憩いの掌

昨夜書類を作っている時から感じ始めた膝関節の痛みは、今や立っている事が苦痛に思えるほど酷くなっていた。
おそらく夕方になり、陽が落ちて冷え込みが強くなってきたせいだろう。
だるさを伴う関節の痛みは、高熱が出る予兆に違いない。
 
そんなことを考えながら、吹雪の中訓練を終えて帰還した同僚達を迎えに出て、リザはあまりの寒さにブルリと震えてコートの前をかき合わせた。
何度来てもブリッグズの芯から凍えるような寒さには、慣れる事が出来なかった。
 
寒中での合同訓練は、過酷を極めた。
身体を動かしているうちは良い。運動で温まりさえすれば、鍛えあげた体は環境に適応してくれる。
しかし、うっかり汗をかいたままでいようものなら、直ぐに身体は凍傷の危機に晒されてしまう。
酷い時は汗と共に皮膚が凍り、凍った皮膚が裂けて血が吹き出してくる。
慣れない東方の兵士たちは、まずこの凄まじい寒さの洗礼を受け、震え上がるのだ。
 
こんな過酷な環境の中で国境を守るブリッグズの兵に、リザは心から尊敬の念を抱く。
だからといって引け目を感じる訳ではなく、己は東方という地で自分に出来る事をやっているという自負も持っている。
だからこそ、こんな所で体調を崩して無様な姿を晒す事は出来なかった。
 
それに部下の醜態は即ち管理者の責任問題にも繋がるわけで、それは大佐がオリヴィエ・ミラ・アームストロング小将に一つ駒を取られると同義なわけで。
ただでさえ、あの苛烈な北国の女王に対抗出来る駒の少ない大佐に、マイナスを付るような真似をリザがするわけにはいかない。
それこそ、リザがここブリッグズに来てから、大佐の補佐として昼夜を問わず必死に働いた意味がなくなってしまうではないか。
 
後2日、2日持ちこたえれば演習は終わる。
気力だけで何とかなる訳はないが、弱気にならないように気を張っておかなくてはならない。
前半無理をし過ぎた分、今更だが自己管理をしなくては。
リザは自分に発破をかける。
 
そう考えていると、部隊の1人がリザに大佐が呼んでいると伝えに来た。
こんな体力の落ちている時に追加の仕事かと少しウンザリしつつも、リザは伝言を伝えてくれた兵士に礼を言うと、ロイの居室へと向かった。
 
「失礼いたします」
ノックをして部屋に入ると、ロイは何やら電話をしている最中だった。
ロイは話しながら手に持ったペンで傍らの椅子を差して座るよう促すが、リザはドアのすぐ横に立ち、電話が終わるのを待っていた。
少し温かい室内では膝の痛みも多少マシになる気がしたが、悪寒は全く消えなかった。
 
これはかなり危険な状態だ。どうやら発熱してしまったらしい。
シャワーは諦めて本格的に寝るしかあるまい。
リザは電話越しに矢継ぎ早に指示を出すロイをぼんやり見ながら考える。
 
東方でも見慣れたいつもの光景に、リザの心がほっと緩んだ。
その時。
視界がクニャリと歪んだ。あっと思う間もなく、リザは床に膝をついてしまう。
驚くロイの声が聴こえた気がしたがそれも束の間、リザは冷たい床の上に崩れ落ちたのだった。
 
      *
 
温かい。
リザは久しぶりに感じる温もりに、うっすらと目を開けた。
肌に触れる柔らかな毛布の感触、乾いたウールのセーター、リザを後ろから抱く大きな手。
軍服を自分で脱いだ覚えはない、この手は一体、、、
ハッとしてリザは、振り向こうとした。
 
しかし、彼女を抱いた手の主はそれを許さず、しっかりと彼女を抱いたまま耳元に囁く。
「雪で濡れたものを着替えさせただけだ。何もしていない」
リザの考えを読んだかのような聞き慣れた男の声にリザは赤面し、身をすくめる。
気が付けば、堅いベッドの上で後ろから毛布ごと抱きすくめられ、リザはくったりとロイに寄りかかっていた。両脇に支えのようにロイの脚があり、ちょうど彼が寝椅子の背もたれの役割をしているような状態だった。
 
「申し訳ありません、しかし、この状況はいったい?」
「倒れてからも、寒い寒いと言ってガタガタ震えていたのでね。覚えていないだろうが」
だから、温めてくれたというのか。寒中では人の体温で暖を取るのは、確かに効果的だ。
現にまだ力は入らないが、温められた身体からは悪寒は逃げ去ったようだった。
 
「休ませようと思って呼んだと言うのに。全く、どうしてギリギリまで我慢する。子供の頃から変わらんな」
「申し訳ありません」
いつになく弱々しい声で重ねて謝罪するリザに、驚いたようにロイが続ける。
「珍しいな、君がこんなに素直だとは」
ロイはリザの額に手をやる。
「まぁ、これだけ熱が高ければ、弱気にもなるか。君から言ってくるまでは、見ないふりで通そうかと思っていたのだが、流石にな」
「今、何時ですか?」
「さて、2130を過ぎた所かな。嗚呼、気にするな。事後の事はブレダに任せてある」
先回りに気になっていた事の答えを言われ、リザは溜め息をつき、口を噤(つぐ)んだ。
 
黙り込むリザの背中から優しい声が響く。
「こんな高熱を出してまで、ブリッグズに留まる必要はないのだぞ」
「しかし、私は副官ですから」
当然のことと反論するリザに、ロイは笑って言葉を返す。
「副官なら、もう少し上官を信用してくれても良いと思うのだが」
「対外演習ですよ?」
「私だけでも何とかなる」
「相手が雪の女王でも、ですか?」
「その前に君が冬将軍にやられてしまっては、元も子もない」
 
上手い切り返しに思わずリザはクスリと笑う。
「確かにここの冬将軍は雪の女王の僕らしく、厳しいですからね」
「これだけ厳しいと身体に応えるだろう」
「そうですね」
「折角温まってきたのだから、ゆっくり休めば良い」
 
さっきから顔が見えない所為で、妙に素直にロイの言葉が染み込んでくる。
「そんなこと仰られると気が弛んで困ってしまうのですが」
「全く妙に素直で恐いな。君に倒れられると困るから、優しくしているだけかもしれんぞ?」
「素直じゃありませんね」
「君から言われるとはな」
苦笑しながら、リザを抱く手に力を込めてロイは囁く。
「素直ついでに此処は休むべきだと思わないかね?中尉」
 
雪の女王と冬将軍。
ブリッグズの双璧に挑むには、心も身体も少しばかりの休養を取っても良いのかもしれない。
せめてこの吹雪が止むまでの間ぐらいは。
リザは少し考えてから、黙ってヒヤリと冷たいロイの手に自分の頬を寄せたのだった。
  
 
  
Fin.
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【後書きの様なもの】
初めてキリリクいただきましたっ!大感激♪
151151を踏んでいただきました藤丸しゅん様からのリクエスト、『無理のしすぎで体調を崩したリザをロイが介抱するお話』でございます。
上司部下以上恋人未満、ちょっぴりほのぼの風味。
春なのに冬の話で申し訳ありませんが、お気に召したらお持ち帰り下さいませ。
 
今回はリクエスト頂き、まことにありがとうございました。
今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。