Topaz

夕食後、ロイがようやく落ち着いて読書でもしようとソファに腰を落ち着けた時、
「あ」
と、ドアの向こうからリザの小さな叫びが聞こえた。
「どうした?」
ロイは開いたばかりの本を置くと身軽に立ち上がり、彼女の声のした方へ歩いていく。
いつも冷静で滅多なことでは声も立てないリザに何があったのかと、ロイが扉を開けると、そこにはバスルームの床に座り込んでいるリザの姿があった。
 
「どうした? 貧血でも起こしたか?」
心配げにそう問いかけるロイに向かい、リザはふるふると首を横に振って見せた。
少しだけ眉間にしわを寄せる表情はどこか苦しそうにも見え、ロイは我慢強い彼女の肉体の変調を疑い、もう一度リザに問うた。
「どこか具合でも悪いんじゃないのか? 今の時間開いている病院はないだろうが、軍の関連施設なら……」
「いいえ、大佐。大丈夫です」
ちょっとした自失状態に陥っていたらしいリザは、ロイの言葉にようやく反応し困った顔をして立ち上がった。
「申し訳ありません、大したことではありませんので」
「大したことがなくて、君が声を上げるとは信じられないのだが」
心配症なロイにリザは微笑んで見せ、そして再び少し困った顔をして言った。
 
「なくしてしまったのです」
「何を」
「ピアスです。タートルを着替えたときに、洋服の生地に引っかかって何処かに飛んで行ってしまったようで……」
「なんだ、そんなことか」
リザ自身に問題がないと分かりホッとしたロイは、そう言うとリザの耳朶に目をやった。
確かに右の耳には彼女のお気に入りピアスが輝いているが、左の耳には小さなピアスホールがボツリと暗い穴をのぞかせている。
痛そうだな、とロイは思いながら、事も無げにリザに言ってのける。
「小さなものだから仕方ない。また似たようなものをプレゼントするから、しばらく他のもので我慢したまえ」
「結構です、大佐」
「遠慮することはない。君が無くしたそれだって、そう高いものではなかったんだし」
確かリザが無くしたそのピアスは、彼女がロイの副官になって何度目かの誕生日に彼が送ったものだった。
彼女の瞳の色と同じ、淡い蜂蜜を溶かした色のトパーズが一石ぽつりと留まったシンプルなピアスは、彼女のヘヴィーローテーションの一角を担うお気に入りの品であった。
使う頻度の高いものが無くなりやすいのは仕方のない事だ。
そう考えるロイに、リザは小さな声で反論してみせる。
「値段の問題ではありません、大佐」
彼女はそう言うと、不満そうな顔でロイを見た。
 
「全く同じものが欲しいのならば、君の手元に残っているピアスを手本に、私が同じものを錬成すればいいだろう」
あっさりと言うロイをリザは少し苛立たしげな瞳で見て、分かっていないというように彼女は溜め息をついた。
「大佐、そう言う問題ではないのですよ。これは、世界にたった一つしかない代替えの利かないものなのです」
ロイがリザの発言を理解しかねていると、彼女は噛んで含めるようにゆっくりとこう言った。
「あれは、大佐が3年前の誕生日に買って下さった、今はもう閉店してしまったお店のオリジナルのデザインで、特殊なアンティークのカットの手法を使っているそうですから、同じものは手には入らないのです」
「だから、私が同じものを錬成すると……」
「でも、大佐。例えばですよ? 宝石(いし)の性質を知り尽くした職人の熟練の技で作り上げられたものと、大佐が錬成されたもの、それは果たして全く同じものと言えるでしょうか?」
リザの分かりやすい疑問の提起に、ロイはなるほどと納得する。
確かに見た目には似たようなものを、ロイは作り出すことが出来るだろう。
しかし、その内質にまで言及されれば、彼はお手上げだと言わざるを得ない。
ロイが納得したことを確認し、リザは言葉を続けた。
「それに、あのピアスにはもっと大切な付加価値があるんです」
そこで言葉を切り、リザは少し躊躇った。
そして、躊躇いがちに先程より少し小さな声で彼にこう言ったのだった。
「大佐が私の為に選んで買って下さって私が3年間身につけたピアスというのは、これの他には存在しないのですから」
流石に気恥ずかしくなったらしく、リザはそのまま俯いてしまう。
ロイは一瞬呆気にとられ、そして思わず頬を緩ませた。
何ともいじらしいことを言うものだ。
ロイは彼女を愛おしく思う。
確かに、そう言う意味ではあれは世界に一つしかないもの、としか言いようがないだろう。
彼が彼女のために選び、今日まで彼女が身につけてきたものという時間と経過が付け足した価値を含めて考えるならば。
自分の贈った物をそんな風に大切に思ってもらえるとは、男冥利に尽きるの一言だ。
 
仕方がない。ロイは微笑んだ。
「よし、分かった」
そう言うとロイは、ワイシャツの袖を腕まくりして洗面所の床にしゃがみ込む。
「君、ピアスを無くしたのは、絶対にこの部屋でだな?」
「はい。さっき鏡で見た時には、両方あったことを確認しています」
「なら、探そう」
「え?」
「代わりの利かない、大事な物なんだろう?」
そう言うが早いか、ロイは床に這いつくばってピアスを探し始めた。
そんなロイを吃驚したようにリザはポカンと見ていたが、やがて嬉しそうな顔をすると自分も一緒にピアスを探し始める。
「こんな狭い部屋なのに、意外に見つからないものだな」
「こんなに小さな物ですから。あの、大佐? 私、自分で探しますから……」
「いいや、絶対に見つけてやる」
ムキになるロイを見るリザの目は、何とも複雑に柔らかな色に揺れた。
そう、まるで今探しているピアスと同じ色に。
感謝を込めた視線をロイに投げ、リザは自分も忙しく手を動かしてあちらこちらを探し続ける。
 
どれほど時間が経っただろうか。
二人は部屋の隅々までひっくり返して、小さな遺失物を探し続けたが、どうにもピアスは見つからない。
いい加減疲れたなとロイが思った頃、リザも同様に思ったらしく、
「大佐、お疲れのところ申し訳ありませんでした。これだけ探して見つからないのですから……」
と、ぽつりと言ってきた。
ロイは少し思案すると、いきなり立ち上がった。
そして、工具箱を手に戻って来ると、中身をゴソゴソと漁りニヤリと笑った。
「これで駄目なら諦めよう」
そう言って、レンチを片手にロイが向かったのは、洗面台だった。
手近にあったバケツを引き寄せると、ロイはリザに確認する。
「君、ピアス無くしてから水道使ってないよな?」
「はい、ですが……」
「可能性としては、もうここしかないだろう」
ロイはそう言って、洗面台の下にバケツを置くと配水管のU字の部分の留め金を力一杯回した。
配水管のU字管から溢れた水がバケツにこぼれ、ロイは手をびしょびしょにしながら、完全にU字管を外してしまう。
ロイが作業をしている間にリザが用意していた新聞紙の上で、彼はU字パイプを振ってみせた。
「さすがに、少し汚れているな」
そう言いながらロイは、真剣な面もちでリザが見守る中、パイプの錆の混じったゴミの中に指を潜らせた。
「申し訳ありません、こんな汚いことを」
「いや、気にするな……む、これか?」
ロイは指先に触った細く固い物体をつまみ上げる。錆にまみれたそれを横に避け、彼は丁寧に指先で汚れを拭った。
「……あ!」
嬉しそうな声を上げるリザの目の前に差し出されたのは、彼らが探し求めた小さな宝石だった。
ほっとしたロイは、レンチを投げ出し床に座り込んだ。
「あ〜、見つかったか」
「大佐、ありがとうございます」
嬉しげにそう言ったリザは、U字管を元の通りに取り付けた洗面台でピアスを綺麗に洗うと、再び自分の耳にそれを付けたのだった。 
錬金術では手に入らないものがある事を改めて思い知らされたロイは、彼女の嬉しそうな様子を見ながら胸の内で考える。
彼女の笑顔と等価交換出来るものなど、この世にはないのだから仕方がないか、と。
それは錬金術を否定する考えのようでありながら、妙に清々しいものだった。
「これでまた付加価値が増えたんだから、今度は無くさないようにしてくれたまえ。配水管から二人で救出、という付加価値がな」
ふざけてそう言って笑うロイを見ながら、リザは真剣な面持ちでこくりと頷いた。
 
付加価値、それはまたの名を思い出と言う。
彼らの日々は、そんな付加価値の積み重ねで出来ている。
 
Fin.
 
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【後書きのようなもの】
ロイアイの日ですよ〜。何とか間に合った!!

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