17.国家錬金術師【03.Side Riza 〜誓い〜】後編

【Caution!】
このSSは、超未来捏造話です。苦手な方はお避け下さい。
 
 
 
 
 
 
  
 
あの日、あの人は彼の持つ全てをもって、誠心誠意、私に言葉を尽くしてくれた。
長年共に同じ道を歩いて来た我々は、往々にして語らずとも何となく通じ合うものがあり、それで通してしまう場面も少なくはなかった。
あの時とて、そうする事も可能ではあった筈だ。
しかし、彼はそうはしなかった。
 
彼の決意を納得することは私には出来ない事であり、しかしながら私がそれを受け入れないわけにはいかない事は、彼も私も分かっていた。
それを拒否する事は、我々が求め歩いて来た道を否定すると同義になってしまうのだから。
二人ともそんな事は厭というほど分かっていたし、相手がそう思っている事も痛いほどに分かっていた。
 
それでも彼は幾日も考えたのであろう、私の為にあれだけの言葉を用意してくれていたのだ。
彼自身も悩み苦しんだであろう日々を、優しい穏やかな笑顔の裏に隠して。
泣き続ける私の弱さに彼自身揺れながらも、それでもきちんと約束の言葉を残してくれた。
 
言葉がなくても通じ合うなんて、そんな事は本当は有り得ない。
言葉にしなくては、弱い我々は不安になったり、疑ったり、独りよがりで勘違いしたりしてしまう。
例え僅かな言葉でも、真実を載せた言葉は心の奥深くまで届き、そこに灯火をともすのだ。
その道標となる灯りが、私の胸の奥深くに温もりをもたらす。
 
彼の尽くしてくれた想い、それに応えるのが私の誠意。
ならば。
せめて彼が後顧の憂いを残さぬようにするのが私の務め、私に出来るせめてもの。
私は持てる意志の力を振り絞って、顔をあげた。
 
「取り乱してしまって、申し訳ありませんでした」
 
潤んだ目に映る雲一つない空は奇妙な程に一様の青に染まり、まるで時が止まったかのようにさえ感じられた。
目線を移せば、彼が眉根を下げて、書類を沢山溜めてしまったときの様な顔をしているのが目に入った。
そう、私の前でだけ晒す、そんな情けない顔も愛おしかった。
私は口角を上げ、なるべく穏やかな表情を作る努力をする。
 
「承りました」
 
私は笑った。
泣きに泣いた自分がどれほど酷い顔をしているかは、私自身よく分かっている。
それでも、私は彼の想いに応える為に笑ってみせなければ、そう思った。
彼の揺らぎを受け止めて、支えるのが副官である私の役目ではないか。
「閣下がお戻りになるまで、私はいつまでもお待ちしております」
私は生涯通して、変わらず貴方の背を守る者だ。
貴方が願うなら例え魂だけの存在になろうとも、貴方を待ち続けることを誓おう。
私の人生の全てにかけて。
ホークアイの名にかけて誓います」
大仰な私の言葉を笑いもせず、彼はただ黙って頷いてくれた。
 
普段の彼ならきっと“最後の身元引受だけでいい、待つな”と言ったであろう。
しかし、今日ばかりは流石の彼も私の想いを拒むことはしなかった。
 
少しずつ、少しずつ整理されていく想い。
それは諦めではなく、今まで我々の間に長く存在しながらも、二人揃って見ないふりをしてきたものを確認する行為だった。
我々は遂にそれすら手放さなければならない所まで来てしまったのか。
彼と共にこの国の為に歩むと決めた日から、なんと遠くまで来てしまったことだろう。
私達は視線を交わして、少し笑った。
しばしの沈黙が落ち、やがて彼が意を決したように口を開く。
 
「さて、最後の頼みだ」
何を言われても、もう二度と泣くまい。
私は決意も新たに、小さく彼に頷いてみせた。
「これは非常にプライベートな頼みなのだが、、、」
「何でしょうか?」
緊張する私に彼が言ったのは、あまりに呆気ない言葉だった。
「これを、君に持っていてもらいたいんだ」
そう言って彼が差し出した手の中から現れたのは、驚いたことに国家錬金術師の証である銀時計だった。
 
「何故これを持っておられるのですか!?国家錬金術師制度が廃止された時に、この時計は全て回収した筈です!」
私は驚きのあまり、思わず彼を詰問する。
まだアメストリスが軍事国家で彼が大総統だった頃、彼はいち早く国家錬金術師の制度を廃止した。
その際、国家錬金術師の身分証とも言えるこの銀時計は、全て国家に返納され鋳潰されたのだった。
勿論彼とて例外ではなく、『焔』の二つ名を返上するとともに、この銀時計は彼の手を離れたはずなのに。
 
「権力の乱用だよ」
彼はそう言って、笑った。
言葉を失う私に、彼は独り言のようにぽつりと零す。
「あまりに多くの思い出が詰まり過ぎていてね、どうしても手放せなかった」
私は空の青を映した銀色の小さな機械を黙って見つめた。
それはそうだろう。
彼が軍人として生きた四半世紀に近い月日は、この時計と共にあった。
そして確かにこの時計は、彼と私とを結ぶひとつの鍵でもあったのだ。
 
彼と私が出会ったのは、彼が国家錬金術師という資格を得る修行の為に我が家の門を叩いたのが始まりだった。
私が彼に背中を見せたのは、この国を思う彼の気持ちに心を動かされ、国家錬金術師になって欲しいと願ったからだった。
彼と私が再会したのは、彼が国家錬金術師としてイシュヴァール殲滅戦に参加した時だった。
その後の我々の喜びも哀しみも、全てを見てきた時計だった。
そう思うと、胸が詰まった。
 
「君にも黙っていて悪かったとは思うが、叱られると思うと言い出せなくてね」
悪戯を見つかった子供の様な彼の表情に、私は首を横に振った。
今更そんなことを言われても、何と返したものか。
そんな私の反応を可笑しそうに受け止め、彼は静かに言った。
「逮捕されたら恐らく没収されてしまうだろう、だから君に持っていてもらいたい」
少し切ない顔をして、僅かの躊躇いの後、彼は言った。
「これは、私の半身のような物だから」
 
私に向かって銀の鎖を揺らして片手で時計を差し出す彼は、もう片方の手で私の右手を掴んで掌にそれを載せ、両の手で銀時計と私の手を一緒に包み込んだ。
否を言う暇もなかった。
彼の温もりを残した小さな時計は、私の掌(たなごころ)でカチカチと時を刻んでいた。
まるで彼の心臓を受け取ったような気がして、私は涙が零れないようにぎゅっと歯を食いしばった。
 
「すまない、君に残せるものが何もなくて」
囁く彼の声に私は涙をこらえる為に返答が出来ず、しばしの沈黙が生まれた。
彼の手が私の手を強く握りしめる。
私は何とか微笑を作って答えた。
「いいえ、私は貴方に沢山のものをいただきました」
手のひらの時計が、震える私の声にカチカチと呼応する。
私は上手く笑えているだろうか?
彼に握られた手が、今にも震えだしそうだ。
「閣下と共に歩いた時間と、父の秘伝をこの国の為に使っていただいたこと、この二つだけでも私には十分です」
そうだ、形のない大切なものを沢山。
それで十分だ。
最も失いたくないものは、彼その人だけなのだから。
「ありがとうございます」
震える手を押さえ、私は自分が作れる最上級の笑顔をもって言った。
 
私の言葉を彼は痛みを噛み殺す歪んだ表情で聞いていたが、やにわに私の手を離すと、さっき私が落としたバインダーから数枚の書類を引き抜いた。
突然の彼の行動に私は面食らって、そして慌てて彼を止める。
「何をなさるんです!?来週の会議に必要な決議書なんですよ?」
「構うか、1週間もすれば私のサインの入った書類なぞ、ただのゴミだ」
ポケットから携帯用の万年筆を取り出した彼は、私の静止など歯牙にもかけず、重要な書類の裏面にガリガリと錬成陣を描き始めた。
 
私は呆然とそれを眺め、彼の言葉を反芻する。
1週間、それほどまでに時間がないのか。
それほどまでに状況は急激に動いているのか。
 
衝撃に言葉をなくす私がぼんやりと見ている間に、彼はシンプルな錬成陣を完成させてしまった。
そして、フイと私の手から彼は時計を取り上げ、無造作に錬成陣の中心に置く。
私はハッと我に返り、彼の腕を掴んだ。
「何を一体!?」
私の言葉も聞かず、彼は錬成陣を発動させる。
 
パッと一面が明るくなり、あまりの眩さに私は思わず目を閉じた。
次に目を開いた時には、そこには。
バラバラになった銀時計のパーツと共に。
 
一個の指輪が転がっていた。
 
自分の目が信じられず、私はそれを凝視する。
と、彼はそれを手に取って、再び私に向かってその手を差し出した。
「最後の最後までポーズを作るのはやめだ。後悔は残したくない」
 
私はどうして良いか分からず、ただただ彼を見つめる。
「私が本当に君に渡したいものは、やはりこれ以外ない、と思う」
 
さっきあれほど決意をしたというのに、私の視界は曇ってもう何も見えなくなってしまう。
歪んだ視界の中、銀の指輪に嵌った深紅の石の煌めきが揺れる。
 
「私の半身のような物から作った。受け取ってくれ、、、いや、」
さっきまでと違って、彼の声も微かな震えを帯びていた。
「受け取ってもらえないだろうか」
いきなり何を言い出すのだろう、この人は。
ああ、もう本当にズルくて優しくて潔くて、どれほど私を困らせれば気がすむのだろうか、この人は!
 
私は後から後からあふれる涙を、必死に手の甲で拭き取った。
初めて、この人が真正面から私と向き合ってくれたのだ。
ここで私もきちんと意思表示をしなくては、女が廃(すた)る。
私は意を決して、はっきりと言った。
 
「嫌です」
 
「、、、そうか」
とても哀しそうな、でも、少し納得したような諦め顔を作って項垂れた彼に向かって、私は言葉をついだ。
「、、、貴方の分も作って下さらなければ、受け取れません」
一世一代の勇気を振り絞った私は、自分の言葉に頬が紅くなるのを感じた。
バクバクと高鳴る心臓を押さえ、私は泣き笑いの顔で彼を見つめる。
彼はパッと驚いた様子で顔をあげ、もう何とも言えない複雑な表情をして、黙って俯くと指輪をポケットに入れる。
そして、震える手でさっき描いた錬成陣に幾らかの文字を書き足して、銀時計の残骸を再び錬成陣の中心に置いた。
さっきと同じ錬成光が輝き、そこには更に少なくなった時計のパーツと、さっきより一回り大きく武骨な指輪が転がっていた。
 
彼は再びポケットから石のついた指輪を取り出し、私に向かって差し出した。
私は少し躊躇して、手の平を上に向けた右手を彼に差し出す。
彼は恐ろしいほどに真剣な顔で、首を左右に振って、もう一度私に向かって指輪を差し出した。
右手を降ろして躊躇う私に、彼は固い声で言う。
「今、この屋上にいる間だけでいい。頼む、リザ」
切羽詰まった彼の言葉に、私はおずおずと左手を、手の甲を上にして差し出す。
 
彼の左手が、私の左手を掴む。
指輪を持った彼の右手が目に見えて震えている。
これが天下のプレイボーイと歌われた、ロイ・マスタング閣下の姿で間違いないのかしら?
私は自分の左手の薬指にはめられる指輪を見ながら、緊張した面持ちの彼をじっと見ていた。
私の指の付け根まで押し込まれた指輪はブカブカで、少し手を振ればすっぽ抜けてしまいそうだった。
 
それを見た彼は、不意に緊張の糸が切れたように肩の力を抜いて苦笑した。
「これだけ一緒にいたというのに、君の指輪のサイズも知らないとはな」
私も一緒になって笑い、黙って錬成陣の上の指輪を拾い上げ、彼の左手の薬指に銀の輝きをはめる。
男の長い指は節くれ立っていて、長年の苦労を思い、私はその指をそっと撫でた。
彼は私の指から指輪を抜くと再錬成でサイズを調整し、再び恭しく私の手を取ると、今度は穏やかな、いっそ幸せそうなと言っても良い表情で、私の指に今度はぴったりの指輪をはめてくれた。
 
穏やかな笑顔で彼は言う。
「最後は必ず君の元へ戻ると誓おう」
 
私も微笑んで言った。
「貴方のお帰りを、お待ちする事を誓います」
 
再会を誓う甘い言葉は、全く正反対の意味を込め、私たちの運命を引き裂いた。
彼は行き、私は残る。
そして、我々の願いは成就されるのだ。
この国を変える、その想いが。
 
揃って四捨五入すれば四十にならんとする我々が、まるでママゴトの様な儀式を行う姿は、端から見ればさぞかし滑稽な事だろう。
それでも我々はひどく真剣で、そして恐ろしいほどの痛みをもって、その儀式を行った。
“病める時も健やかなる時も”、そんな誓いはとっくの昔に交わしたも同然に同じ道を生きてきた我々が最後に形に拘ったのは。
今まで目に見えないものだけが、二人を繋いで来た反動だったのだろうか。
二人別の道を歩まねばならない時が来た為に、目に見える形を欲したのだろうか。
 
しかし、それも束の間。
今この時、この屋上にいる間だけのこと。
あの私が上って来た階段に通じる扉を開いた時には、私たちはまた元の使い古した上司部下の仮面をかぶるのだ。
私たちの仕事は、まだ終わってはいないのだから。
この国の平和は、まだまだ遠い。
空はこれほど青くて穏やかだというのに。
 
私は彼と視線を交わし、彼は私の手を取った。
ポツリと目を伏せた彼が言う。
 
「キスをしても?」
その声は震え、掠れて、私は彼をたまらなく愛おしく感じる。
返事をする私の声も、震えた。
 
「何を今更」
 
その言葉と共に、彼の手がゆっくりと私の頬に添えられる。
瞳を閉じれば、柔らかな唇がそっと私のそれに触れた。
酷く甘くて、胸が痛む。
そんな口付けが、繰り返し私を求める。
 
張り詰めた玻璃のような蒼天が頭上で砕けた。
そんな気がした。
あまりの事に目眩を覚え、私は彼に縋りひたすらに涙を零し続けた。 
 
     *
 
あの日、あの人と私を永遠に繋いだ生涯にただ一度の口付け。
冬の青に染まったその破片は、今でも私の胸に刺さったまま輝き続けている。
そして私はその口付けと共に交わした誓いを守る為、今もここで彼が私の元に戻って来る日をただただ待っている。
その日まで彼の半身である指輪は、引き出しの奥深くで眠り続ける。
いつまでも、いつまでも。
 
 
Fin.

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【後書きの様なもの】
ここまでお付き合い下さった皆様、本当にありがとうございました。
持てる全てを注ぎ込みました。そして、遂に終わりました。もうこれで心残りはありません!
 
実はこのお話は、このBlogを閉じるときの為にとっておいた物語であり、サブタイトルはInvierno Azul、、、スペイン語で「冬の青」と言う意味を持つ、このBlogと同じ名を持つ物語です。
というわけで、皆様、今まで2年半の長きに渡るお付き合いを頂き、ありがとうございました。
 
。。。と、このBlogを閉じる予定だったのですが。
まだ書きたいお話が沢山ありますので、もうしばらく書いても良いでしょうか?(笑)
はっはっは〜、吃驚しました?ごめんなさい。
 
でも、本当にこの話は最後の物語にする予定だったのですよ。
ただ、今年に入ってから鋼の連載がもうすぐ終わると言う噂を何度も聞き、牛先生による来春またはさ来春で連載終了の宣言、そしてアニメ新シリーズの発表ときて、これは書くしかないなと心を決めました。だって、最終回迎えた漫画の未来妄想なんて、格好悪いじゃないですか。元来、このBlogは突発で作ったもので、20のお題を消化して直ぐに閉じるつもりだったのですから。
しかし、思いがけずこれだけ長くこのBlogを続ける事が出来ているのも、お付き合い下さっている皆様のおかげです。心から感謝致します、ありがとうございます。
 
今回は本当に途中でいただいた感想やお言葉に、何度も何度も救われました。
頑張って、Web拍手つくって良かったと心から思います。
そちらにも、感謝です!
 
お気に召しましたなら

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