えが全く読めず、リザは少し不安になる。
それが表情に出たのだろう。
ロイは少し表情を緩め、リザを真っ直ぐに見つめると再び問いかける。
「では、計る事の出来ないものはどうだろう?」
「計る事の出来ないもの?」
オウム返しにロイの言葉をなぞるリザに、彼は苦く笑って、頷いた。
「そう、例えば」
ギシ
一瞬でロイの顔から微笑の形が消えた。
次の瞬間、恐ろしいほど真面目な顔をしたロイは、椅子を軋ませ立ち上がる。
男の唇が、ひどくゆっくりと動き言葉を刻む。
 
「命」
 
そう言ったロイの瞳のあまりの闇さに、リザは慄然とし表情を強ばらせる。
が、そんなリザの様子に頓着する気配も見せず、ロイはゆったりと彼女の元に歩み寄った。
リザの目の前で立ち止まったロイは、表情を消した瞳の中に彼女を映し低い声で言った。
「中尉、命と等しく交換出来るものなど、果たして存在するのだろうかね」
それはまるで、明日の天気はどうだろう?とでも尋ねるような気安い口調だった。
それでいて、彼の表情はまるで能面の如く心の内を探らせる隙を与えてはくれない。
「中尉、どう思うね?」
そう言いながら、ロイはリザの頬に己の手の甲を滑らせる。
そうしてリザの温もりを確かめるように、彼は彼女の頬から首筋へと己の手を移動させたかと思うと、不意にその首筋を掴むようにグイと彼女の顔を自分の胸元へと引き寄せた。
 
リザは何も言わずに、されるがままにロイに抱き寄せられた。
執務室での上官と副官の範疇を越えたその行為をリザが無条件に受け入れるほど、間近に見たロイの表情には苦悩が透けて見えた。
しかし、耳元で聞こえるロイの心音はゆっくり力強く拍動し、彼の精神状態がさほど乱れていない事にリザは安心する。
首筋にかけられたままの男の手は、リザの存在を確かめるように彼女の背を滑り、再び元の位置へと戻る。
空いた手がリザの腰を抱いた。
彼女は微動だにせず、胸に書類を抱えたまま彼の抱擁を受け入れる。
何か話したければ、ロイの方から話してくるだろう。
話したくないならば、彼女は黙ってこうして彼を受け止めるだけだ。
 
しばしの沈黙の後、ロイが口を開いた。
「君には酷な話かもしれないが、聞いてくれるだろうか?」
リザは彼の胸に顔を埋めたまま、副官の口調で答える。
「お望みとあらば」
「相変わらず、堅いことだ」
揶揄するような響きを含んだ声がリザの耳元でしたかと思うと、首筋に置かれていた男の手が強引にリザのおとがいを掴んで持ち上げた。
あ、と思う間もなく口付けが落とされる。
 
全く仕方のない人。
滅多にを見せない弱さを露わにし、リザに甘える男を拒む事など彼女には出来なかった。
「勤務中です、大佐」
形ばかりにやんわりと窘(たしな)めるリザの唇をもう一度己の唇で塞いで言葉を封じ、ロイは彼女を抱き寄せたまま後ろ手にカーテンを閉める。
「これで誰にも見えない」
子供のようにムキになった口調に、リザは困ったように微笑み、後れ毛をかきあげた。
そんなリザを眩しそうに見て、ロイは独り言のように言う。
「ああ、そうすると本当に似ている」
「何方にですか?」
そう問い掛けたリザに、表情を引き締めたロイは少し哀しげな声で答えた。
 
国家錬金術師であった父親を、殺してしまった娘に」
 
リザは息をのむ。
ロイはそんな彼女を見て、力無く微笑んだ。
「さて、何から話そうか」
そう言ってロイはリザを抱いた手をほどくと、手近な椅子を引き寄せリザに座るように促し、自分もその傍らに腰掛けると長い長い物語を語り始めた。
 
 
To be Continued...
 
 
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【後書きの様なもの】
 お正月に見ていただいた方、お待たせいたしました。元の文章を加筆修正して、アップしていきます。暫くオフ原稿にかかり切りになると思いますので、これでお茶を濁させて下さい。元々は、「国家錬金術師」のタイトルで書いていたものです。
 
 以下、一番最初にアップした時の【後書きのようなもの】より。
 
 「over the phone」から派生したお話になります。電話でヒュロイが話していた、殺人事件の全貌が明らかになります。オリキャラ出てきます。
単体でも読めますが、「over the phone」とのギャップを楽しんでいただくのもありかと思います。