overdose

overdose【名】〔薬剤・麻薬の〕過剰摂取【自動】〔薬剤・麻薬を〕過剰摂取する、麻薬をやり過ぎて死ぬ
 
     * 
 
「腕をぶった切ったまま下水道を歩いただぁ!? 破傷風になっても知らんぞ!」
 
大佐がノックスと呼んだ医者は怒鳴るようにそう言うと、乱暴な言葉とは裏腹に繊細な手つきで少女の傷口をあらためた。
切断された面は肉と骨が露出し、未だ出血が止まっていない。
大佐と共にイシュヴァールを生き抜いた医者は顔色一つ変えずに、傷を睨み付け鞄からてきぱきと薬や器具を取り出していく。
助手役を仰せつかった私は、医者が取り除いた傷を覆っていた布を処分しようと持ち上げ、その重みにため息をついた。
大量の血を吸って赤褐色に変色したそれは、少女の身体から流れ出た命のようで私は胸が痛んだ。
 
確かランファンと呼ばれていたこの少女は、あのシン国の少年の従者らしい。
聞けば、ホムンクルスから主君と共に逃れるために、怪我で使いものにならなくなった己の腕を自分で切り落として来たという。
彼女の主君であるリンという少年に頼まれ車で彼女をピックアップした時には、彼女は半死半生の体でマンホールから血と泥にまみれて這い上がってきたのだった。
 
私は大佐とラストという女の形をしたホムンクルスとの闘いを思い出す。
絶望に塗り潰された真っ黒な心で、衝動的に引き金を引き続けたあの夜。
自分の力が全く及ばぬと分かった時のあの無力感。
大佐の無事を知るまでは、情けないことに涙が止まらなかった。
  
あのような能力を持った化け物から命を拾う為に、腕一本。
自分を捨てない主君を救う為に、腕一本。
私が彼女の立場なら、きっと同じことをしただろう。
 
視線を扉の外に動かせば、当の大佐はシン国の少年とエドワード君と何やら話をしている。
まだ傷が痛むのだろう、無意識に右手で左わき腹を抑えているのが心配だった。
 
「最近、死体の相手しかしてないからな」
私の思考を打ち切るように、医者は腕まくりをしてぼそりと言った。
私は眼前の怪我人へと意識を戻す。
麻酔薬を吸い上げた注射筒を用意し、皮肉屋の顔を崩すことなく医者は私に向かって準備をするようにと顎をしゃくった。
「ちと、荒っぽいぞ」
私は少女の額に浮く脂汗を拭いながら、医師の指示を待った。
 
「ねえちゃん、肩おさえてろ」
「はい」
手早く医者は傷の周囲に麻酔薬を打っていく。
「……ッ!!」
痛みのあまり声にならない叫びを少女は発し、私は全身の力を込めてその身体を押さえつけた。
 
「ランプ、もう少し手元へ」
「はい」
 
麻酔薬が完全に効くまで待っていられないのだろう。
医者は明るいとは言い難い手元をものともせず、手早く消毒を済ますと惚れ惚れするような手つきで切断された血管を結紮していく。
何故、これほどの腕の持ち主が監察医などをしているのだろう。
そんな考えが胸を掠めて、直ぐに去った。
大佐と共に、あのイシュヴァールにいたのだ。
何があったのかは、想像に難くない。
戦後、監察医の道を彼が選んだということは、彼がそれだけ真面目な医師だった証拠だと言っても過言ではないだろう。
 
「鉗子」
「はい」
 
私は暗澹たる思いに陥りながら鉗子を医師に手渡し、処置の痛みに跳ね上がる小さな身体を押さえこむ。
細い身体は思った以上に鍛えられた筋肉で出来ていて、そして思った以上にか細かった。
この小さな身体をここまで鍛え上げ、彼女はあの少年を守る為に異国へ来て命を落としかけている。
その強さとひた向きさが、私には哀しかった。
 
いつの間にセントラルは戦場になってしまったのだろうか。
いや、それどころか此の国そのものが深い闇に包まれているのだろうか。
こんな幼い少女が命を落とす危機に晒されなければならないほど、深い深い闇に。
そうさせない為に、我々は血の海を歩むと決めたというのに。
 
着々と処置を完了していく医師の手さばきを見ながら、私はその闇を見据える決意を新たにする。
自分の知らない所で進行していく何かを、放置しておくわけにはいかない。
 
「カスト」
「はい」
傷を覆い包帯を手に、医師の指示は続く。
「患者の上体起こして」
「はい」
 
肩周りを包み込むように巻かれた包帯で、漸く傷が見えなくなっていく。
私はホッとして、肩の力を抜いた。
エドワード君達もそうだが、若い彼らが傷付くのを見るのはやはり辛い。
「終わったわよ」
歯を食いしばって最後の処置に耐える姿が痛々しく、私はそう言ってそっと彼女の残された方の手を握った。
その時。
 
「……若」
 
少女は譫言のように呟き、うっすらと目を開けた。
潤んだ瞳は宙を彷徨い誰かを探し、やがて私を捉えるとその光が鋭くなった。
彼女の手を握った人間は、彼女の望んだ人物ではなかったのだ。
失望の色が浮かび、そして痛みと麻酔と発熱で朦朧としているはずなのに、意志の強い黒い瞳が私に縋るように尋ねる。
 
「若ハ」
「彼は無事よ」
怪我人を安心させるべく、私は簡潔に力強く彼女が望むであろう言葉を与える。
「そうカ、感謝スル」
安心したらしい彼女は苦しげな息の下、口元に緩い微笑を浮かべた。
 
ああ、彼女も私と同じなのだ。
私は胸の内で嘆く。
忠義という名の麻薬を飲み干した愚かな犬。
この麻薬は強力で、死に至るまで醒めることなく我々に力を与え続ける。
その影に隠した本当の想いから目を逸らす為に。
 
このような想いは私だけで十分だというのに。
 
半ば意識を飛ばし、苦しげな息遣いで痛みと戦う彼女の耳元に唇を寄せ、私は囁いた。
「死んでは駄目。彼が哀しむわ」
少女は薄く微笑むと、そっと首を横に振った。「リン様の為なら本望ダ」

予想通りの答えに、私は苦笑する。
「大人の言うことは聞くものよ」
そう返した答えは、既に彼女の耳には届いていない。
身体が生命を守る為に、全ての感覚を閉じるかのように。
 
己の命よりも忠節を尽くす相手を想い、その身が滅びるまでその想いに殉ずる愚かな、しかし、だからこそ強くあれる私たち。
私はそれ以上何も言う言葉を持たず、ただ強く強く少女の冷え切った手を握り、目を伏せた。
 
 
Fin.
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【後書きのような物】
 超ねつ造13巻p131辺り、リザさんの散文調独白。途中からノックス先生空気過ぎ。(苦笑)