Alice Blue

真夜中にふと目が覚める事がある。
別に嫌な夢を見ただとか、うっかり昼寝をしてしまっただとか、何か明確な理由があるわけではない。
本当にただ深夜に眠りの空白が出来てしまったような、そんな風に目が覚めてしまうことがある。
そんな時、リザは自分が世界に一人きりであることを知る。
 
夜の街は眠りの海に沈み、起きているものの気配をその灰色がかった青いヴェールの下に隠しきっている。いつもなら聞こえぬ時計の秒針が規則正しく時を刻む音は、リザの中の時間だけを小刻みに切り取っていくのだ。
ベッドの隣では、黒髪の男が眠りの世界で一人安息を貪っている。彼の耳には、おそらくこの秒針の音は届いてはいないだろう。
リザに背を向け彼女には見えない眠りの世界にいる彼の姿は、まるで彼女を拒絶しているかのようにすら思える。
本当はそんな事はないということは、リザにも分かっている。
眠りというものは厳密に個人のものであり、何人もそれを共有することは出来ないのだから。
一人真夜中のシーツの隙間に目を凝らし闇を見つめる時間は、恐ろしいほどに人間が孤独であることを浮き彫りにする。
 
リザは改めて男の背中を見る。
広くて鍛えられた筋肉質の身体が、薄いパジャマの生地に透けて見える。
リザはシーツの中でそっと、男の背に手を伸ばした。
触れそうで触れないところで彼女は手を止め、自分の掌を男の背に翳(かざ)す。
微かな温もりと男が息をする度に緩やかに隆起する肩胛骨の動きが、彼の命がそこにあることを彼女に伝えてくる。
自分のものではない命がそこに生きている安心感と、これだけ近くにいながら眠りの中にいる男には何も届かない不安とに、彼女は少しだけ理不尽な胸の痛みを感じる。
 
リザは時々、自分たちがドロドロに溶けて一つの魂に成ってしまえればいいと、夢想することがある。
そうすれば、一人夜に取り残されることに怯える必要もない。
こんな風に相手の存在を確かめるように、闇に手を伸ばす必要もなくなるだろう。
夢の中の罪に震えて独り己の肩を抱くことも。
 
そんなことをリザが考えていると、不意にロイが寝返りを打った。
はっと手を引くリザの指先が、彼の肩に触れる。
微かな刺激に反応し、半ば寝惚けたロイの声がリザの頭上から降る。
「どうした? 眠れないのか?」
柔らかな声は、彼が眠りの狭間に漂い無意識に彼女に話しかけているに過ぎないことを物語っている。
しかし、無意識のうちにも彼女を気遣い、そうやって声をかけてくるロイの存在そのものがリザを孤独からすくい上げる。
否、無意識だからこそ救われるのだ。
意識の関知せぬ彼の心の奥深くに、自分が存在することを確認できるから。
 
男の逞しい腕が伸びる。
あっと言う間にその胸の中に抱き込まれ、リザは息苦しいほどの充足感に満たされ瞳を閉じた。
男は相変わらず眠りを貪り、リザは闇の中に独り目覚めているけれど、孤独の質量がほんの少し軽くなった、そんな気がした。
二人は決して一つの魂にはなれないけれど、二人が別々の人間である限り互いの温もりを感じあうことは出来る。
それは孤独を薄める安らぎと成り得るのだ。
 
人は孤独だ。
しかし、それを薄めて生きていく術を人は持っている。
リザにとってのその術は、黒髪の男の形を取り、彼女の目の前で生きている。
 
リザはぬくぬくとした男の腕の中で、独りの夜を噛みしめ、そっとありがとうございますと呟いた。
勿論、返事はない。
それでもリザは満足し、眠りが彼女の上に翼を広げる時まで薄青色の闇の中、耳元でトクトクと鳴る男の心音に耳を傾けていた。
 
Fin.
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【後書きのようなもの】
リハビリに短いSS。静かな優しい夜シリーズに入れたかったのですが、少しビターかなと。Alice blueは灰色がかった薄青色です。
お気に召しましたなら。

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