if【case 04】

if【case 04】:もしも、私が死んだら
 
       *
 
リゼンプールまで足を延ばした国家錬金術師勧誘の道程は、様々な手違いと思いもかけぬ出来事との遭遇で、慌ただしくその幕を閉じた。
老いた憲兵の操る荷馬車に揺られ彼らがリゼンプールの駅に着いた時には、既に陽は傾き空を深紅に染め上げ地平に落ちようとしていた。
 
二人は黙ってコンパートメントに向かい合って座り、一時間に一本しかない汽車に揺られイーストシティへの帰路につく。
子供達が人体錬成の理論を完成させていたという余りに大きな事実は錬金術師としてのロイの精神を高揚させ、その結果の悲惨さは人として彼を激しく疲弊させていた。
どうやらその思いはリザも同じだったようで、席に着いた彼女は何かを考え込むように黙り込む。
我知らず溜め息をついたロイは無言で窓の外に目をやり、ぼんやりと見るともなく遠ざかっていくリゼンプールの広大な牧羊地を眺めていた。
 
長閑な風景を眺めながら、ロイは先程まで自分の目の前で項垂れていた手足を失った少年と鎧に魂を定着された弟、そして、あの家の床に残された人体錬成の為に作成された呪われた錬成陣のことを考えていた。
彼らの作り上げた錬成陣は幼き彼ら自身の血に塗れ、まるで彼らの人生を吸収して膨れ上がったかのように禍々しくシンプルに、床の上に大きくその口を開けていた。
床に転がった沢山の薬品の瓶は、彼らが正確に人体の構成に必要な物質を準備していた事を物語り、ロイは兄弟たちの秘めたる才能の大きさに驚愕していた。
錬成陣の中心部は“錬成されたもの”の流した大量の血に隠されて見る事は出来なかったが、恐らく一番重要な部分は“大いなる空白”であろう事は彼にも予測出来た。
問題は、その“大いなる空白”の周囲を如何に計算し尽くした構築式で埋めるか、であるのだ。
血のような紅に染まった空を見ながら、ロイは錬金術師としての純粋な興味で考える。
あの錬成陣には少なくとも彼が一瞥した範囲の内に修正すべきと思われる文言が2カ所、紋章の入れ替えが必要と思われる部位を1箇所見いだす事が出来た。
生体の錬成は彼の専門外ではあったが、少なくとも“焼死体”を作り出す事にかけては彼の右に出るものはいない。
自嘲の笑みを浮かべ、ロイは記憶の中の錬成陣の検証を続ける。

その向かいで、リザは黙ってロイの様子を見守っていた。
無表情なその瞳から彼女の感情を読みとることは難しかったが、ふと気付けばあの荷馬車の上で子供たちの行く末を語って以降、彼女は全く口を開いていない。
頬の上に彼女の視線を感じながら、ロイは窓の外に視線を固定したまま彼女に尋ねる。
「どうした?」
「いえ、中佐が何をお考えかと思いまして」
「多分、君の予測通りだと思うが」
実際、ロイの日常を知り異常なほどに勘の良いリザにとって、単純な普段のロイの思考などお見通しなのが常である。
しかし、彼女はそのまま口を噤んだ。
 
珍しくはっきりしないリザの反応に、ロイは視線を窓の外の風景から彼女へと移す。
ロイの眼差しを受けて、今度はリザがツとその目線を車外へと向けた。
不吉な程に紅い夕陽は今まさに地平に沈もうとしており、彼女の静かな横顔を朱の色に染める。
ロイはその静謐に言葉をかけあぐね、そのまま表情を変えずリザを見つめた。
もしも、これがプライベートの時間であれば、彼は有無を言わせず彼女を抱き寄せ沈黙の意味を優しく詰問する事だったろう。
しかし、汽車の中というパブリックな場に於いて、軍服に身を包んだ彼らがそのような行動をとることは不可能だ。
彼は部下の心情を思いやる上官という立場で、彼女と接するしかない。
 
リザの真意を探ろうとロイが口を開きかけたその時、彼女は不意に視線を戻し彼の階級を呼んだ。
「中佐?」
「なんだね」
「今日の、あの子供達の事なのですが」
荷馬車の上での会話の再現かとロイは安堵し、気楽に先程と同じ答えを返す。
「私は彼らは来る、と思うのだがね。書類の不備があったとはいえ、今日の収穫はなかなかのものだった」
「いえ、その事ではありません。あの、彼らの行った人体錬成という事に関してなのですが」
のんきなロイの返事に対し、リザは固い声で返してくる。
どうしたのだろう、と不審に思うロイに彼女は唐突に問うてきた。
 
「中佐は人体錬成というものが、本当に実現可能な術だとお考えでいらっしゃいますでしょうか?」
リザが錬金術について、ロイに質問をすることなど過去にはなかったことだ。
ロイは驚きながらも彼女の質問の意図が分からないまま、少し考えると正直に自身の思うところを答えた。
錬金術師として答えるならば、可能だと考える。彼らのやり方が不完全であっただけで、理論的に彼らの術の根本に間違いはない。今も考えていたのだが、おそらく失敗の最大の原因は彼らの使用した魂の情報にあると思うのだ」
そう答えて、ロイは再び沈思する。
そうだ、彼らは自分たちの血液を魂の情報として使ったと言っていた。
ということは、彼らの魂の情報の半分を占める父親の魂の情報のコンタミネーションが第一の問題となる可能性が高い。
純粋な母親本人だけの魂の情報として、錬成する本人の肉体の一部、例えば、髪や爪が残存していれば。あるいは……。
 
錬金術師としての性であろう。
追求を止めることのないロイの思考に割り込むように、リザは思い詰めた声で言う。
「中佐は人体錬成をなさろうと思われますか?」
唐突なリザの問いにロイは驚いて思考の淵から現実へと一気に立ち戻り、リザの質問の奥に隠された何かを探ろうと彼女の様子をうかがいながら当然の答えを返す。
莫迦な。人体錬成は禁忌の術だ」
表面的な答えなど要らぬと言わんばかりに、リザは問いを繰り返す。
「例えなにが起こっても、そう言いきれますか? 中佐」
そう言って、リザはいったん言葉を切ると不安げに揺れる瞳でロイを見た。
「例えば、私が死んだとしても」
 
リザの言葉にロイは衝撃を受け、怒りを露わにする。
「何を莫迦な!」
「中佐、例え私が死んだとしても人体錬成をなさらないと言い切れますか?」
ロイの怒りをないもののように流し、リザは真っ直ぐな瞳でロイに問う。
ロイはそれに答えられず、一瞬黙り込んだ。
それはある種のリザの問いに対する、言葉よりも明確な答えだった。
リザは小さく溜め息をつくと、口の中で何か呟くと改めてロイに向き直った。
「中佐、お願いですから、どうぞ、それだけはご容赦下さい」
哀しげに揺れる瞳はロイの姿を映し、言葉をなくす彼に対してリザは静かな口調で続けた。
「中佐もあの子供たちも、人体錬成の……錬金術の成否とその理由については考えが向いておられるようですが、論理的に可能であればその倫理については、考えなくてもよいものなのでしょうか?」
いきなりの重い命題を突きつけられ、ロイは絶句する。
 
確かに彼は錬金術師としての興味から、術の完成という観点で今回の事件を回想していた。
人体錬成が禁忌だとは分かってはいても、その術を考えることを彼は止められない。
手足を失ったエルリック兄弟の兄は失った弟を取り戻すために、あの惨劇の直後に再び禁忌に等しい魂の錬成を実行している。
そして彼らはおそらく自力で立ち上がって、彼の元へ国家錬金術師となるためにやってくるだろう。その錬金術の力を最大の武器として。
 
リザは淡々と話し続ける。
彼女と彼の間には上官と副官という距離がありながら、彼女の言葉はそれ以上に彼との距離を詰めてくるものだった。
「私には錬金術は分かりません。しかし、人体錬成が禁忌である云々以前の問題として、私は単純に怖いのです、中佐」
「何が、だろうか」
薄々リザの答えを悟りながらも、ロイは問い返す。
リザの答えは明確だった。
「私は、私自身に代替えが利くかもしれない、という事実がとても怖いのです。今日、リゼンプールで人体錬成の可能性を見て、彼らの母親という唯一無二の存在ですら再生が可能であるかもしれない事実に、私は激しい恐怖を覚えました。彼らに出来なかった事でも、優秀な中佐でしたら成し遂げられるかもしれない。その時、今ここに存在する私の存在意義はどうなってしまうのでしょうか? 作り直しがきく人間を、誰が大切に思うでしょうか? これは莫迦な考えでしょうか? 中佐」
半ば懇願にも似たその声音は、彼女が錬金術の恐ろしさを真に知っている人間だからこその響きを持っていた。
一息に思うところを告げたリザは、申し訳ありませんと喋り過ぎた自分を詫び俯いた。
 
普段あまり個人的な主張をしないリザの想いに触れ、ロイは彼女の問いに真摯に向き合い、黙って彼女を見つめた。
そして、ゆっくりと彼女の思いを解すように言葉を紡いだ。
「例え、人の形を再生するという意味合いで人体錬成が成功したとして、その人間がそれまでに得た過去や経験まで再現することは不可能だと、私は考える。君という人間に例えるならば、生まれ落ちた日から今日までの日々の積み重ねが君という人間を形作っている以上、再生した容れ物は君とニアリーイコールではあっても、君ではない。私はそれを知っている」
おそらく、人体錬成に成功し新たなリザが生まれたとしても、その背には秘伝の刺青も火傷の痕もなく、イシュヴァールの痛みもロイとの絆も、全てを知らぬ別人が現れるだけのことなのだ。
それは、リザであってリザでない。
 
ロイは軍服を着ている時の彼らのルールを少しだけ破り、リザの指先に触れた。
夕闇に暮れ始めた群青の空の色を背景に、冷えた指先を持て余すリザは戸惑いながらも暫しの間、ロイの温もりを受容した。
「だから、私はあの兄弟が母親を錬成しようとした気持ちを理解することは出来ない」
そう言ってロイは彼女の指先に己の体温を移しながら、少し笑ってみせた。
「今、ここにいる君だけが君であることを、私は知っているのだから」
一瞬、言葉を失いながらも薄闇の中、リザは淡く微笑み、そしてもう一度申し訳ありませんと呟いたのだった。
 
     *
 
「大佐」
風の中で、リザの声が背後から聞こえた。
「風が出て冷えてきましたよ。まだお戻りにならないのですか?」
「ああ」
ヒューズの墓の前で立ち尽くしていたロイは、リザに向けた視線を再びヒューズの墓の方へと戻した。
「……まったく、錬金術師というのはいやな生き物だな、中尉」
冷たい土の下に眠る親友を思いながら、ロイは自分の正直な想いをリザの前で口にする。
「今……頭の中で人体錬成の理論を必死になって組み立てている自分がいるんだよ」
リザは何も言わず、ロイの言葉の続きを待っている。
びょおびょおと風が鳴り、彼らの哀しみを吹き流す。
 
あの日、リゼンプールからの帰りの汽車の中でリザと交わした会話が、ロイの脳裏に蘇る。
確かに、人体錬成を行ったところで死んだヒューズ本人は帰っては来ない。
しかし、生きて動くヒューズともう一度会えるのなら、例えそれが偽物でも構わないとすら思う自分も、確かにここに存在するのだ。
愛する者を理不尽に奪われた者の想いとは、理屈では推し量れないものなのだと、ロイは改めて痛感する。
「あの子らが母親を錬成しようとした気持ちが今ならわかる気がするよ」
そうだ、ヒューズを失った今なら。
 
「……大丈夫ですか?」
そんなロイを責めるでもなく、淡々と今あるところの彼を受け止めるリザの存在に、ロイは救われる。
そう、あの日、人体錬成の無意味さを自分は確認したはずではなかったのか。
失った者は、決して戻っては来ない。
だからこそ、大切なのだ。
だからこそ、守らねばならないのだ。
二度とこの轍を踏まぬ為にも。
 
「大丈夫だ」
ロイは手に持った軍帽をかぶり直した。
弱き己の一面を振り払うがごとくロイは空を見上げ、失ったもう二度とは戻ってこない大切なものを想う。
「いかん。雨が降って来たな」
想いは空に向かい、ロイの中に雨を宿す。
「雨なんて降って……」
別れの雨は、リザの言葉を遮ってロイの頬を伝い落ちる。
 
「いや、雨だよ」
そんな言葉と共に、ロイは人体錬成の理論を己の脳裏から消し去った。
 
Fin.
 
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【後書きの様なもの】
久々の原作補完。
結局、人体錬成ってクローン技術と同義じゃないのかなと思うわけです。
 
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