sunflower 3

「何よりサボりませんし、さすが、できる殿方は違いますね」
言葉の端々にリザへの気遣いを滲ませる様に感謝しながらも、あえて彼女がしらっとした表情でそう言ってやると、ロイは心の底から嫌そうな顔をして
「……面白くない話になりそうだ」
と言ってサンドイッチを頬張った。
こうやって何があっても表面上は普段のペースを崩さない、ロイというブレない軸の存在にリザは安堵する。
そして、同時に強く思う。
 
話さなくては、否、伝えなくてはならない。
あの黒い影の正体を。
 
そう思いながらも、リザは少し躊躇する。
人で溢れるこの食堂で、誰が聞いているか分からないこの場所で、それを内密に伝える手段をリザは持っている。
しかし、その暗号をロイが覚えていてくれているか、それが問題なのだ。
あんな子供の頃の遊びを、果たして彼が覚えているだろうか。
 
最後にあの暗号を使った日の事を、リザは思い出す。
まだ父が生きていて、ロイをマスタングさんと呼んでいた幼年期の終わりも近いある日、リザはエプロンを買いに行こうとロイに誘われたのだ。
結局父にバレてその話は流れてしまったし、それ以来“二人だけの秘密”ではなくなってしまった暗号を幼い日のリザは使わなくなったけれど、あの日初めてロイに誘われた時に感じた小さな胸に溢れる幸せを忘れる事はリザには出来なかった。
しかし、自分にとって大切な思い出でも、相手にとってはそうでもない事などよくある話ではあるのだ。
 
表面上はロイとの呑気な会話を続けながら、リザは考える。
食堂で偶然会うなど滅多にない好機だし、本当は躊躇っている猶予など全くない。
今、大佐が話題にしている北のアームストロング少将がセントラルに来ているという点も、事態急転の可能性を秘めた知らせだった。
やはり、何としても知らせなければならない。
 
しかし、一歩間違えば。
自分の命どころか、ロイを筆頭とするいわゆる“マスタング組”全員の命を危険に晒す事になりかねない。
あの影は、言ったからにはそれを実行してみせるだろう。
頬の傷が疼いた気がして、リザはゾクリと寒気を覚えた。
 
だが、敵の正体を知っているのと知らないのとでは、今後の作戦も全く違ってくる。
何より、手の内のカードは多ければ多いほど有利なのだから。
様々な因子が揃っていく中、リザだけが手をこまねいて黙っている訳にはいくまい。
 
リザは恐怖と葛藤をねじ伏せ、決意する。
セリム・ブラッドレイがホムンクルスであることを、ロイに伝えることを。
 
身体中に巻き付いたおぞましい闇の触手の記憶を押さえ込み、リザは何食わぬ顔で、しかし緊張のあまり嘔吐しそうな内心の恐慌を抱えて琺瑯カップを唇から離した。
口に含んだ珈琲の味が全く分からない。
 
彼は覚えているだろうか、この合図を。
そう言えば、初めてあれを教えて貰った時は、錬金術で修復されたマグカップが2度鳴らされたのだった。
リザは何とも言えぬ感傷を振り払い、合図を送る。
 
カンコン
 
乾いた2度の金属音が食堂の喧騒の中に溶けた。
 
「北と言えば」
万一を考えて、リザは世間話に紛らわせてしまえるように注意深く語句を選ぶ。
眼前のロイの目が殆ど分からないほど僅かに細められた気がした。
「傷の男(スカー)が北にいるとか、たしかエルリック兄弟も北ですよ」
SとE……続きはLIM、Lはルーシー、Iは……アイザックで良いか。
嗚呼、北ならマイルズ少佐とバッカニア大尉がいる、丁度いい。
会話を滑らかに運ぶ為にリザは思考回路をフル回転させ、そして祈った。
 
覚えていて下さいますか、大佐。
我々の幼い日々の小さな秘密を。
こんな未来が待っているとは想像だにしなかった日々の欠片を。
 
パンをちぎるリザの手が少し震えた。
異様なまでに長く感じられる一瞬の後。
 
コツコツ
 
確かな返事と共に、ロイの瞳が一瞬強い光を持ってリザを見た。
少しの間を置いて一言「そうか」と言いながら、平常を装った彼の指先が書類の下に小さく走り書きを記したのを、リザは安堵を隠して目の端で確認する。
 
ああ、覚えていてくれたのだ。
リザの胸に温かな感情が流れ込む。
しかし、それも束の間。
何事もない風を装い、リザはちぎったパンを口に運び、一息つく。
それからキッと気持ちを引き締め、言葉を続けた。
「北には今、同期のルーシーとアイザックがいて色々教えてくれます」
 
そうして、リザは長い長い暗号文を紡ぎ出す。
まるで懐かしい思い出話をするように、気持ちよいほどのロイの的確な話の継ぎ穂に助けられて。
 
そして。
 
「いやぁ、あのケンカは見物だった!」
くつくつとまるで見てきたかのように思い出し笑いを作りながら、ロイはuniの名を記している。
スターリングのS、これで最後だ。
リザはホッとした気持ちを出さぬよう、注意深く呆れ顔の仮面を被り、すっかり冷めてしまった珈琲の最後の一口を飲み干した。
「見てたなら止めてください。仲裁に入ったスターリングがとばっちりで入院したんですよ?」
カン!
リザの送った終わりの合図と共に、ロイの優しい笑い声が聞こえた。
 
「なつかしいな」
カツッ、ペンが鳴る。
「本当に」
暗号を〆るペンの音と重なるように吐き出されたロイの科白にリザはおや?と思う。
その声音は暗号の為の作り話に合わせるにしては、ほんの少し優しさが混じり過ぎている気がしたのだ。
 
リザは立ち上がりざまにチラとロイに視線を滑らせる。
「と、ムダ話をしている場合ではありませんでした。仕事に戻りますので、これで」
「ああ」
長居は無用とばかりにトレイを手に立ち上がるリザに素っ気ない返事を返すロイの目元は、先程の笑いを少し残したままで、その中に彼は“マスタングさん”だった頃の無邪気さの影を滲ませているのが彼女には分かった。
 
リザは気付く。
『なつかしいな、本当に』
その一言に込められた二重の意味に。
それは、北での合同演習のエピソードに対しての返事であり、そしてまた、ロイとリザの間に眠っていた余りに古い暗号への想いであるのだと。
 
リザはこれ以上この場に留まって、自分が無表情を保っていられる自信がなくなってしまう。
「お先に失礼します」
「おつかれ」
リザの方を見ようともせず左手を上げるロイに背を向け、リザは足早に食堂を後にする。
立ち止まったら何かが溢れてしまいそうで、リザはトレーを返却すると真っ直ぐに廊下へと飛び出した。
 
『なつかしいな、本当に』
 
ええ、本当に懐かしくて涙が出そう。
でも、そんな感傷に身を委ねるほど今の自分は純粋でも、素直でもないことはリザ自身イヤというほど分かっている。
言葉には出来ない熱いものが込み上げてきて、リザは軍靴にいれたズボンの裾を直すふりをしてしゃがみ込む。
 
『なつかしいな、本当に』
 
そう、本当に懐かしくて改めて我々が共に重ねた時間を思ってしまう。
忘れられているかもしれないなどと、何と莫迦な心配をしたものだろう。
そう、我々はこんなにもずっと共に生きてきたのではないか。
自分が思っている以上に、きっと近くで。
 
すっくと立ち上がり、リザは真っ直ぐに前を見る。
 
幼かった頃の愛おしい思い出すら目的の為の手段にしてしまえる自分に少しの憐憫と自己嫌悪を覚えながらも、あの頃から今まで彼と共に生きてきた満足感と自負を胸に、リザはしっかりとした足取りで大総統室へと歩いていく。
少なくとも、今この時のリザの心の中には一点の恐怖も存在しなかった。
 
 
 
Fin.
 
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【後書きのようなもの】
暗号ネタ、これが本当に書きたかったお話です。
 
お菓子の様な若ロイ仔リザも、殺伐中佐少尉も、共闘する大佐中尉も、全ては原作のロイアイに繋がっていくことを考えながら書いています。
それを実際に一つの物語にしたかったのが、このsunflowerシリーズです。
 
若ロイ仔リザの物語が、現在のロイアイに繋がっていくこと。
その為に、このsunflower3の会話文は、全て原作19巻p21からp26に実際に存在する科白だけで構成しています。動作も概ねトレースしているつもりですが、、、こちらはちょっと目をつぶってやってください。(笑)
 
あの場面の背景にある物語を紡ぎだすこと。少しでも伝わりましたなら、とても嬉しく思います。
 
追記:あ、ロイの日でしたね、、、今日。