薔薇と嫉妬

国軍大佐ロイ・マスタングは、執務室のデスクで一人ほくそ笑んでいた。
彼の目の前の机の上には奇跡のごとく一枚の未決済の書類も載ってはおらず、会議の予定も来客のアポイントメントも全てこなしてあり、尚且つ、今はまだ終業時間の5分前だ。
それは日頃のサボリ大佐の汚名を返上出来る、素晴らしく有能な仕事っぷりだった。
しかし当然のことながら、彼は汚名をすすごうだとか、心を入れ替えて仕事に生きようだとか、そんな殊勝な考えにとり憑かれた訳ではない。
 
デート。
 
そう、全ては己が副官リザ・ホークアイとの久々のデートを完遂する為の、涙ぐましい彼の努力の賜物だった。
行きつけのレストランの予約も取ったし、万一の時の為にホテルの部屋にもリザーブを入れてある。
後は彼女を待つばかり。
ロイはウキウキと逸る心を抑え、終業のベルを待っていた。
 
「全く、いつもこのぐらい真面目に仕事して下されば、苦労いたしませんのに」
綺麗に片付いたデスクに目を丸くしながらも満更でもない笑顔を見せたリザは、私服に着替えてロイの前に姿を現した。
淡いオリーブグリーンのロング丈のワンピースはタイトに彼女の身体のラインを際立たせ、ゆったりと首筋を隠す同系色のストールには細やかな刺繍とビーズが散りばめられている。
そのストールとスクエアネックの隙間からのぞく鎖骨の細さとアンバランスなまでの胸元のボリュームは何とも言えず悩ましく、何を着ても絵になる彼女の美しさに満足して、ロイはエスコートの手を差し伸べた。
その時。
 
「中尉〜!あ〜、良かった。間に合った!、、、って、中尉めちゃくちゃキレイじゃん、どうしたの?」
「あら、ありがとう。エドワード君」
ペシリとロイの手を払い除け、リザはにこやかな笑顔で振り向いた。
機械鎧の右手を上げ、小さな錬金術エドワード・エルリックは、大きな弟と共に駆け寄ってくる。
「わ〜、中尉、軍服姿と全然雰囲気違うんですね。見違えちゃいます」
「まぁ、アルフォンス君まで」
年下の少年達に囲まれ、はにかんで微笑む姿は少女のように愛らしい。
自分には見せた事のないリザの表情に、心中穏やかでないロイは苛々とした口調で言った。
「鋼の、用件は何だ?さっさと言え!」
「あんだよ、大佐。うっせえな〜。カルシウム足りてねぇんじゃね?」
「それは君の方だろう。相変わらず小さいな」
「誰がカルシウム不足のミジンコチビだって〜!?」
漫才のような二人のやり取りの横で、リザはアルフォンスと談笑している。
母性を感じさせる柔らかな笑顔は、けして自分に向けられる事のない類いのもので、ロイは我知らずギリギリと歯噛みする。
「そうそう、中尉。で、用件なんだけどさ。昨日もらった大佐の紹介状の写し、後2部作ってもらえないかなぁ」
「ええ、構わないけれど、急ぎなの?」
「明日までで良いんだけど、中尉忙しそうでなかなか捕まんないからさ」
「あら、ごめんなさいね」
「鋼の、状況を読め。我々は既に業務外のプライベートタイムだ。明日で良いなら明日に、、ぐはぁ!」
早く二人をリザから引き離したいロイがそこまで言った時、彼の足をリザのヒールが踏みつける。
激痛に飛び上がるロイを無視して、リザは少年達に笑顔で語りかけた。
「明日の1100までに用意すれば間に合うかしら?」
「ああ、もう充分!大佐に頼んだら、何時まで待っても出来上がんねーし。ありがとー、中尉!」
元気よく走り去る少年達を笑顔で見送りながら、リザがぼそりと言う。
「大人気ないですよ、大佐」
「君、ちょっとは手加減と言うものをだね、、、ちょ、中尉!」
ロイの恨み言を華麗にスルーして、リザはさっさと歩き出す。
 
痛む足を庇って後に続くロイは、この時想像だにしなかった。
これはまだ序の口に過ぎず、この後、数々の邪魔者が彼らの行く手に立ちふさがる事を。
 
     *
 
「中尉〜、この書類なんスけど、、」
「あ、それならあの領収書をつけて、、、って、何か付いてるかしら?私の顔」
「いや〜、中尉があんまりキレイなンで見とれちまったんス」
「イヤね、お世辞を言ったって何も出ないわよ」
「お世辞じゃあないッスよ」
「ハボック、燃やされたいか?」
「大佐、いきなり何スか!?」
「お前、空気を読め、空気を。我々はこれからデート、、、ぐほぉ!」
「少尉、ごめんなさいね。この書類は領収書を付けて3課に出しておいてくれればいいわ、よろしくね」
「yes,mam!」
「ち、、中尉、、、さっきと同じ場所を踏まれると非常に痛いのだが」
「自業自得です」
「中尉、ちょっと、中尉!」
 
「、、、、、全く。あれじゃあ、どっちが上官だか分かりゃしねぇなぁ」
 
     *
 
「中尉」
「何かしら、准尉」
「申し訳ありませんが、退役軍人局の年金課の方が来られて我々では対処致しかねまして、、」
「いいわ、着替えて戻るから待ってて頂いて」
「中尉、私とのデートは、」
「まだこんな時間じゃないですか。直ぐに終わらせますから、いつものカフェでお待ち下さい。後から向かいます」
「、、、ファルマン、何故我々の邪魔を!我々は今からデ、、、ごふっ!」
「ごめんなさいね、准尉。直ぐに行くわ」
「ち、、中、、、尉、鳩尾に肘鉄は、流石にどうかと、、、ぐぅ、、」
「大佐が仕事の邪魔をなさるからです。では、後ほど」
「よろしくお願いいたします、中尉」
「、、、ファルマン、お前一度馬に蹴られてこい」
「大佐、古来より『人の恋路を邪魔する者は馬に蹴られて死んでしまえ』と申しますが、元々は」
「あ〜、蘊蓄はいい!私は行くぞ」
 
「、、、、、『人の恋路の邪魔する奴は犬に食われて死ねば良い』と申しまして、東の国の講談が出典です。さて、私はブラックハヤテ号でも探せばいいのでしょうかね」
 
     *
 
「遅い!遅いぞ、中尉!私がこのカフェに着いて早1時間半。いい加減仕事を切り上げて来ても良い頃じゃあないか!?折角の久しぶりのデートのはずが、何故一人で私は茶を飲まねばならないのだ、全く。。。」
「ママー。あのおじさん、さっきから一人でブツブツ何か喋ってるよ〜」
「シーッ、見ちゃいけません!」
「はっ!あそこの四つ辻で軟派な優男に絡まれているのは中尉ではないか!くそっ、こんな時に限って発火布を置いてくるとはっ!くぅ、ロイ・マスタング一生の不覚!」
「ママー。あのおじさん、身悶えしながら指パッチンしてるー。変だよ〜?」
「シーッ、指差しちゃいけません!こっち来たらどうするの」
「おーっ!腕を捻りあげて撃退するとは、流石は中尉。マーシャルアーツではそこらの男など屁でもないな。む、待てよ?と言うことは、あの男は中尉に手を握られた訳か!許せん!」
「ママー、あのおじさん、、」
「行くわよ、ロッテちゃん。早く!」
 
「あのー、お客様」
「なんだ?」
「周りのお客様のご迷惑になりますので、椅子におかけ頂けますでしょうか。。。」
 
     *
 
「大佐、お待たせして申し訳ありません」
息せきってカフェにたどり着いたリザを、ロイは不機嫌な顔で迎えた。
「やぁ、中尉、遅かったのだな。ところで、さっきの軟派男の事だがね」
「見ていらしたんですか」
「当然だ」
更に言いつのろうとするロイを制し、リザは言いにくそうに口を挟む。
「すみません、とりあえずこのお店を出てもよろしいでしょうか?理由は分かりませんが、カフェ中のお客さんの視線が痛いのですが。大佐、何かなさいました?」
「いや、何も。君が綺麗だから、視線を集めているのではないのかね」
自分の奇行に無自覚なロイは、拗ねた口調でそう言った。
「大佐、大人気ないですよ」
「分かった。では少し早いがレストランのウェイティング・カウンターで一杯やる事にしよう」
リザに促され、ロイはジャケットを手に立ち上がった。
 
ぶらぶらと暮れかけた道を並んで歩きながら、二人は目的のレストランに向かう。
しかし、せっかくのデートを邪魔されっ放しのロイは機嫌が悪いままである。
「中尉、で、さっきの続きだが、何なんだあの男は」
不機嫌に言うロイの言葉に反発するように、リザは強い声音で答えてきた。
「存じません。勝手に声をかけてきて、しつこくしますので威嚇したまでです」
「それにしては時間がかかったようだが」
「怪我をさせないように体術を使う方が難しいのは、大佐もご存知でしょう?」
腹の虫の収まらぬロイは、我ながら理不尽だと思いながらも口が止まらない。
「軟派される君に隙があるんじゃないのか?」
「大佐、くだらない言いがかりはお止め下さい。私のどこに隙があると?」
完全にムッとした口調と共に、電光石火の早業で抜き放たれた銃がロイの眼前に現れる。
流石のロイも、これではぐうの音も出ない。
「、、、うん、ない。ないね。だから、銃はしまってくれないかな、中尉。すまん、私が悪かった」
「分かって頂ければ結構です」
そう言いながらも、リザの眉間には不機嫌な皺が寄ったままである。
 
リザの怒りを鎮めるべく、ロイは慌て策を練る。
せっかくのデートを自分からふいにするのも、ばかばかしい。
ロイはありきたりの、しかし有効性の高い策に出ることにする。
「中尉、ちょっと先に入って待っていたまえ」
「でも、予約の時間が」
「なに、直ぐに戻る」
「大佐!」
リザの言葉も聞かず、ロイはレストランの前でくるりと踵を返す。
そうして一目散に角の花屋へと走り出したのだった。
 
ロイが片手にあまる深紅の薔薇の花束を手にレストランに戻れば、リザは彼の予想通りマティーニを片手にバーカウンターに座っていた。
ただ彼の予想と違っていたのは、彼女の隣のスツールの如何にも紳士を装った男がしきりに彼女に話し掛けている事だった。
リザは明らかに男を無視してグラスを口に運んでいるが、めげない男は馴れ馴れしく彼女の腕に手をかけ必死に彼女の関心を引こうとしている。
またか。
ロイは煮えたぎる腹の内をなだめ、彼女と男の間に割り込むべく歩を進める。
 
なぜ今日の彼女はこれほどモテるのだ、いや、今日に限らず常にこうなのではないだろうか、なにしろ彼女は可愛いし美人だしスタイルはいいし、嗚呼クソッ、あれは私のものだ、触るなバカもの!
ロイは胸の内で悪態をつきながらも、穏便に事を済ませようと静かに二人に近付く。
男の存在に嫌気がさしたようにグラスを置き席を立とうとしたリザは、背後に迫ったロイにまだ気付かない。
その時。
リザを諦めようとしない男の手が、立ち上がったリザの細い腰を無遠慮に抱き寄せた。
 
ロイの中でブツリと何かが切れた。
リザが男に対して何か言うよりも早く、ロイは黙ったままリザの腕を掴み、強引に自分の元へと引き寄せた。 
驚くリザを片手に抱き、もう一方の手に持った薔薇でロイは男を殴りつける。
拳を使わなかった事が、唯一残ったロイの理性だった。
激しい衝撃に散った花弁は辺り一面に深紅の雨を降らせ、バーカウンターはむせ返る薔薇の香りでいっぱいになってしまう。
頬に薔薇の刺の掻き傷を負った男は、何が起こったか分からず、ぽかんと馬鹿のように立ち尽くしている。
 
ロイは半分以上花弁をなくした薔薇たちをリザに押し付けると、バーテンダーにリザの飲み代としては多過ぎる金額をスパリと支払い、こう言った。
「オーナーにマスタングが謝罪していたと伝えてくれ。連れが不愉快な思いをしたので今日は帰らせてもらう、ともな」
店側に迷惑をかけないためのロイの配慮に、初老のバーテンダーは黙って承知の旨を丁寧な辞儀で示し、扉を指し示す。
ロイはリザの肩を抱き寄せたまま、あっけにとられる男を残し、レストランを後にした。
 
「大佐」
「なんだ?一般人に怪我をさせたのが不満か?しかし、あの程度の傷で訴え出るほど、あの男も恥知らずではあるまい」
リザの手を引き大通りを歩きながら、ロイは振り返りもせず怒った声のまま答える。
「いえ、そうではなくて」
「花束なら新しいのを用意する」
「大佐、ですから」
歯切れの悪いリザに、ロイは彼女の手を離すとくるりと振り向いて大きな声で喚いた。
 
「なんだ、自分の女に手を出されて怒る事の何が悪い!」
 
夕暮れの往来のど真ん中、道行く人々が一斉に振り向いた。
しかし、ロイは全く気に懸ける様子もなく、真っ直ぐにリザの目を見つめている。
リザは驚いた顔でそんなロイを見つめ返し、フッツリと黙り込んでしまう。
しばしの沈黙の後、ロイは溜め息を付いた。
言葉もでないほど呆れられてしまったか、まぁ確かに情けない姿を見せてしまったのは確かだが。
 
半分がた散ってしまった深紅の薔薇の花束をリザの手から取り上げ、ロイは彼女に背を向けた。
「嫉妬深い莫迦な男だと、笑うなら笑ってくれて構わない。今日はもう帰ろう、すまなかった」
折角のデートをおじゃんにしたのは、結局は他の誰でもない自分自身だった。
ロイは全てを諦めて、手近なゴミ箱に無惨な姿の花束を突っ込むと、リザを置いて自分のアパートへと足を向ける。
 
ああして感情を爆発させて冷静になってしまえば、流石に己の器の小ささを自覚して自分がイヤになってしまう。
プレイボーイの名を欲しいままにする自分が、彼女の事に関してだけはこれほど冷静さを欠くのが自分でも信じられないほどだった。
彼女もさぞかし愛想を尽かした事だろう。
さて、次のデートの約束はしてもらえるものだろうか。
 
ロイがグダグダとそんな事を考えながら、とぼとぼと歩いていると不意に後ろからカツカツとヒールの足音が響く。
驚いて振り向けば、自分が捨てたはずのボロボロの花束を抱えたリザが彼の後ろに立っていた。
  
「中尉!?」
驚くロイを見上げ、リザは柔らかく微笑んで言った。
「大佐、素敵なお花をありがとうございました」
「中尉、、、イヤミかね。花弁の無い花束などゴミ同然じゃないか」
そっぽを向こうとするロイの腕を引き、リザは頬を染めながらも視線をそらさず言い放つ。
「いえ、花が散った理由も含めて、私にはこの花束がとても嬉しい贈り物です。私だって普段は嫉妬深い莫迦な女なんですから。ええ、本当に」
「中尉、、、君ねぇ、それ殺し文句だよ」
滅多に無いリザの甘い言葉に、柄にもなく照れたロイはリザから視線を逸らそうとするが、リザはそれを許さない。
「たまには殺されてください、いつも余裕しゃくしゃくでいられるのも腹立たしいものなんですから」
「誰が余裕しゃくしゃくだって?君の事に関してはだな、私はいつだって余裕なんか無いぞ」
「本当ですか?」
「こんな所で嘘をついて何になる」
 
そう言って情けなく笑うロイの腕にリザの腕が絡む。
ロイは複雑な思いで薔薇の香りと彼女の温もりに、ささくれ立った今日一日の自分の心を委ねたのだった。
 
 
Fin.
 
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【後書きのようなもの】
お待たせいたしました。
anna様&naruse様(リクいただいた順)のみお持ち帰りOKでございます。
そして、すみません。過去最長話になってしまいました。
えと、お二人分と言う事で。。。。
 
いただきましたリクエストは「リザさんが(美女すぎて)いろんな男性から声をかけられ、(中にはかなり強引なのも…)でロイさんが嫉妬−--」「モテまくりリザちゃんに大嫉妬ロイというのをお願いします(大佐&中尉バージョンが好きです!)」を合体させていただきました。
美女過ぎて、だけではワンパターンになるので、有能過ぎて、もプラス。
完全バカ大佐にするつもりだったのですが、最後はちょと挽回?私ってばロイに甘いかも。(笑)ロイより優位に立つリザさんも、良いですね。
 
リクエストいただき、どうも有り難うございました。
お気に召しましたなら、有り難く思います。