overwork

overwork:【名】働き過ぎ、過労、余分の仕事
 
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「こちらが来月分の練兵場の使用許可申請書です。希望日が重なっているのは二件のみですから、大佐の裁量で判断していただいて問題ありません。それから、こちらは先月の実弾の使用数の報告書です。実数と報告の照合は済んでおりますから、目を通してサインだけ戴ければ結構です。この黄色いメモの付いた出張経費清算の書類は不備があったそうなので、再提出をお願いします」
 
矢継ぎ早の説明と共に、リザは淡々とロイの前に書類の山を築いていく。
「こちらは退役軍人局からの年金問題の陳述書類の回覧です。読み終わったらサインをして、こちらの茶封筒に入れて下さい」
そう言いながら、リザは書類と茶封筒を『回覧』と書かれた箱の中に放り込む。
以前、回覧書類をロイが業務書類の山の中に紛れ込ませてしまい大騒動になった一件以来、この回覧書類専用ボックスを設置したのだ。
この作戦は成功したようで、以後、回覧書類に関してだけは紛失事件はおきていない。
 
「明日の佐官会議のレジュメは此処に置いておきますから、時間があれば目を通して下さい。どうしても無理な時は付箋紙の付いている箇所だけは必ず読んでおいて下さい」
表紙に“部外秘”の印の押された紙の束はレジュメと呼ぶにはあまりに分厚過ぎ、凶器代わりに人を殴り殺せそうな重量感があった。
くだらない事を大仰に取り上げた議題もあれば、意外な着眼点で興味深い議題もある。
リザは予め下読みして、ロイの手元に渡す議題を振るいにかけている。
目線で付箋の数を数えていたロイは、途中で匙を投げたらしい。
「後は」
「中尉」
「何でしょうか?」
リザは書類を繰る手を止め、ロイの顔を見た。
「この後、一五〇〇から会議が入っていたはずだが」
「はい、それが何か?」
事も無げに言うリザに、ロイは重ねて問いかける。
「会議の終了予定時刻は?」
「一七〇〇ですが、いつも通り官憲サイドがゴネれば軽く見積もっても一時間は延びるでしょうね」
 
わざとらしいため息を付いて、ロイは抗議の声を上げた。
「これだけの書類を、その会議の後に仕上げろと言うのかね」
「はい、何か問題でも?」
全く何を言いたいのだ、このふざけた上官は。
リザは金色の瞳で不甲斐ない上官を睨みつける。
「全て今日中に仕上げなければならないものかね」
「今日出来る事は明日に回すな、という言葉をご存知ありませんか?」
「明日出来る事は今日しなくても良い、とも言うのだがね」
ふて腐れた表情でトントンと指先で机を叩きながら言うロイを無視して、リザは書類を机の上に積み上げ続ける。
「それで続きですが、先日から再三政治的声明文を送りつけて来ている過激派テロ・グループ『青の団』の指名手配書が回って来ました。こちらは各部署に配布済みですが、司令部の分は目を通しておいて下さい。それから……」
情け容赦のないリザの“口”撃に、ロイは諦めたらしく再びペンを手にサインの続きを書き始める。
リザはその姿を確認し、書類の説明を全て終えると執務室を後にしたのだった。
 
様々な雑用と頼まれ仕事を片付け、日課の射撃訓練を終えたリザが再び執務室に戻ったのは、とっぷりと日も暮れた頃だった。
さて、我が親愛なる上官殿はどうしていらっしゃいますやら。
リザは、ロイの行動パターンから、様々なシチュエーションを想定する。
最悪の場合、彼は逃げ出して執務室は空っぽ。山積みの書類が虚しくリザを待っている事だろう。
せいぜい、サインだけすれば良い書類が半分片付いていれば良しというところか。
リザは期待せずに、執務室の扉を開けた。
結果は微妙な所だった。
ロイは在室していた。
書類も少しは片付けたらしい。
しかし今現在のロイの状態は、とても誉められたものではなかった。
 
すなわち。
端的に言うならば、彼は来賓用のソファで眠っていた。
机の上には申し訳程度に仕事をした痕跡は認められるものの、会議のレジュメは広げたまま放置されているし、インク壷の蓋は開けっ放し。
回覧書類は半ば飛び出た状態で茶封筒に突っ込まれ、傍らのメモ用紙には思い付いたらしい錬成陣が落書きの如く描き散らされている。
リザは溜め息をついてロイの机に歩み寄り、インク壷の蓋を閉めた。
そして、回覧書類にサイン漏れが無いことをを確認してから、封筒にきっちり収めて封をする。
読みかけのレジュメに栞を挟んで閉じようとして、リザはそこに何か書き付けてある事に気付く。
 
『バカにつける薬なし、願わくば他人の時間を浪費する愚を犯す事なかれ』
 
走り書きの落書きにリザは思わず目を見開き、そして唇の端で少し笑った。
確かにその頁には箸にも棒にもかからない、くだらない議題がもっともらしく書き連ねてあった。
リザでさえ読んだ時には失笑した他愛のない内容に、ロイが腹を立てたのは仕方がないことだろう。
だから、私が付箋紙を付けた所だけ読んでおけば良いのに。
そう思いながらも、律儀にレジュメを最初から読んでいるロイの妙な真面目さがおかしくて、リザは彼のしばしの仮眠を見逃すことにした。
履いたままの靴をソファの肘掛けからにゅっと突き出し、腕組みして仰向けで寝ているロイの寝顔を見ながら、リザは考える。
 
確かにここのところ、我々は働き過ぎなのかもしれない。
イレギュラーの業務が立て込んで、大佐は目の下に隈を作っているし、自分だって最近肌の調子があまり良くない。
どうせ今日の書類だって、はなから全て終わるとは期待していなかったのだから。
自分にそう言い訳して、リザはロイにそっと毛布を掛けた。
すると、
「む、すまない。中尉」
そう言いながら、目を瞬かせたロイがリザの手首を掴んだ。
「お目覚めですか、大佐?」
リザはロイの方に屈み込んだ。
と、いきなりロイは掴んだリザの手首を強い力で引き、不意打ちにバランスを崩して倒れこんだリザは、自分が掛けた毛布ごと抱きすくめられてしまう。
 
彼が寝ぼけていたのだと気付いた時には既に遅く、リザはがっしりと抱き枕の如くロイに抱えこまれていた。
「大佐! 離してください!」
そう抗議の声を上げても、ロイは抱いた手を緩めることなく、再び眠りの国へと旅立っている。
毛布に包まれてしまっては、暴れて抵抗することも難しい。
「大佐! 起きて下さい、大佐!」
大きな声をあげても、ロイは起きる気配もない。
 
しばらく、足止めか。
脱出を諦めたリザは、頭の中の仕事のリストをチェックした。
既に提出したもの、明日提出するもの、回覧するもの、返却するもの。
今日明日が期限のものは昼の間に済ませてきたから、急ぎのものは今のところ無い。
そう気付いた途端、猛烈な睡魔がリザを襲った。
昨夜だって常の半分の睡眠時間しかとっていないのだから、温かな毛布の中で一旦横になってしまうと眠気に勝てる訳がない。
規則正しいロイの鼓動が、まるで安らぎを与える子守歌のように耳元に響いてくる。
身体を動かすことが億劫に感じられ、リザは遂に目を閉じる。
あっと思う間もなく、リザは泥のような眠りに落ちていった。
 
 
    *
 
 
「やっと眠ったか」
ぼそりと呟いて、ロイは腕の中のリザを起こさないようにそっと身を起こした。
余程疲れが溜まっていたのだろう、ロイがソファから離れたことにも気付くことなくリザは静かな寝息を立てて眠り続けている。
「働き過ぎだ」
愛おし気にリザの金の髪を撫で、ロイはその寝顔を見つめる。
ロイに回ってくる書類全てに目を通し、ロイの行なう事務処理を最小限にするべく手を回してくれているリザの働きは、ロイにとって有り難いものだが、同時に彼女にかかる負荷の大きさはロイの心配の種でもあった。
今日も今日とて、あの分厚いレジュメを全部読んでいるわ、書類の下処理は全部済んでいるわ、八面六臂の働きぶりだ。
 
うたた寝の最中にリザに毛布をかけられて、ロイは気付く。
間近に見たリザの顔に疲労の影がうっすらと浮かんでいることを。
そんに働かなくてもいい、そう言った所で聞く彼女ではないのは分かり切っている。
だから、ロイは眠ったフリでリザを毛布に包んで抱きしめた。
彼女が眠りにつくしかない状況を作り出す為に。
まったく休まざるを得ない状況を作ってやらないと、休まないとは困った副官殿だ。
おかげで君が寝ている間に、私は真面目に働く以外には君に申し訳が立たないじゃないか。
喉の奥でくっと笑うと、ロイは立ち上がって伸びをする。
 
「さて、と」
ロイは自分が落書きをしたレジュメのくだらない1頁を破いて、灰皿の中で燃やした。
何か言われれば落丁があったと言えば良い。
「続きは何処からだったかな」
独り言を言ってロイはレジュメを放り出すと、傍にあった練兵場の使用許可申請書に手を伸ばした。
 
 
 Fin.

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【後書きのような物】
 頭の中は若ロイ仔リザ祭りなのですが、大人篇。アイロイと見せかけて、ロイアイ。
 リザちゃんに面倒見られながらも、実は一枚上手な大佐って好きなんです。