運命はそこにある

放課後の誰もいない渡り廊下は紅い夕陽が映り、まるで燃えるような色合いに染まっている。
長く伸びる影を従えて、増田はのんびりとその廊下を職員室へ向かって歩いていた。
今日も漸く長い一日が終わる。
そう考えながら増田が立ち止まって校庭に目をやったその時、不意に曲がり角から小さな人影が走り出た。
後ろを気にしながら全速力で走るその少女の視界には、当然、目の前に立つ増田の姿は入っていないらしい。
 
避ける間もなかった。
少女は勢いよく彼の胸にぶつかり、彼女を受け止めた増田は弾みで手に持った課題のプリントやら何やらをすっかり放り出してしまう。
増田の手を離れた白い紙たちは、あっという間に夕陽に染まって風に舞い、廊下中にまき散らされてしまった。
 
散らばった荷物を溜め息混じりに眺めながら、増田は腕の中のよく見知った少女に声をかける。
「鷹目、廊下は走るな。危ないだろうが」
例え逆光のシルエットでも間違うはずのない彼の担任するクラスのクラス委員にして優等生・鷹目梨紗は、頬を染め、息を切らせて返事も出来ないでいた。
 
「どうした? 鷹目」
訝しげに問う増田を縋るような目で見る少女に内心ドキリとしながら、増田は近付いてくる別な足音に視線を上げる。
視線の先には、同じように息を切らせた隣のクラスの男子生徒がいた。
少年は増田と一緒にいる梨紗を見るとハッとした顔になり、ぺこりと増田に頭を下げるとクルリと方向転換して走り去っていった。
 
「おーい、廊下は走るなー」
男子生徒の背中にマヌケな声をかけながら、増田は思う。
青春だな。
見ている方が恥ずかしくなるくらい甘酸っぱい。
夕陽の校庭で好きな女を追いかけるなんて、今時ドラマでもやらないだろう。
 
二十歳を幾つも超えた自分には、到底出来ない芸当が日常にある若者を複雑な思いで見送り、増田は腕の中の梨紗に言う。
「鷹目、抱きついてくれるのは先生としては嬉しいんだが、誰かに見られたらPTAが五月蝿い。いい加減離れてくれないか」
ついでに、理性も保ちそうもないからな。
 
そんな増田のヨコシマな内心の声も知らず、彼の言葉にハッとしたらしい梨紗は、慌てて飛び退くように増田から離れた。
「プリント踏むなよ」
追い討ちをかけるような言葉に、ワタワタと慌てながら足元を避ける姿は可愛らしく、増田は思わず頬を緩める。
 
「ごめんなさい、先生」
殊勝に頭を下げる梨紗を手で制し、増田は事も無げに言った。
「気にするな。鷹目なら許してやる。クラス委員のお前には、いつも世話になっているからな」
そう言いながら増田は、散らばってしまったプリントの一枚を腰を折って拾い上げた。
梨紗もそれが何であるか気付いたらしく、あちこちに散った紙を拾い始める。
 
「理系の特進クラスの課題だからな。内容は見るなよ」
「分かってます。名前と点数は見ないようにしますから」
「それでこそ、先生のお気に入りだ」
「止めて下さい!」
茶化して言う増田の言葉にムキになる梨紗を笑って眺め、彼は彼女に見つからないように小さく肩を竦める。
 
お気に入りの生徒、と言ってしまうには、あまりに彼は彼女に想いを傾け過ぎてしまっていた。
何やかんやと手抜きしがちな担任の増田を補佐し、クラス委員としてうまくクラスをまとめてくれている梨紗の聡明さと優しさに触れるうち、増田はいつしか彼女を生徒としてではなく一個の女性として見ている自分に気付いていた。
生徒に手を出すのは教育者として御法度だし、何より10歳近く年の開いた自分を梨紗が異性として見るとは到底思えない。
だから、増田はこの想いには封をして、卒業式を迎えるつもりでいる。
 
だがしかし、増田とて人の子である。
さっきの男子生徒と梨紗の関係が気にならない訳がなかった。
増田はさり気ない風を装って、プリントを拾いながら視線を上げずに梨紗に聞く。
「おい、鷹目。さっきのあれ、告られたのか?」
「そうなんです。全然話した事もないのに好きだなんて。訳が分かりません」
溜め息混じりにさばさばと言ってのける梨紗に、増田は内心安堵する。
「顔が好みだったのかもしれんぞ?」
「尚更イヤです」
「付き合ってみて、合わなきゃ別れるのもありだ」
「先生じゃあるまいし」
 
笑って取り合おうとしない梨紗は、拾い終わったプリントを手にひょいと立ち上がった。
「はい、先生。これで全部だと思います。確認して下さいね」
「何枚ある?」
「もう、相変わらず人使いが荒いんですから」
そう文句を言いながらも律儀にプリントを数えてくれる梨紗に、増田は意を決して尋ねてみる。
 
「鷹目、お前、好きな奴の一人もいないのか」
「いませんよ、そんな面倒くさい。同じクラスの子なんて子供ばっかり」
あまりに梨紗らしい答えに増田は笑い、梨紗は不機嫌そうに言葉を続ける。
「だいたい、人を好きになるってよく分からないんです。友達と何が違うんですか。はい、三十八枚、あってます?」
プリントの束を差し出す梨紗の言い分に、増田は苦笑を通り越して、失笑してしまう。
 
「サンキュー。しかし、お前、情緒の欠片もないなぁ」
増田はそう返して梨紗の差し出した紙の束を受け取った。
「情緒の欠片も無いなんて、傷つきますよ。先生」
「簡単な事だろう。いつも一緒にいたいとか、気付けば目が追ってるとか、触れたいとか、心が相手を欲するのが、好きって事じゃあないのか」
「心が欲する……」
二人の間に小さな沈黙が訪れた。
少し俯いた梨紗は、意外に真剣に増田の言葉を考えているらしく視線を足下に落としている。
夕陽の中、俯きがちに立ち尽くす美しい少女の姿を目にし、増田は不意に胸を締め付けられるような想いに襲われた。
 
そう、触れたいんだ。
抱きしめてしまいたいんだ、この手で。
でも、それは教師である自分には出来ない話であって。
 
増田は慌てて視線を逸らすと、自分の拾い集めた分と梨紗から受け取った分をあわせて課題の枚数を数え直し始めた。
何か別の作業で、要らぬ思考を追い出そうとして。
 
その時、自分の爪先を見ていた梨紗の視線が戸惑いがちに増田の横顔に注がれた。
じっと見つめるその視線に、増田は気付かない。
無意識であろう梨紗の指が、ツと伸ばされた。
夕陽が増田の頬の上に、か細い指先の影を落とす。
 
そして、本当に本当にゆっくりと控えめに、彼女の指が紙束を持つ増田の指先に触れた。
風の出始めた夕暮れの冷たい空気に冷えた指は、増田の高い体温に驚いたように跳ねる。
突然の出来事に驚いて視線を上げた増田と少し潤んだ梨紗の目と目があった。
 
真っ直ぐな瞳は、一瞬で我に返ったらしい。
梨紗はみるみるうちに真っ赤になって、サッと手を引くと、くるりと増田に背を向け駆け出した。
増田は何が起こったか分からぬまま、呆然と立ち尽くす。
 
何だ、今のは!?
『触れたいと心が欲する、それが好きということ』、自分の言葉が増田の頭の中でこだまする。
ひょっとして、これは脈ありと自惚れて良いのだろうか?
いや、グダグダ考えている場合ではない。
 
混乱する想いをひとまず脇に置き、二十歳をすっかり超えた男は少年のように無心に、梨紗を追いかけて夕陽の校庭を全力で走り出した。
 
 
 
Fin.
 
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【後書きのようなもの】
お待たせいたしました。
梨紅様のみお持ち帰りOKでございます。
 
いただきましたリクエストは「学園パロで、ロイはリザの事好きでも、素直になれない。リザもロイの事好きだけど自身きずいてない。」
お好きな傾向が分かりませんでしたので、とにかく甘酸っぱく(笑)青春してみました。
先生と生徒って禁断の関係っぽくて、好きです。
お好みに合わなかったらごめんなさい。ホント、学園パロって苦手なものですから。
   
リクエストいただき、どうも有り難うございました。
少しでも気に入っていただけましたなら、嬉しく思います。