この命尽きるまで

大佐を追おうと病室を出れば、彼はすぐ目の前のダストボックスに苦悶の表情を浮かべて座り込んでいた。
普段は瀟洒な伊達男を気取る大佐が、人目も構わず脇腹を抑えてごみ箱に座っている姿はあまりに痛々しいもので、私は思わず目を伏せる。
 
苦痛に満ちた表情は、急激な動きが腹の傷を物理的に圧迫した事だけが原因ではないだろう。
少尉のリタイア、、、と言うよりは、自分が傍にいながら彼を半身不随の身にしてしまった事で己を責めているに違いない。
そういう男だ、この人は。
 
私はかける言葉もなく、ただバカのように当たり前のことを言うのがやっとだった。
「傷口が開きます 無理をなさらないでください」
私の言葉には答えず、大佐は肩で息をしながら言う。
「私の軍服を持って来てくれ」
それはつまり、病院を出るという彼の意思表示。
予測の範疇であったとは言え、それはとてもではないが了承出来る事ではなく、しかし一度言い出したなら聞くはずもない大佐に、私はせめてもの抗議の意思を示す。
「まだとても退院できる状態では。。。」
 
「持って来い」
 
有無を言わさぬ口調で、大佐は私を睨み付ける。
こうなっては、私に抗う術はない。
「。。。。。。了解しました」
私は再び目を伏せ、大佐に背を向けると病院を出たのだった。
 
     *
 
合い鍵を使って慣れ親しんだ大佐のアパートに入り込めば、主のいない部屋はよそよそしく私を迎え入れる。
勝手知ったる大佐の部屋で、私はクローゼットを開いた。
きちんと整頓されたそれは、まるでいつ死んでも構わないように整理されているように今の私には思えてしまい、自然と涙が溢れ出る。
 
あの日彼が来ていた軍服は、血にまみれ焼け焦げて全て使いものにならなかった。
あの状態で、今彼が生きている方が不思議なのだ。
腹を貫通した傷は内蔵をも傷つけていたし、傷を塞いだ火傷も激しく大佐の体力を奪っていた。
血塗れでライターを手に大佐が現れた瞬間を思い出し、私は身震いして恐ろしい記憶に封をする。
そうして目頭を拭うと、手早く新しい大佐の軍服の上衣を取り出した。
 
引き出しからシャツを探し出せば、彼の軍服一式の準備は整ってしまう。
全てを鞄に詰めた私はそのまま部屋を出ようとして、忘れ物がある事に気付く。
否、忘れたのではない。
忘れた事にしたいだけなのは、自分でも分かっている。
そして、忘れては行けないものである事も同時に分かってはいるのだ。
 
少し躊躇った後、私は意を決して書斎へと引き返した。
休みの日を二人で過ごす温かい部屋は、ガランとして冷たくさえ感じられた。
私はゆっくりと大佐の愛用のデスクへと歩み寄り、その引き出しに手をかける。
鍵が付いている訳でもないのに、開かない引き出しに。
 
錬金術で封じられたそれを開ける方法を、私は知っていた。
大佐はいつも私の目の前で、引き出しに封印を施していたのだから。
君に隠しても仕方ないだろうと、不用心を窘める私を大佐はいつも笑っていた。
あの穏やかな笑顔すら、今は遠い過去だ。
私はそっと手を伸ばし、引き出しの封を解く。
中には、火蜥蜴の錬成陣を焼きつけた発火布の手袋が数組、あの日のまま無造作に放り込んであった。
普段は触れる事のない白い手袋を大切に取り出し、私は引き出しを閉め溜め息をついた。
 
『軍服を持ってこい』
大佐はそう言った。
ならば、いわゆる支給された軍服と共にこの手袋を持って行かなくては、彼の命令を果たした事にはならないだろう。
少なくとも、私はそう思う。
しかし、これを渡すと言うことは、彼が怪我をおして戦場に身を投じようとする背中を後押しすることを意味する。
アンビバレンツに揺れる心を抱え、掌の中に収まってしまう大きな力を秘めた小さな手袋を、私はしみじみと見つめる。
 
この小さな脆い素材で出来た手袋を通して、私たちが未来に託すもの。
その小さな可能性の為に、私は此処まで彼について来たのではなかったか。
例えそれが無茶な夢だとしても、それを承知で全てを懸けて歩いていく、そんな男だからこそ私は秘伝を託したのではなかったのか。
 
何度現場に出て来るなと言ったところで、絶対に私たちを見捨てない大佐。
生きる事を諦めようとした私でさえ、見捨てようとしなかった。
それどころか、また背中を預けると言ってくれた。
ならば、退院するという彼を止められないのなら、私が彼を守れば良いのだ。
この手袋を渡し、二度と戦場(いくさば)での彼の傍を離れずに付いていく。
そうだ、“何を今更”だ。
 
私は丁寧に発火布の手袋を鞄の一番上に詰め込むと、鞄の蓋を閉めた。
そして、それを手に大佐の部屋を出る。
例え何が起ころうと、2度と大佐の思いを裏切る様な真似はするまいと心に誓いながら。
 
彼が捨てられないものを自ずから捨てるなどと、莫迦な考えではないか。
彼の思いに応える為に、死が不可抗力に我々の上に訪れるその日まで、私は死に抗い続ける。
そう、この命尽きるまで。
 

  
 
Fin.
 
 
 
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【後書きのようなもの】
お待たせしいたしました。
悠希様のみ、お持ち帰りOKでございます。
 
いただきましたリクエストは「大佐と中尉で原作の延長みたいな…」。
色々悩んだのですが、11巻p134辺りから書いてみました。
こういう原作とリンクさせて別のお話を紡ぐのはとても難しいので、何だか短くなってしまいました。
申し訳ありません。
ちょっとテーマが散漫になってしまいましたが、書きたい事は書けたかな〜と。
  
リクエストいただき、どうも有り難うございました。
少しでも気に入っていただけましたなら、有り難く思います。