angel voice

「鷹目先生!入ってもいいですか〜?」
元気な声と共に、ガラリと生物室の引き戸が開けられた。
「いらっしゃい、ウィンリィちゃん」
ホーローのカップを手にシンクの前に立っていた白衣の梨紗は、顔だけ教え子の方を振り向いて答える。
「ちょうど良い所に来たわ。紅茶、飲む?」
「わ〜♪ありがとーございます!」
勢い良く扉を閉め部屋に入ってきた少女に、ポットの紅茶を淹れてやりながら梨紗は聞いた。
 
「珍しいわね、こんな時間に来るなんて。もうすぐ下校時間よ?」
梨紗は担任を持たない生物教師だが、一部の女子生徒に慕われていて、放課後にはしばしば彼女らが梨紗のいる生物室に遊びにやってくるのだ。
エドが増田先生のとこに進路相談に行ってるんです」
「なるほど、待っててあげてるわけね。相変わらず仲良いのね」
「そんなんじゃありません!」
淡々と言う梨紗の言葉に、少女は過剰な反応で頬を染める。
 
梨紗から目を逸らし、ウィンリィは照れ隠しに話題を変えようと、傍らの水槽に飛びついた。
「センセ、また新しい生き物飼い始めたんですね。これ、イモリ?」
反応が素直で可愛らしいと思いながら、梨紗は少女のペースに乗ってやる。
「そう、喉が赤いでしょ?」
水槽の前の椅子に座り、二匹のイモリが緩慢な動きで水を掻いているのを不思議そうに見ながら、ウィンリィは梨紗に聞く。
「先生、こういうのにも名前とかつけるの?」
「もちろん」
「なんて?」
「喉の模様がくびれてるのがスーパーチャッピー、二股に分かれてるのがナマコキング」
 
誇らしげに梨紗がそう返事をすると、ウィンリィは一瞬キョトンとした後、お腹を抱えて笑い出した。
「ヤだ〜!先生、何その変なネーミング!?」
「可笑しいかしら?可愛いと思うんだけれど」
「変変、絶対可笑しい〜♪」
きゃらきゃら笑い転げるウィンリィにつられ、梨紗は微笑みを浮かべる。
相変わらず自分にはネーミングセンスは無いようだが、受けているなら良しとしておこう。
そう思いながら、梨紗は冷蔵庫からチョコレートの箱を取り出した。
 
「あ!ピエール・マルコリーニ!」
「よく知ってるわね」
「だってテレビとか雑誌に出てるもん。でも高いから、高校生のお小遣いじゃ買えないの」
足をブラブラさせて、上目遣いで梨紗をうかがうウィンリィの分かりやすいおねだりに、梨紗は苦笑しながら彼女の望む言葉を言ってやる。
「どうぞ、召し上がれ」
「良いの?先生ありがと!大好き〜♪」
素直に感情を表に出して、笑い泣き喜ぶウィンリィが梨紗は好きだった。
 
「美味しい!大人の味って感じ」
「好きだったら沢山食べて良いわよ。ニキビが出来ない程度にね」
「もう!先生の意地悪〜」
そう言いながらも、ウィンリィは美味しそうに2個目のチョコレートを口に運ぶ。
そしてチョコレートに手を付けない梨紗を不思議そうに見て言った。
「先生、食べないの?」
「甘いもの、得意じゃないのよ」
「好きじゃないのにどうして、、、あ!増田先生の貢ぎ物なんでしょ?ね〜♪」
笑って答えない梨紗に、ウィンリィはまとわりつく。
 
梨紗と数学教師・増田の仲は、校内では知る人ぞ知る関係だった。
梨紗自身、隠す気もないが自分から公にする気もない。
職場ではあくまでも同僚として接する梨紗が増田には物足りないようだったが、梨紗は己のペースを貫いている。
だいたいが職場で何をしようというのだ、あの男は。生徒の目もあると言うのに。
そんな事を考えていると、ウィンリィが不意に真面目な声で梨紗に話しかけて来た
 
「ね、先生。人を好きになるって、どんな感じ?」
 
急に何を言い出すのだろう、と思っていると、ウィンリは頬を染めてポツリと言う。
「ずっと友達っていうか、幼なじみっていうか、腐れ縁だったヤツが急に気になるって、おかしい?」
ああ、エドワードのことか。梨紗は得心する。
「おかしくはないと思うけれど」
「そう、ホントに?でも、今更そんなこと言ったらアイツに笑われそうだし」
「そんなことないと思うわよ」
生徒の恋愛相談も仕事のうちか、と梨紗は考えてクスリと笑う。
頼れる姉貴分と言った所かしら。
 
そんな梨紗の内心を知らず、ウィンリィは質問の矛先を梨紗自身に向けて来た。
「先生だって、増田先生と同期でこの学校に来たのはずいぶん前なのに、お付き合い始めたのって最近なんでしょ?」
「ええ、まぁ、そうだけれど。。。」
梨紗が増田と同時期にこの学校に赴任して、早4年。
数学教師の増田は、赴任当初から甘いマスクと脱線しがちな授業とで、生徒からは人気があった。
初めはヘラヘラした軟派な男だと思い、梨紗はなるべく近づかない様にしていた。
まさかその男が、数年後、自分の傍にいることになろうとは。
 
「いつ好きだって思ったの?何か切っ掛けがあったの?」
おやおや、質問攻めだ。
梨紗は今度は苦笑して、しかし、いつになく素直に少女の質問に耳を傾けた。
 
ウィンリィちゃん、急にどうしたの?何かあったの?」
「ん〜、何も無いって言えば何もないんです。でも、こないだ何かの時に、『あれ?コイツって、こんなに大きな背中してたっけ』って思って。。。そしたら何か気になり出しちゃって」
語尾を濁してはにかみながらも、真っ直ぐ梨紗を見るウィンリィの瞳は力強さに満ちている。
「ね、先生。変かな?」
「変じゃないわ」
 
そう、恋愛なんて、いつも突然なのだ。
あんなに避けていた増田に惹かれたのも、本当に些細なことがきっかけだった。
そう、あれはちょうど一年前のこと。
 
梨紗が重たい亀用の水槽を生物室まで運んでいた、ある日の放課後。
どこからともなく現れたあの気障な男は、ヒョイと梨紗の手から水槽を取り上げた。
『鷹目先生、お持ちしましょう』
そう言って梨紗の返事も待たず、軽々と水槽を生物室まで運んでくれたのだった。
水槽を置くと何もいわずさっさと生物室を後にする増田は、部屋を出る時、生物室の火元責任者のプレートに書かれた彼女の名に目を留め、不意に振り向いた。
『梨紗』
深いバリトンのとろける様な声が、彼女の名を呼んだ。
耳に甘い媚薬が流れ込む。
『良い名前ですね』
それだけ言うと増田は振り返りもせず、去って言った。
梨紗、そう名前を呼ばれただけなのに。
何故だろう、胸が締め付けられるような気がして、梨紗は水槽を運んでもらった礼を言うのも忘れて立ち尽くした。
それが全ての始まりだった。
 
過去を反芻しながら、梨紗はウィンリィとの会話に意識を戻す。
「先生だって似たようなものよ」
「え〜っ、どこどこ〜?どこが良かったの〜?」
「ふふ、秘密」
「や〜ん、先生ズルい!」
「でも、背中も良いわよね」
「でしょ、でしょ?ね〜、先生は?」
「声、、、かな」
「あ〜、、、なんか分かる〜♪」
 
そんな他愛もないやり取りをしていると、ガラリと引き戸が開いた。
「ちわ〜っす、鷹目先生。ウィンリィいる?」
「あら、噂をすれば」
扉を開けて入って来たのは、エドワードだった。
「何だよ〜、先生と2人で俺の噂かよ」
「そうよ、豆の話をしてたのよ」
「だ〜れ〜が豆粒チビじゃ!」
そう言いながらキィーと暴れるエドワードの頭を、後ろから付いて来ていた増田が出席簿の角ではたいた。
 
「ッテ〜!何すんだよ、暴力教師!」
「狭い所で暴れるな、水槽がひっくり返ったらどうする」
お小言を喰らいながら、目敏いエドワードは机の上のチョコレートに気が付いた。
「お、鷹目先生、俺も、、、」
そう言ってチョコレートに手を出そうとしたエドワードは、再び増田に出席簿の角ではたかれる。
「だから、イテ〜ッて!何だよ、ったく」
「お前に食わせるチョコレートはない」
「誰も先生にくれって言ってねぇだろ〜。俺は鷹目先生に言ってんだ」
「だったら尚更だ」
まるで漫才のような二人のやり取りに、梨紗とウィンリィは顔を見合わせてクスクスと笑う。
 
エドワード君、チョコ食べて良いから食べたら帰りなさい。もう下校時間過ぎてるのよ」
梨紗の助け舟に時計を見て、エドワードは驚く。
「うわっ、ホントだ!」
「まったく、お前の進路相談のおかげでこっちは残業なんだ。感謝しろ。鋼野」
「へぇへぇ」
「返事は“はい”だろう」
「ハイハイ」
ナメたエドワードの返事に、増田の出席簿は三度(みたび)振り上げられたが、エドワードは器用にそれを避け、チョコレートをくわえるとウィンリィの手をとった。
 
「鷹目先生、ご馳走さま〜♪帰るぞ!ウィンリィ!」
エドワードの行動に頬を染めたウィンリィは、立ち上がりながら梨紗に小声で
「先生、さっきの2人だけの内緒ね」
と言って、鞄をとった。
梨紗は笑って頷いてみせ、駆け出す二人に手を振った。
「鷹目先生、ありがと!」
ウィンリィはぺこりと頭を下げる。
「失礼しま〜す」
小さな旋風のような二人を見送って、梨紗はほっと息をつく。
 
「で、何が内緒なんだね」
生徒たちが立ち去ったのを確認し、増田は生物室の扉を閉めると、後ろから梨紗を抱き締めた。
「女同士の秘密です。それより、学校では駄目だって言ってるでしょう」
梨紗の言葉に頓着せず、増田は彼女の髪に頬を埋める。
「もう、職員室以外には人はいないよ」
「そういう問題じゃないでしょう」
「つれないなぁ、梨紗」
増田は梨紗の耳元に口をつけて囁く。
 
「で、何が秘密なの?」
 
絶対教えてやるものか。
梨紗はうっすらと頬を染め、男の声に酔いしれる。
 
最初に好きになったのは声。
それは秘密、女だけの内緒の話。
 
 
Fin.
 
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【後書きのようなもの】
mao様のみ、お持ち帰り可です。
 
いただいたリクエストは『鋼の錬金術師 学園パラレル』。
初めてのパラレル、いかがでしたでしょうか。どきどき
後のリクエストと被るので、今回はロイアイには先生になってもらいました。
ウィンリィとリザさんの絡みが書けて嬉しかったです。
リクエスト、ありがとうございました!楽しんでいただければ、幸いです。
 
今回のテーマ曲はPSY・Sの「Angel Night〜天使のいる場所」。