じゃじゃ馬ならし

バルコニーから祖父の姿を見つけたリザは、金の髪をたなびかせ、転がるような勢いで階段を駆け降りた。
「おじい様!」
そのままの勢いで満面の笑顔で抱き付いてくるリザを受け止め、グラマン男爵は皺だらけの顔をほころばせる。
 
「どうした? リザ」
「おじい様、素敵な贈り物をありがとうございます。あんな可愛い仔馬がプレゼントだなんて!」
「少し早いが誕生日の贈り物だ。リザの髪の色に合うと思って、栗毛にしたのだよ。気に入ってくれたかね」
「ええ、とても! 今すぐ、遠乗りに行きたいくらいですわ」
キラキラと瞳を輝かせ勢い込むリザの話を、男爵の後ろに控える男がわざとらしい咳払いで遮った。
 
「お嬢様、お行儀が悪う御座います。男爵にきちんとご挨拶を。貴女は次期領主になられるお方なのですから」
黒のベストをかっちり着込み、黒髪をきっちりとオールバックになでつけた執事が、イヤミなほど冷たい声でリザを窘める。
リザは頬を膨らませて渋々祖父から離れると、ドレスの裾を摘んで膝を折った。
「おはようございます、おじい様」
「おはよう、リザ。元気なのも良いが、マスタングの言うとおり、レディにはマナーが大切じゃからな」
「はい、おじい様」
祖父の言うことには素直に返事をしながら、リザはマスタングに好戦的な視線を送る。
 
リザは、この祖父お気に入りの執事が大の苦手だった。
もっとおしとやかにしろだとか、勉強しろだとか、顔を合わせればいつもリザにはお小言ばかり言う。
そして、二言目には必ず馬鹿の一つ覚えみたいに、『貴女は次期領主になられるお方なのですから』と言うのだ。
絶対にあの執事は、おじい様に言われて仕方なく、嫌々リザの面倒をみているに違いない。
どれほど有能なのか知らないが、こんな小舅みたいに口やかましい嫌みな男を屋敷に置く祖父の考えが、リザには全く理解出来なかった。
 
「それから、本日は家庭教師のファルマン教授がいらっしゃる日です。よもやお忘れではありませんでしょうね」
リザの挑発的な視線を歯牙にもかけず、マスタングはいつも通りの冷静な態度でそう告げると、グラマン男爵に何やら話しかける。
優しい祖父はリザの頭を一つ撫でると、仕事の時の難しい顔になって、マスタングを連れて去って行ってしまった。
リザは大好きなおじい様を奪っていく憎らしい執事の背中に向かって、胸の内で思い切り舌を出してみせる。
今に見ていらっしゃい! 例え、貴方が私を嫌いでも構わないわ。私が領主になった暁には、貴方なんて追い出してしまうんだから!
声には出さずに悪態をついて、リザは穏やかでない心中を収めようと、自分のポニーを見る為に厩舎へと向かったのだった。
 
馬小屋にはリザの子馬の姿はなく、リザは優しい馬丁に声をかけた。
「ご機嫌よう」
「ああ、お嬢様。また、仔馬の顔見にいらしたんスか?」
人懐っこい笑顔で馬丁のハボックが、輝くような黒毛の馬にブラシをかけながらリザを振り向いた。
「ええ、いけなかったかしら?」
「とんでもない! こいつらは優しい動物ッスからね、イヤな事があったンなら慰めてくれますよ」
「私、そんな顔してるかしら」
ちょっと情けない顔をするリザをからかうように、ハボックは言う。
「お嬢様の顔に書いてありますよ、“ご機嫌斜め”って」
 
ばつが悪そうに頬を赤らめるリザに、親切な馬丁は下手くそなウィンクをしてみせた。
「そんなお嬢様に、元気が出るニュースが一つ。ついさっき、お嬢様の為の馬具が仕上がってきたんスよ」
「まぁ! 本当に?」
「ちょうど馬場で調整してたとこッスから、馬具のついたアイツの格好良いとこ、見てやって下さい」
そう言って、黒馬の手入れの仕上げにかかるハボックに背を向け、リザは自分の仔馬のいる馬場へと駆け出したのだった。
 
     *
 
それから二時間後。
 
リザは、自領の森の中で途方にくれて座り込んでいた。
お約束通り、鞍のついたポニーを見て我慢出来なくなった彼女が、ハボックの目を盗んでその背に跨った瞬間、怯えたポニーが暴走したのだ。
森に駆け込んだ仔馬は闇雲に走り回った挙げ句、リザを振り落として何処かに行ってしまった。
足は痛いし、お気に入りのドレスは泥まみれ、髪を束ねていたリボンも落としてしまったらしい。
リザは情けない思いでうなだれる。
 
今頃、お屋敷にはファルマン教授が到着していて、カンカンに怒ったマスタングが姿の見えないリザを探し回っている事だろう。
帰ったら、どれだけ厳しく叱られるだろう。
否、それ以前に帰れるのだろうか?
リザは最悪の事態を考えて、青ざめた。
この森は恐ろしい程に広く、また野生動物も沢山いるのだから。
 
そう考えた時、どこからともなく馬を駆る鞭と蹄の音が聞こえてきた。
誰かが探しに来てくれたのだ!
不安の涙を拭いリザが瞳を上げると同時に、目の前に見覚えのある黒馬が姿を現した。
朝、ハボックが手入れをしていた馬に間違いない。
安堵するリザには、逆光で正体の分からぬ馬上の人物は英雄のように見えた。
その男が口を開くまでは。
 
「まったく、無茶をするお嬢様だ」
 
リザの表情が、瞬時に凍り付く。
彼女の姿を認めて馬を急停止させたのは、リザが苦手とする黒髪の執事だったのだ。
よりによって、マスタング自らリザを探しに来るなんて!
次に来るであろう叱責の言葉を覚悟して、リザはギュッと身を竦める。
 
が、予想に反して、スルリと馬から降りてリザの前に跪いた黒髪の執事は、真摯な声でこう言っただけだった。
「お怪我はありませんか?」
なぜ叱らないのだろう?
リザは半信半疑で、マスタングの問いに答える。
「足を挫いたようだわ」
「右ですか? 左ですか?」
「右よ」
「痛みますか」
「少し」
本当はすごく痛むのだけれど、リザは虚勢を張ってそっぽを向く。
そんな彼女に構わず、マスタングはリザへと手を伸ばした。
「失礼します」
 
「な! 何をするの!?」
 
リザはマスタングがとった信じられない行動に、真っ赤になる。
リザのドレスの裾をヒョイと摘みあげた彼の手が、彼女の右足首を掴んだのだ。
少しだけ捲られたドレスの裾を抑え、リザは金切り声をあげる。
「しっ、失礼じゃない! レディに対してなんて事をするの!」
「貴女がレディらしく振る舞って下されば、私も貴女をレディとして扱わせていただきます。少なくとも私の知るレディはドレスのまま馬に跨って、挙げ句暴走するなどという恐ろしい事はなさいませんがね」
ピシャリとそう言われては、リザは反論も出来ず悔しさに唇を噛み締めた。
確かに自分に非があるのだから、文句は言えない。
 
「怪我を拝見するだけです、ご安心下さい」
マスタングはリザの靴をそっと脱がせて、跪いた自分の膝の上にリザの足を載せると、慎重に彼女の怪我の様子をみた。
「ああ、良かった。折れてはいないようですね。しかし踝が腫れ上がっている。これは、さぞかし痛みますでしょう」
「そんなことはないわ」
マスタングに弱みを見せたくないリザは、無意味に意地を張る。
本当は痛くて仕方ないというのに。
 
マスタングは呆れ顔で溜め息をついた。
「こんな時くらい素直になられたら如何ですか? お嬢様」
「平気よ、こんなの。舐めておけば治るわ」
「全くレディのお言葉とは思えませんね。嘆かわしい。……仕方ありません。貴女がそうおっしゃるのでしたら」
 
マスタングはそう言ったかと思うと、やにわに身を屈め、リザの踝に口付けた。
絹の靴下越しに感じられる柔らかな感触に、リザは挫いた足首の熱が全身に広がった思いがする。
「え? きゃ! 何を!?」
混乱してまともに言葉も出ないリザに向かって、マスタングは涼しい顔で言ってのける。
「こうすれば治るのでしょう?」
「止めて、汚いわ」
真っ赤になってリザは抗議するが、意地の悪い黒曜石の瞳は黙って彼女を見つめ、再び柔らかな口付けが足首に落とされた。
ぐらりと世界が回り、リザは息も絶え絶えにマスタングに告げる。
 
「間違っているわ」
「何がでしょうか?」
「脛への口付けは服従を表すのよ? 貴方が服従を示す相手は、おじい様のはずよ」
負けず嫌いのリザの反論を聞いて、マスタングは愉快そうに笑った。
「間違っておりませんよ。私は生涯お嬢様にお仕えするよう、男爵に仰せつかっておりますから」
再びリザの世界がグラグラと回った。
何を言っているのだろう、この男は。
驚きに言葉を無くすリザに種明かしをするように、 マスタングはゆっくりと語り始めた。
 
グラマン男爵はお元気でいらっしゃるとは言え、ご高齢です。お嬢様が次期領主になられ困難な事態が起こった時、貴女を補佐する者が必要だとお考えになられ、私にその役目を仰せつけられたのです」
「そんな! おじい様にはお元気でいていただかないと困るわ!」
「おっしゃる通りですが、ご聡明な方ほど不測の事態をお考えになるものですよ」
「でも、貴方はそれで良いの?」
「お嬢様にお仕え出来るのは光栄なことですから」
「でも、貴方は私の事、その、嫌ってるんじゃ……」
消えそうな声で躊躇いがちに言うリザを、マスタングは驚きの目で見る。
「まさか。何故そのようなことを」
「だって私、貴方の口からお小言以外聞いたことがないんですもの」
一瞬、呆気にとられた顔をして、マスタングは片手で顔を覆うとクツクツと堪え切れぬ笑いを漏らした。
 
「何が可笑しいの!?」
訳も分からず笑われて不機嫌なリザを宥め、マスタングはリザに靴を履かせながら答えた。
「ご両親を亡くされてから、お屋敷にはお嬢様を叱る者が誰もいなくなってしまったと男爵がお嘆きになられるものですから、私がその役目をお引き受け致しましたのですが」
マスタングは可笑しくて堪らないという顔をして、言葉を続ける。
「そんな風に思っていらしたとは。理不尽にお叱りした覚えはないのですがね」
リザは赤面する。
自分が如何に甘やかされているかを自覚したのだ。
確かに母を早くに亡くし、父を失って以降、屋敷内でリザの我が儘が通らないことはなかった。
そして、よくよく考えれば、マスタングのお小言にはいつも必ず理由があり、リザが従わざるを得ないことばかりだった。
 
「ごめんなさい……」
消え入りそうな声で謝るリザをマスタングは黒馬に横座りに乗せ、自分もその後ろに跨った。
「お分かり頂ければ結構です。帰ったらファルマン教授にきちんと謝罪なさって下さいね」
「分かっているわ」
「結構です。では、帰りましょうか。皆がお嬢様を心配しております」
そう言って、満足げな笑顔を浮かべたマスタングは、馬を駆ったせいで風に崩れた髪を鬱陶しそうにかきあげた。
そんなマスタングを間近に見て、リザは滅多に見られない彼の笑顔を今日は沢山見たことに気付く。
 
今まできちんと髪をセットした仏頂面しか見たことがなかったが、こうして髪を下ろして笑うと、この執事は意外に可愛らしい童顔をしている。
思いがけぬ発見が可笑しくて、リザはマスタングに見つからぬよう彼の胸元に顔を寄せ、クスリと笑った。
すると、鼻先に青草の匂いが掠める。
よくよく見れば、執事のかっちりした白いシャツはあちこち草色に染まり、彼の手の甲には荊(いばら)で掻いたであろう傷が見てとれた。
リザの姿が消えてから2時間、この執事が彼女を探して馬を駆り続けてくれたであろう事は、想像に難くなかった。
それでも、彼は恩を着せるでも無く、いつも通りの態度でリザに接してくれた。
 
祖父が何故この執事を自分の補佐に選んだのか少し分かった気がして、だく足で駆ける馬の背に揺られながら、リザは信頼を込めてそっと彼のベストの裾を握り締めた。
 
 
 
Fin.
 
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【後書きの様なもの】
ゆずり様のみ、お持ち帰りOKです。
 
いただきましたリクエストは、『パラレルで執事×お嬢様』。
ていうか、誰この別人。orz いやはや、どういたしましょう。
一枚上手な大人執事ロイ23歳VSじゃじゃ馬ツンデレお嬢様リザ15歳。
久々にパラレル書くと楽しくて筆が止まりませんで、えらく長くなってしまいました。申し訳ありません。

少しでも気に入っていただければ、幸いです。リクエスト、どうもありがとうございました。