あたりまえのように そばにいて

休日明けの朝、ハボック少尉が実家から送ってきたと言って、大量の林檎を持って出勤してきた。
何でも彼の地元の名産だそうで、司令部はたちまち甘酸っぱい香りでいっぱいになってしまう。
 
出荷できない分ですから、と少尉が言うように、大きさも形も不揃いで傷のある林檎が並ぶ。
傷のある林檎ほど甘くなると聞いたのは、一体、いつのことだったろうか。
そんなことを考えながら、私はまだ熟しきっていない半分だけ紅い林檎を手に取り、実の裏側にそっと鼻を近づけた。
爽やかな蜜の香りが心地良く、私は胸いっぱいにその香りを吸い込んだ。
 
「中尉、どうッスか?美味そうでしょ」
満面の笑みでそう私に問い掛けるハボック少尉の素直な故郷自慢が微笑ましく、私はつられて笑ってしまう。
「ええ、香りも良いわ」
「好きなだけ持って帰って下さい。俺一人じゃあ食い切れねぇし、腐らせちまうのも親に悪いンで」
「ありがとう、じゃ、お言葉に甘えさせてもらうわね」
そう言って私は、言葉通りに大量の林檎を持って帰ったのだった。
 
     *
 
次の非番の日、私は2つのホーローの鍋を引っ張り出した。
よく陽の当たる窓辺に小さな椅子とサイドテーブルを持ち出して、ナイフ片手に座り込む。
傍らの林檎を一つ手にとって皮を剥けば、果汁が溢れ、瑞々しい香りが立ち上った。
つまみ食いの誘惑から逃れられず、私はしゃくしゃくと林檎をかじりながら、次々と皮を剥き芯をとっていく。
 
剥き終わった林檎をバターと砂糖を塗った小さい方の鍋に均一に並べてレモンを絞り、火にかける。
しゅうしゅうと音を立て林檎から水分が出始めたのを確認し、私はジャムにするため残りの林檎を剥き始めた。
傍に積んだ林檎を一つずつ丁寧に剥きながら、トントン刻んで大きなホーローの鍋に放り込んでいく。
冬の午後の柔らかな日差しをいっぱいに浴び、無心に単純な作業をこなすのは、心と身体の両方がゆっくりと弛(ゆる)んでいくようで心地良かった。
いつしかナイフを操るリズムに合わせて、私は自分でも気付かぬうちに鼻歌を歌っていた。
 
コンロの上では煮え始めた林檎と溶けたバターと砂糖が混ざり、カラメルのような甘い香りを放つ。
甘い香りが甘い歌を誘ったのか。
私の口からは、昔流行ったラブ・ソングがこぼれ出る。どこで聞いたのだったろう?
もの哀しいメロディーと、恋人を想う甘く切ない歌詞。
サビにさしかかった時、私はそれが7年前に流行った、戦場に行った恋人を想う歌だった事に気付く。
イシュヴァールで夜毎ラジオから流れていた曲、死んだ級友が好きだった曲。
血、闇、野営の篝火、級友の顔、様々な事象の断片が記憶から浮かび上がり、私は歌う事を止めた。
 
その時、聞き慣れたバリトンの美声が、背後から歌の続きを紡ぎ出した。
「大佐!?」
「ノックしたんだが、気付いて貰えなかったようでね。勝手に入ってきた」
そう言って、大佐は更に歌の続きを口ずさむ。
「懐かしい歌だな」
「あまり、思い出したくない歌です」
苦い思い出に胸が詰まった。
「イシュヴァール、か」
大佐が私の方へ近付いてくる。
サビの歌詞が彼の口からこぼれ出る。
 
 ― 例え私を抱く手で貴方が罪を犯したとしても 私だけは貴方を赦すから 帰ってきて 必ず ―
 
「あの時、イシュヴァールで君と再会した日の夜、初めてこの曲を聞いたのだよ。何とも身につまされてね」
そんなことがあったのか。
他人事のように淡々と語る大佐の言葉に動きを止めた私を横目に、彼は鍋の中を覗いて嬉しそうな顔をした。
どうやら彼は、私ほどにはこの曲に頓着してはいないらしい。
それだけ、彼の中では私とのイシュヴァールでの一件は昇華されていると言うことなのだろうか?
「で、その林檎をむき終わって君の手が空かないことには、私の好物は出来上がらないわけかね」
そう言いながら大佐は手を洗い、軍服の上衣を脱いで腕捲りをすると、私の手からナイフを取り上げる。
 
私はハッとして、大佐に問うた。
「そう言えば、大佐。何故こんな時間に」
「今日は査察先から直帰すると言っていただろう?」
ああ、そうだった。しかし。
「それにしても、早過ぎませんか」
「ハボックの奴が一昨日りんごを持ってきていたからな、きっと非番の今日はタルトタタンを焼いてくれているんじゃないかと思って、急いで帰って来た」
「子供ですか!」
大佐の軍服が汚れないよう、私は急いでギャルソン・エプロンを彼の腰に巻き付けながら、呆れてため息をつく。
 
大佐は、不器用な手付きで林檎の皮を剥く。
「こっちは私がやるから、パイの方を頼むよ」
「まだ、林檎が煮詰まっていません。こんなに早くいらっしゃるとは思ってもみませんから」
少しイヤミを言ってやると、大佐は笑って受け流し、手を動かしながら別な懐かしいメロディーをハミングする。
ずっとずっと昔、まだ私の背に錬成陣が無かった頃、大佐がまだ錬金術師の卵だった頃に流行った歌。
 
「覚えているかね?」
返事の代わりに、私は歌の続きを歌い出す。
優しいメロディーが、運命の恋人に巡り会えた喜びを歌う素直な歌詞を運ぶ。
 
 ― 運命の人 探していた きっとそれは貴方 ―
 
「いつも君は師匠の家で家事をしながら、この曲を歌っていた」
「そうでしたでしょうか?」
そんなことはすっかり忘れているのに、歌だけはしっかり覚えているのか。
不思議な思いで、私は首を傾げる。
「ああ、毎日のように聞かされたおかげで、すっかり私も覚えてしまった」
穏やかな笑顔で、大佐はナイフを動かし続ける。
 
「そう言えば、あの頃から君のタルトタタンは絶品だったな」
懐かしげに目を細める大佐の言葉と共に、不意に私の脳裏に鮮やかな映像が甦る。
台所の片隅、鍋の林檎を焦がさないように鍋に張り付く私の横で、鼻歌混じりの“マスタングさん”が林檎を剥いていた日々。
まだ小さかった私は、背伸びをして鍋の中身をかき混ぜながら、“マスタングさん”のハミングに合わせて歌を歌っていた。
 
いま私の横で、大佐は最近残業中によくラジオから流れてくる流行りのラブソングをハミングしながら、林檎を剥いている。
あれから何年も経って歌の流行も変わったけれど、一度は途切れたとはいえ変わらず一緒に居る毎日が積み重なって、私は飽きもせずこの人の傍にいる。
たぶん、きっと、これからも、ずっと。
 
私はクスリと笑って、大佐のメロディに合わせてその歌を口ずさむ。
当たり前のように、彼の傍に居られる日々に感謝して。
 
 ― 愛してる 愛してる 何年経っても傍に居て これからも きっと ずっと ―
 
いつか将来、2人で懐かしくこの曲を思い出す日が来るのかもしれない。
残業の日々を思い出し、林檎の煮える香りのする冬の窓辺を思い出し。
 
2人だけの思い出の曲は、増えていく。
 
 ― これからも、きっと、ずっと ― 
 
 
 
 
Fin.
 
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【後書きのようなもの】
Iris*Alice様のみ、お持ち帰り可です。
 
いただいたリクエストは『ラブソングを歌うリザさん』。
行きがかり上、増田も一緒に歌っておりますが、鼻歌なので大目に見てやって下さいませ。
 
ロマンティックな意味でのラブソング、にはなりませんでした。
2人の歴史の上にあった歌が、偶々ラブソングだったというお話です。
重ねた月日の分だけ思い出の曲があって、甘い歌も苦い歌も2人の中に絆のように共にあれば良いと思います。
でも、ちょっと歌詞に自分を重ねる乙女なリザさんもありでしょうかね。(微笑)
リクエストありがとうございました。お気に召しましたら、嬉しく思います。
 
テーマ曲は、ベタですがDREAMS COME TRUEの「ア・イ・シ・テ・ルのサイン 〜わたしたちの未来予想図〜」で。