Bullet Opera

「これで丁度ワシの五〇勝ね。マスタング君、キミ、スジは悪くないけど詰めが甘い」
黒のポーンで白のビショップをカツンと倒し、東方司令部の最高司令官・グラマン中将はタヌキのような顔で笑った。
その向かい側で、己の手を読みキングの逃げ場がないと悟ったロイは、落とされた自分の駒を拾い上げ苦笑した。
「“今日こそは”と思ったのですが、勝ちを急いでしまったようです」
「そう、キミ焦りすぎ。まだまだ若いね」
そう言ったグラマン中将は傍らの木彫りの熊の置物を撫でて、ついでのように言い足した。
「五〇勝記念にキミに頼みたい事があるんだけど、いいかな? ちょっとプライベートなことなんだけど」
「何なりと」
そう答えるロイに、グラマン中将はカラカラと笑ってみせた。
「なに、妙齢の女性をエスコートするだけだから。キミにはうってつけの仕事だと思うけどね」
そう言った中将の顔はやっぱりタヌキによく似ていて、ロイは腹の中で面倒事を押し付けられるのだなと苦笑した。
そして、その予測は見事なまでに的中したのだった。

       *

「まったく、何がレディのエスコートだ。体のいい子守り兼ボディガードじゃないか」
劇場の控え室に置かれたベルベットの豪奢な椅子に腰掛け、不機嫌な顔を隠そうともしないロイは、長い足を優雅に組み換えた。
シンプルなタキシードに身を包み、髪型をオールバックにした正装が嫌みなほどに似合う上官に、略正装のブレダはぼそりと返す。
「いや、寧ろいつも通り仕事、っつった方が近いと思いますけどね」
ぽっこりと出た腹を黒いスーツの上着に隠す彼の隣では、上着を脱いだベスト姿のハボックがアームバンドで袖を留めながらぼやく。
「大佐はまだ良いじゃないッスか、麗しい令嬢と東部で一番の格式ある劇場の特等席でオペラ鑑賞。俺たちはこんな堅ッ苦しいスーツで捕り物予定なんスから。お? フュリー、よくお前のサイズのフォーマル、レンタルにあったな」
「失礼ですよ、少尉」
無線機のチューニングに忙しいフュリーは、ハボックのからかいをサラリと流す。
「未だにドレスコードのある劇場なんてあるんですねぇ」
しみじみと言って、ファルマンは窮屈な襟元をしきりに直している。
ぶつぶつ文句をいう男どもを横目に、リザは黙々と黒のイブニングドレスの隠しに銃を装着していた。
その時、彼らのいる部屋のドアがノックされた。
チーム・マスタングの五名はさっと立ち上がり、ロイの後ろに整列する。
不機嫌な顔を崩さず頬杖をついたまま、「どうぞ」と相手に入室を促し、ロイはこめかみに指を添えた。
どうやら、彼は機嫌を直す気はないらしい。
開いた扉の向こうには、ダークスーツに身を包んだ如何にもボディガード然とした厳つい男が立っている。
ロイ・マスタング大佐、本日はお嬢様をよろしくお願いします」
「了解した」
鷹揚に答えるロイは軽く手を振って、己の部下たちに出陣を促す。
頷いて部屋を出る彼らを見送った後、ロイはゆったりと立ち上がり、控え室を後にしたのだった。

桟敷席に案内されながら、ロイは男に状況を確認する。
「今回の誘拐計画の情報源は?」
「うちの子飼いの情報屋です。この手の情報は当家には常に舞い込んでおりますが、かなり信頼出来るスジの男ですから、今回のお嬢様誘拐の決行日が今日であることに間違いはないでしょう」
「資産家というのも大変だな」
「おかげ様で。まぁ、軍にもそれなりの貢献はさせて頂いておりますので、大佐にも悪いお話ではないと思いますが」
ああ、つまりグラマン中将のパトロンと言った所か。
ロイは納得して話を具体的な方へもっていく。
「で、犯行グループの計画の大筋に変更は?」
「ありません。以前お話した通り、テロリストに扮したメンバーが劇場内で空砲を用いて発砲事件を起こし、場内がパニックに陥った隙にお嬢様を誘拐するつもりのようです」
憲兵は?」
「脅迫状も確たる証拠もないのに部隊は動かせない、と。お嬢様は頑固に観劇を取り止める気はないと仰いますし……我が侭なお方ではないのですが、何ぶん我が主にとってはたった一人のお子様でいらっしゃいますので」
「で、グラマン中将に泣きついたと」
「有り体に言うならば」
ふんと鼻をならして、ロイは辿り着いた桟敷席の扉に手をかけた。
「安心したまえ。当方の部下は優秀な者ばかりだ。それに、万一の際には令嬢は私が必ずお守りする」
「お願い致します」
不遜とも言える態度すら当然のように絵になる正装のロイの姿は、扉の向こうに消える。
「初めまして、ロイ・マスタング国軍大佐です。この度はこのような素晴らしいオペラをお嬢様とご一緒させて頂く幸運を賜り……」
立て板に水、といった美辞麗句が彼の口から綴られるのを遠くに聞き、ボディガード氏は扉の前に陣取ったのだった。

ロイが窮屈な桟敷席に収まった、ちょうどその頃。
一階の一般席の最後部では、パラパラと入場する客を見守りながらハボックは感心したようにブレダに話しかけていた。
「こんだけの人間がめかしこんで、太ったおばさんが歌うの見に来るなんてすげーな」
「バカかお前は」
油断なく目をあちこちに配るブレダは、インカムに送られてくる入口をチェックする部下たちからの情報に耳を傾けつつ答える。
「見に来るんじゃなくて、聞きに来るんだよ、バカ。だから容姿よりも声量を保つ体力がいるから太ってんだ、バーカ」
「バカバカ言うな、言う方がバカだ」
「ウルサい、黙れバカハボ。チャッチャと探すんだよ、不審者を」
「探してるっつーの、でも、特徴も分かんねーのによ」
「だ、か、らだ。さっきから言ってるだろう、俺たちみたいに正装が板についてない奴、大佐のいる桟敷席ばかり見てる奴、観劇グッズをもってない奴……」
「だ、か、らだ。探してるっつって……あ、居た」
「は!? えっ? 何処に!」
あまりに唐突なハボックの言葉に伸び上がるブレダに、事も無げにハボックは答える。
「あれ、あの中央右手の花束持った奴」
「あれが不審物か?」
ハボックがチラリと視線を寄越した先には、少し大きめの花束を持った男がさりげなくB扉の方を気にしながら、通路脇の席に立っている。
「歌手に渡す花束なら受付で渡している筈だし、デートなら開演間際のこの時点で女がいないのはおかしいってか、アイツの隣の席埋まってンじゃねぇか。第一、あのサイズの花が両手で支え持たなきゃならんほど重いわけがない」
確かに男の手の中の花束は、妙にずっしりとした量感を持っている。
「中身は多分ショットガンだな」
「ハボ……。お前、時々スゴいな」
「おう! もっと誉めろ」
調子づくハボックを無視して、ブレダは足元に置いた無線にぼそりと声を落とす。
『こちらホール班、不審者発見。B扉チェックお願いします』

『了解(ラジャー)。こちらフロア班、B扉チェック向かいます』
エントランスで応答したリザは、フュリーと共に何気ない足取りでB扉側の通路に向かう。
ビーッと開演のブザーが鳴り、ホールの客電が一斉に落ちた。
「急ぎましょう」
ハイヒールを履いているとは思えない速い足取りで歩くリザの前方には、誰もいないガランとした通路が続く。
ホールでは一幕目が始まったらしく、男声の導入歌が響き始めた。
B扉付近には人影はなく、彼らは傍らの化粧室をチェックする。
始めにリザが女性用が無人であることを確認し、次いでフュリーが男性用を確認しに入った。
少しの間の後、
「中尉!」
フュリーの小声の叫びと共に、脱兎の如く中年男が化粧室から飛び出してくる。
目の前に立つリザを一般客と思ったのだろう、荒々しく彼女を突き飛ばそうとした男の視界がぐるりと回転した。
鮮やかに男を投げ飛ばしたリザは、鋭いエナメルのヒールで男の右手を踏みつける。
思いもかけぬ衝撃と痛みに呻く男に、リザは低く落とした声で聞く。
「任意でお話をうかがえますか?」
「何だ?あんた、何者だ?」
訳も分からず問い掛ける男の後を追って化粧室から出て来たフュリーの手には、男が所持していたらしい銃器と不審な道具が握られていた。
それを見たリザの声音が、詰問調に変わった。
「仲間の総数と配置場所、それから計画開始時刻は?」
「何の事だ?俺はただの客だ」
男はしらばくれるがリザはにっこり微笑んで、男の喉仏にもう一方のヒールを載せ、その踵に力を込めた。
「ホールの男が暴れるのは何時?」
計画の概要をリザが知っているらしい事に、男は愕然と目を見開く。
「喉仏って男の急所なの、潰れたら死ぬかもしれないって知ってた?」
優しい声で、リザは苦痛に歪む男の顔を冷酷に見下ろしている。
「誘拐なんて割りにあわないわよ。五つ数える間だけ待つわ。5、4」
間髪入れぬカウントに呆然とする男の喉が、リザの足の下でギシと軋む。
ゲボゲボとむせながら、男の左手が床を叩く。
「3、2、もう一度聞いてあげる、仲間の総数と配置場所、それから計画開始時刻は?」
ヒュウヒュウと窒息寸前の息を吐き、男はリザが本気である事を悟る。
「ご、5人、だ」
リザの踵が少しだけ緩む。
「ホールに1人、エントランスに俺ともう1人、桟敷に2人だ」
「桟敷席のボックスナンバーは?」
「……No.12」
たたみかけるようにリザは聞く。
「何時?」
ホールの喝采が遠く響く中、ゼイゼイと肩で息をする男は、がくりと肩を落とし力無く言った。
「2幕のNo.14超絶技巧アリアが合図だ、、、」
答えを聞いたリザは男の確保をフュリーに任せ、ファルマンの待機する無線機のある部屋に飛び込んだ。
「ホール班に伝えて!ハボック少尉は直ちにNo.12の桟敷席へ向かって。ホールの不審人物の確保は騒ぎになるとマズいから最後、それまでは監視で。危急の時はブレダ少尉の独断に任せます。1幕のフィナーレまでに終わらせるわよ」
「Yes,mom」
「通信が終わったら、准尉は曹長と合流しフロアの犯人確保に向かって。詳細は曹長に聞いて頂戴」
「I,mom」
簡潔な返事と共にファルマンは、淡々と無線機に向かう。
『こちらベース。ホークアイ中尉より1幕のフィナーレまでに作戦完了せよとの指示あり。ハボック少尉は至急2階No.12ボックスに向かうように。ブレダ少尉は引き続き被疑者監視を、危急の時は独断で動けとの事です』
 
『こちらホール、了解した』
男声のアリアが始まった舞台を横目にハボックはスルリと扉を抜け出し、音もなく通路を駆ける。
階段を駆け上がったハボックに、反対側の階段を上がって来たリザが合流する。
「中尉!」
「2幕中盤の曲で相手は仕掛けてくる、1幕の内に片付けるわよ。まずは貴方と私で桟敷の2人組から」
「I,mom」
そう答えて笑ったハボックの顔が、ふとリザの姿を確認して引きつった。
「中尉!何すか、それ!」
「何って、何が?」
「服ッス!スカート!」
ハボックが驚くのも無理はない。
控え室にいた時、彼女のドレスのスリットは確かに膝までしかなかった。
しかし今、そのスリットは太股の付け根ギリギリの所まで深く裂け、見事な脚線美が露わになっている。
「ああ、これね。走れないし、動き難いから」
「……自分で破ったンスか」
脱力するハボックに、リザは事も無げに言う。
「大丈夫、ちゃんとスパッツ履いてるから」
「そーゆー問題じゃなくってですね」
「大丈夫。買い取りになったら経費で落とすから」
「いや、そーじゃなくて……」
言葉をなくす彼をさも不思議そうに見るリザに、ハボックは何を言っても仕方ないと諦める。
そして、なるべく悩ましい白い肌を視界に入れないよう努力しつつ、己の本分に戻るべく話を戻す。
「いや、いいッス……それより桟敷の奴ら、どうしましょう?」
「二人一度には面倒だわ」
「どうやって引き離しますかね」
「どうも素人臭いのよね、オーソドックスな方法で良いんじゃないかしら?」
ニコリと好戦的に笑うリザに、ハボックは笑い返す。
「了解っす、じゃ行きますか」
端から見れば談笑するカップルにしか見えない正装の二人は、劇場には不似合いなバイオレンスな一幕を演じる為、男声の恋のアリアをBGMに簡単な打ち合わせをしながら目的の桟敷席へと向かったのだった。
 
男声の恋のアリアが終わる頃。
ロイは桟敷席で退屈して、あくびを噛み殺していた。
お喋りな令嬢がオペラが始まった途端舞台に夢中になってくれたのはロイにとっては好都合だったが、興味もない歌劇を延々見続けねばならない苦痛は何とも言えないものだった。
舞台の上では寸劇に続いて、ロイでも知っている有名で非常に難易度の高い女声のアリアが歌われている。
技巧的なコロラトゥーラが響く中、よそ見をしていたロイは斜め向こうの桟敷席に不穏な動きがあるのに気づく。
よくよく目を凝らせば、ロイの良く知った金髪の部下たちが音も立てずに乱闘を繰り広げている。
ロイ以外の観客は舞台に釘付けで、その騒ぎには気づいていないらしい。
まぁ、こんな一幕中盤の見せ場でよそ見している物好きは普通いないだろうが、それにしてもやる事が大胆だな。
普段の自分を棚に上げ、ロイはハボックとリザの無音の大捕り物をニヤニヤと面白がって眺めている。
ソプラノ歌手が朗々とアリアのクライマックスを歌い上げた時、リザの回し蹴りが静かに男の首筋を強打し、男がクタリと崩れ落ちるのが見えた。
歌手への拍手喝采を聞きながら、ロイは鷹揚に二人の部下へと拍手を送ってやる。
二人の姿がロイの方に向けて小さく敬礼を寄越して、すぐに扉の向こうに消えた。
この分だと、一幕が終わる頃には解決するかな。
ロイは己の有能な部下たちに満足し、ほくそ笑む。
その笑顔を見た令嬢がロイに話しかけた。
「あら、マスタング大佐、今のアリアがお気に召しまして?」
「全く、素晴らしいクライマックスでしたね」
勿論舞台の上ではなく、桟敷の上の、ですが。
腹の内でそう付け加えながらもそんな事はおくびにも出さず、その正装に良く似合う不遜な笑みを再び浮かべたロイは、己の部下たちによって舞台裏で繰り広げられるている一幕に想いを馳せながら、流れ始めた五重唱に小さくブラーヴォと賞賛の声をかけたのだった。
 
Fin.
 
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【後書きの様なもの】
サクラリウム様で開催された帝王祭りに出品させて頂いたSSです。
マスタン組全員集合は、書くのがとても楽しいので大好き!です。この作戦の背景で演じられているオペラは魔笛をモデルにしています。で、書いている間中ずっと夜の女王のアリアを聞き続けていたら、リザさんが女王様風味になってしまいました。そしてそれが非常に好評で、いやはや嬉しいな〜っと。(笑)