Pink

久し振りに太陽が顔を出したある日の午後、非番のリザは一人で家中を片付けていた。
ロイがいないと家事がいつもの倍は効率良く片付くのは気のせいではないだろうと、リザは苦笑しながら黙々と洗濯物を干し続ける。
干し終わった洗濯物がベランダにはためく光景を眺めていると小さいながらも達成感があり、リザの顔に自然と笑顔がこぼれた。
洗濯を終えたリザは、続いて部屋中の埃を追い出すべく箒をふるい始める。
二人で共に過ごす時間が一番長いリビングから始まり、ベッドルーム、台所、洗面所と順に掃除を進めれば、さほど広くない二人のアパートはすぐに片付いてしまう。
残る部屋は一室。その一室の前で笑顔を消したリザは、最後の難関を思い小さな溜め息をついた。
 
その部屋……本と書類とで溢れたロイの書斎を掃除するに際しては、ロイから言い渡された様々な決まりごとがあった。
ひとつ、デスクの上は触ってはならない。ひとつ、例え床に専門書の塔がいくつも出来ていようが決して本棚に片付けてはならない。ひとつ、カーテンは絶対に開けない。ひとつ、本棚の専門書は触らない。エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ。
数え上げればきりがないそのルールは、いっそ掃除はするなというロイの意思表示なのではないかと勘ぐりたくなる程だったが、掃除をすればきちんと礼を言ってくる所をみると、それはリザの考え過ぎのようでもある。
とりあえず換気をしてザッと埃をはらい、床に積み上げられた本の山の数によって箒がけの範囲を決めよう。リザはそう考えると、意を決してロイの築いた魔窟の扉を開いた。
 
書物が傷むからと遮光カーテンを引き巡らせた部屋は明るい午後の陽光を締め出し夜の領分を保ち、僅かに糸のように細く差し込む光の中に埃が踊っているのが見て取れる。
リザは換気の為に細く窓を開けると、暗い部屋の中を見渡した。
今日は床の見える範囲が、いつもよりは広い。リザは少しホッとして書類と本とが散乱する机を視界に入れないようにして、床に林立する本の山を避け、非常に不本意ながらも注意深く四角い部屋を丸く掃いた。
ただでさえ狭い部屋の掃除はあっという間に終わってしまい、リザは不満げな顔で片付かない部屋に視線を走らせる。
今度のロイの休みに一度、床の本を片付けてもらおう。でないと本に黴が生えると脅かせば、少しは協力してくれるかもしれない。
まったく父といいロイといい、錬金術師とはどうしてこうも片付けの出来ない人種なのだろう。
ブツブツと不満顔で窓を閉めたリザはそう考えながら部屋を出ようとしたが、ふと何かが引っかかり部屋の中を振り向いた。
何だろう?視界をかすめた何かがリザの中の警報を鳴らした。
注意深くリザは部屋中を見回す。答えはすぐに見つかった。
“鷹の目”の異名そのままに、何事も見逃さぬリザの瞳が捉えたもの。
それは、本棚の一角に無造作に突っ込まれている軍の書類回覧用の封筒だった。
 
普段錬金術に関するもの以外は置かれていない部屋に、仕事関連のものがあるのが違和感の元だったのだ。
本棚の本を触ってはいけないとは言われているが、書類を触ってはいけないとは言われていない。
リザは言い訳のように考えて、封筒を手に取った。
封筒の表の署名欄にはハボックを筆頭にリザを除いたチーム・マスタング全員の名が記されている。
まさかロイが回覧物をリザに渡そうと思いながら、うっかり本棚に突っ込んで忘れてしまったのではないだろうか?
重要書類でなければ良いのだが。
リザは慌てて中身を確認するべく封を開けた。
が、袋の中身を手にしたリザは、呆れてものが言えなくなってしまった。
 
リザの手の中にあるもの、それは。
扇情的な裸の女が表紙になった本、そう、いわゆるエロ本だった。
 
まったく……。
エロ本を握りしめ脱力したポーズのまま、リザは思わず膝をついた。
人が家事やら仕事やらで頭をいっぱいにしている時に、男どもはなんと呑気な日常を過ごしているのだろう!
パラパラとページを繰り、いかにもなポーズを取るヌード写真とキャッチコピーを斜めに見ているうちに、リザは何ともバカバカしくなって思わず笑いだした。
果たして部下からエロ本を回してもらえるのは、上司として慕われている証拠なのだろうか?
それとも同類のバカだと思われている証しなのだろうか。
まぁ、部下に嫌われて鼻つまみにされる上官よりは、余程マシではあるのだろうけれど。
どちらにしても、重要書類かと思って吃驚させられたお返しくらいはしたいものだ。
苦笑してそう考えるリザの手が不意に止まった。
彼女の鋭い眼光の射抜く先には、童顔の女がペタンコの胸をさらけ出したヌードの上に『貧乳萌えトレンド到来!』とポップな見出しが踊るページが開かれていた。
リザは無意識の内に自分の胸の量感を両手で確かめてちょっと複雑な表情をすると、本を封筒の中に戻し再び封を施したのだった。
 
     * 
 数日後。
 
「大佐っ!!」
午後の会議から帰ってきたロイは物憂げな視線をあげ、血相を変えて走ってくるハボックを鬱陶しいものを見る目つきで見た。
「何だ?騒々しいぞ、ハボック」
そんなロイの様子にも構わず、チーム・マスタングの男どもが全員ロイの周りに集まってくる。
「一体何があったんだ? お前ら」
あまりの皆の剣幕に姿勢を正したロイの目の前に、ハボックはあの封筒を突き出した。
「どういう事ッスか、これは!?」
ハボックの形相に気圧されて、その手元に視線を落としたロイの目が驚愕に見開かれる。
 
リザ・ホークアイ
 
ハボックの持つエロ本入り封筒の回覧済みサイン欄の一番下に綴られていたのは、チーム・マスタングの紅一点である彼の副官の名前だった。
ロイは思わず顎が落ちそうになる。
「大佐、気付いてなかったンスか!」
ロイの反応に逆に驚くハボックたちを手で制して、ロイはクラクラする頭を抑え冷静に思考をまとめようとするが、彼らは喋るのを止めない。
「大佐、何で見つかるようなとこに隠すんですか!」
「うわぁ、中尉の視線が怖い……」
「アンタ、バカですか!こういうもんは隠し通すのが同居人への礼儀っしょ!?」
「だいたい、少尉に返す時点で気付いてないのは駄目でしょう」
「待て、お前ら。ちょっと待ってくれ……という以前に、いつ見つけられたんだ……」
蚊の鳴くような声で弱々しく言葉を挟むロイを無視して、彼らはギャアギャアと喚き続ける。
 
その時。
バタン! と激しい音をたて扉が開けられた。
ピタリと静まり返った男達の背後から、氷のように冷たい声が浴びせられる。
「仲が良いのはよろしいですが、職場ではどうぞお仕事を。その代わり、プライベートで何をなさろうと何も申しませんから」
たっぷりの棘が含まれた台詞に男達は飛び上がる。
リザの口調からその言葉がロイに向けられたものだと分かっているはずなのに、冷たい汗が彼らの背中を濡らす。
「分かったなら、返事を……」
「イエス、マム!!」
リザの言葉を途中で遮った4人の返事は恐ろしい程に綺麗に唱和され、蜘蛛の子を散らすようにあっという間に彼らはその場から逃げ去った。
後には件の封筒を押し付けられて呆然と立ち尽くすロイが、ひとりポツンと残される。
 
「さて、大佐?」
「ハイ!」
知らず知らず直立不動の姿勢をとったロイの背後にカツカツとリザの軍靴の音が響き、ロイの真後ろで止まった。
背中にリザの静かなプレッシャーを含んだ気配を感じ、ロイの顔はヒクヒクと引きつる。
「ひとつ、お伺いしたい事があるのですが」
「何でしょう!」
思わず敬語になるロイに、リザはぼそりと言った。
「貧乳萌えって何ですか?」
「うわぁ〜!!」
ロイの叫びにかぶせるように、リザは背後から低い声で囁くように繰り返す。
「貧乳萌えって何ですか?」
「……ゴメンナサイ……ユルシテクダサイ」
暑くもないのにロイはダラダラと大量の汗をかいている。
 
「大佐」
「ハイ?」
貧乳以外の言葉がリザの口から出てホッとするロイの耳に、先程とは一転した優しい声が響く。
「最近、書斎の床がいつも本の山で埋まっていて、掃除が出来なくて困っているのですけれども」
「分かった! 片付ける!」
「書斎のデスクの上も久しぶりに拭いてみたいな、なんて思うのですけれども」
「何とかする!」
脊髄反射のごとく返事をするロイの背後で、リザの口調が更にやわらいだ。
「それから急いで頂きませんと、次の会議までにあと7分しかないのですが」
「すまん! すぐに行く!」
叫ぶように答えて、リザから逃げ出す口実を与えられホッとしたロイは脱兎の如く部屋を飛び出していく。
後ろも見ずに駆けていくロイの姿が見えなくなるまで見送り、独り残されたリザはポソリと呟いた。
「ちょっとやり過ぎたかしら」
その言葉に微量の笑いが含まれていた事は、リザ本人以外誰も知らない。
 
Fin.

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【後書きの様なもの】
 淑女の皆様はダーリンの『おかず』を発見しても,こんな悪さはしてはいけません。(笑)
 大人向けですかね、一応。えーっと、「私はギャグが書けない」という所から1年くらい温めていたバカネタを発掘して書いてみました。書いてみてやっぱり、コメディは大丈夫そうだけどギャグは無理かな〜と言う結論に達しましたよ。

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