修羅

注意:一部に戦場に関するやや凄惨な描写があります。ご注意下さい。
   よろしければ、以下からどうぞ。
 
              *
 
あちこちで燃える焚き火を目印に、ヒューズは野営地を闇雲に歩き回っていた。
「狙撃手のホークアイはいるか?」
手近な人間を捕まえてそう尋ねれば、相手は首を横に振る。
さっきから何人の人間に同じ事を聞き、何度同じ答えを返されたことだろう。
まさか戦死しちゃあいねえだろうな。
頭をよぎった不吉な考えを振り払おうと、ヒューズは足早に次の焚き火を目指す。
 
いくつ目かの集団に声をかけた時だった。
「あの、私を探している方がおられると伺ったのですが、」
か細い声が、背後からヒューズを呼び止めた。
探し求めた聞き覚えのある声に、ヒューズは話し掛けていた衛生兵に礼を言うと、振り向きざまに彼女の手首を掴む。
いきなりのヒューズの行動に、榛(はしばみ)色の瞳を大きく見開いて、リザ・ホークアイは驚きを露わにした。
 
「!?」
「すまん!後で説明するから、兎に角来てもらえんか」
狙撃銃と背嚢を背負ったままの、まだ少女と言っても差し支えない狙撃手の手を強引に引っ張り、ヒューズは早い足取りで歩き出した。
 
「あの、本当に何のご用でしょうか?点呼もありますので、あまり遅くなると困るんです」
何が起こっているのか分からぬまま、おそらくヒューズがロイの連れだという理由だけでついて来てくれているのだろう。
ホークアイの抗議の声に、彼女の困惑も道理だと思ったヒューズは、立ち止まって振り向いた。
「すまん。だが、俺たちの力になってくれそうなのは、今の所お前さんしかいないんだ。頼む。何も聞かずについて来てくれないか」
「、、、俺たち?あの、、マスタングさ、、、いえ、少佐に何かあったんですか!?まさか大きな怪我でも?」
「いや、命に関わる話じゃあないんだが…」
ヒューズは言葉を濁した。
 
これだけ人の多い場所で話すのは、流石に躊躇われる。
が、何も説明しないままでは彼女はついて来てくれないかもしれない。どうしたものか。
そう考えるヒューズが作った一瞬の間に、何かを感じ取ったのだろう。
ホークアイは逡巡の表情を消し、分かりましたと小さく頷いてくれた。
「恩に着る」
心からそう言って、ヒューズは闇へと足を踏み出した。
一歩歩む毎にほの暗い闇は音もなく彼の心をも包み、ヒューズは片手で握り込めてしまう華奢な少女の手首の温もりを確認するように、繋いだ手に強く力を込めたのだった。
 
やがてたどり着いた野営テントの一つを指し示し、ヒューズは黙って彼女の方を見る。
ホークアイは強い視線でヒューズを見つめ返し、そして黙って頷くと緊張を隠そうともせず暗いテントの中に足を踏み入れた。
中には彼女の見知った黒髪の男が、彼女を待っているはずだった。
 
ホークアイに続いて暗いテントにゆっくりと入ってきたヒューズは、ベッドに座り込みホークアイを見上げるロイと、いつもと寸分変わらぬ彼を訝しげに見つめるホークアイに交互に視線を送る。
「いったい何が、」
そう言いかけるホークアイの言葉を遮り、ヒューズは強い語調でロイに問うた。
「どうだ?」
力ない視線でホークアイを見ていたロイは彼女から目線を外し、もどかしげに首を横に振った。
この状況に陥ってから、人が変わったかのように何事にほとんど反応も示さなくなっている。
ヒューズは大きく溜め息をつくと、ホークアイを見た。
 
この子でダメなら、打つ手なし、だ。
ヒューズはなるべく失望を表に出さないよう、彼女に向かって言った。
「君のことなら覚えているかと思ったんだがな、すまなかった」
「どういう、意味ですか?」
不審そうなホークアイに向かって、ヒューズは諦めの口調で答える。
「今のこいつは、君の知るロイ・マスタングじゃない」
「え?」
「君のことも俺のことも、錬金術すら忘れた名無しの男だ」
錬金術を忘れた!?まさか!」
驚きの声をあげるホークアイをヒューズは痛ましい目で見つめ、あっさり答える。
「その、まさか、なんだ」
「記憶、喪失、、ですか?」
「有り体に言うならば」
自分の言葉に零れそうに瞳を見開いた彼女の身体がぐらりと傾ぐのを、ヒューズは暗い心で見守った。
 
「君と会えば奴も何か思い出すかと思ったんだが、流石にそう簡単にはいかないか。せっかく来てくれたのになぁ」
さて、記憶を取り戻すには、どんな方法があるだろう?
前にロイが言ってたドクター・ノックスに聞いてみるか。
そう考えながら、ヒューズはホークアイをテントの外へといざなった。
「点呼があるんだろう、行ってくれ。無理を頼んで、すまなかった」
しかし、ホークアイはヒューズの言葉を無視してキッと瞳を上げると、彼に詰め寄った。
「何があったんですか?教えてください!」
 
ヒューズは彼女の剣幕に虚をつかれ、ハッとする。
確かに、連れて来るだけ連れて来ておいて、説明もなしでは彼女も納得するまい。
自分の余裕の無さに苦笑して、ヒューズは簡潔に言った。
「今日の作戦に不手際があって、最前線にいたコイツが爆撃でぶっ飛ばされた。コイツを庇った部下もろともな。発見された時、コイツは自分の部下の死体の山に3時間以上埋まってたらしい」
ホークアイが息を飲む。
ヒューズですら想像もしたくない惨状だ、無理もあるまい。
 
死体の山なら、敵も油断して見逃してくれる可能性はある。
が、少しでも動こうものなら、死体ごと吹き飛ばされて一巻の終わりだ。
自分のよく見知った者達の死体に囲まれ、時間の経過と共に温かかった肉体が自分の周囲で冷たい肉塊に変わっていくのを感じるのは、どれほど恐ろしいことだろう。
爆撃で千切れた肉体、飛び散った内臓、断末魔の呻き・叫び、血と臓物の臭い。
気が狂ったとしてもおかしくなかったはずだ。
この男はよく耐えた、ヒューズは思う。
 
「余りに酷い現実から心を守る為、コイツは全てを忘れちまった。仕方のないことだろう」
ロイは相変わらず黙ったままだ。
ホークアイは顔面を蒼白にして、うつむき加減に唇を噛んでいる。
まだ士官学校の生徒である彼女にはキツい話だったかもしれない、と胸の内に思うヒューズの耳に掠れた声が届いた。
 
「沢山の方が、」
「ん?」
マスタングさんを庇って、沢山の方が亡くなられたのですか?」
「部隊の1/4は吹っ飛んだって話だ」
「、、、」
 
一瞬黙り込んだホークアイは銃と背嚢を置き、真っ青な顔のままロイの元へと歩み寄る。
そして、震える声でこう言った。
「本当に、何も覚えていらっしゃらないのですか?」
力無くうなだれたロイは、ゆっくりと顔を上げ、覇気のない声で答えた。
「すまないが、君が誰なのか全く知らない。自分の名も、何故此処にいるのかも、この手袋の奇妙な紋様が何なのかも、分からない」
ロイの手に握られた手袋に描かれた錬成陣を見たホークアイの口元がピクリと引きつったのを、ヒューズは見た。
 
「あなたを庇った方たちの事も、ですか?」
「私には部下がいたのか?」
ヒューズに目線を向け、そう聞いたロイの黒い瞳は虚無に満ちていた。
ヒューズが頷こうとした、その時。
 
ゴキッと鈍い音がして、ロイが視界から消えた。
「ふざけないで!」
叫びに近い声をあげ、いきなりホークアイがロイを殴りつけたのだ。
無防備だったロイは勢いでベッドに転がり、少女は容赦なく仰向けに倒れた男の胸ぐらを掴んで締め上げている。
 
「止せ!」
ヒューズが止める間もなく、ホークアイはロイを睨み付けて、速射砲のごとくまくしたてる。
「命懸けで自分を守ってくれた人達を忘れてしまうなんて!あなたに未来を託していった人を忘れてしまうなんて!」
ロイは、グンニャリとされるがままに揺さぶられている。
「あなたが覚えていてあげなくて、誰が覚えているのですか!それが生き残った者の務めでしょう?」
血を吐く叫びが、ヒューズの胸に突き刺さる。
 
確かにホークアイの言う事は、正論だ。
だが、人の心はそれ程強くはないのだ。
生死を共にした同士だからこそ、耐えきれないこともある。
ヒューズは背後から彼女の肩に手を置き、振り向いた少女にそっと首を横に振ってみせる。
ホークアイはぐしゃりと泣きそうに表情を歪め、ロイの軍服を掴む手を離した。
ヒューズはそのまま彼女を自分の方へと向き直らせると、ゆっくりとその背を撫でてやった。
少女の背後では、のろのろと半身を起こしたロイが喉を押さえて咳き込んでいる。
 
「すまない。ヤツの代わりに俺が謝る。だから、今は許してやってくれないか」
静かなヒューズの言葉にホークアイは激しく首を横に振り、謝らないで下さいと言った。
「分かっているんです、頭では。でも、、、」
「ああ、分かるよ」
「私だって、分かっているんです。でも、」
ホークアイは繰り返し、そして気持ちを振り絞るように言った。
「でも、あの人が忘れてしまったら、存在そのものがなかった事になってしまうものが沢山あるんです。亡くなられた方たちの想い、焔の錬金術、それに私の、、、」
ホークアイは言葉を濁す。
ヒューズはあえて聞き返さなかった。
そして、改めて二人の関係に思いをはせる。
 
親友である自分も知らないロイの過去を知る少女。
なかったことにされるのは彼女の想いなのだろうか。
それとも、何かもっと強い。。。
 
「すみません、取り乱してしまって」
思考の淵に沈みかけたヒューズを、落ち着きを取り戻したホークアイの声が現実に呼び戻す。
ヒューズは己の考えを彼女に気取られぬよう、軽い口調で答えた。
「いや、君のおかげで案外ヤツに活が入ったかもしれん。ショック療法だな」
少女の肩越しに見えるロイは、さっきと同じ格好でじっとホークアイの背中を見つめている。
 
「点呼があるんだろう?行ってくれ。わざわざ、すまなかった」
ホークアイの背から手を離し、わざと明るく言うヒューズに、彼女はぺこりと頭を下げた。
「いえ、お役に立てず申し訳ありませんでした。あの、もうあんな事はしませんので、またお邪魔しに来ても良いでしょうか。やはり、心配ですので」
「ああ、来てくれると助かる」
ようやく表情を緩めたホークアイは、決まりが悪いのだろう、本当に申し訳ありませんでしたと深々とロイに頭を下げると、彼の返事も待たずヒューズに敬礼をして銃と背嚢を拾うとテントを出て行った。
後に残されたヒューズは小さく肩を竦めて、ロイの方へと歩み寄った。
ロイは未だ、開けたままのテントの入り口から見えるホークアイの背中を見送っている。
 
「どうだ?殴られて記憶が戻ったか?色男」
ロイの横にどっかと座ったヒューズは、深刻にならないようにロイに話しかける。
ロイはさっきと同じように首を横に振る。
が、その瞳はさっきまでの虚無を消し、微かな、しかし強い光を宿していた。
それに気付いたヒューズは、驚いて聞き直した。
 
「何か思い出したのか?」
ロイは小さく頷く。
「一つだけ、忘れてはならないものを思い出した」
「何だ」
ヒューズの問いに、ロイは強い声で答えた。
 
「あの背中だ」
 
その言葉の意味が分からないなりにも、ロイのその凛とした表情は、結局はホークアイを連れてきた事は間違っていなかったことをヒューズに確信させた。
ヒューズは闇に目を凝らし、遠ざかる少女の後ろ姿に感謝を込めて小さな敬礼を投げたのだった。
 
 
Fin.
 
 
 
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【後書きのようなもの】
お待たせしいたしました。
三樹様のみ、お持ち帰りOKでございます。
そして同時に、飛んでどうするジャンピング土下座です。すみません!こんな暗い物語で!
 
いただきましたリクエストは「ある事件に巻き込まれて、全ての記憶を失ってしまうロイ、最終的にはリザの存在が記憶を取り戻すきっかけになる」。
このリクをいただいた瞬間、この殺伐プロットが頭に浮かんで離れなくなりました。
例えば東方司令部でリザを庇って頭を打ったロイをリザが看護して、、、とか、もっと甘い(でも何処かで見た様な)お話にする事も出来たのですが、ロイアイでしか出来ない記憶喪失ネタで今私に書けるベストのものはコレだと、腹を括って書かせていただきました。
もしも、もしも、甘いのの方がお好きでしたら、このお話に関してのみは書き直しを受け付けさせていただきますので、遠慮なくお申し付け下さいませ。
  
リクエストいただき、どうも有り難うございました。
もうほとんど自己満足ですが、呆れずにお付き合い頂ければ感謝感激です。
 
※ 9/1加筆修正しました。