overindulgence 後編

overindulgence:【名】わがまま、甘やかし過ぎ、耽溺、放縦
 
     *
 
午後の射撃訓練場でリザに声をかけられて、レベッカは顔をあげた。
「ごめん! 聞こえなかった。なんて言ったの?」
防音具を外したレベッカの耳元に口を寄せ、リザは同じ科白を繰り返した。
 
「今夜は外食になっても良いかしら?」
「かまわないわ、っていうか、いつまでも気を使わなくて良いのに」
「ダメよ、けじめはちゃんと付けなくちゃ。甘えてばかり居られないわ」
リザらしい、とレベッカは微笑んだ。
「ま、貴女のそう言うとこも好きなんだけどね。で、何? 残業?」
軽く聞いたレベッカに、少し躊躇ってからリザは答える。
 
「ちょっと着替えを取りに行って来ようと思って」
「あら、ちょうど良いじゃない。ついでに大佐に会ってきなさいよ」
そう言って笑うレベッカに、リザはムキになって反論した。
「バカ言わないで。大佐は午後はまるまる会議で缶詰めなの。多分、かなり遅くなるはず。だから、今日行くのよ」
そんなリザの言葉を軽く流し、レベッカは言う。
「そんな面倒なことしなくても、着替えぐらい私の服を貸してあげるのに」
「ありがとう、気持ちだけもらっておくわ」
そう返されたレベッカは、それ以上は何も言わなかった。
 
一緒にいてリラックスしている時でさえ、リザは必要以上に肌をさらそうとはしない。
たいてい首が半分隠れる様なタートルか、襟の高いシャツを着ている。
暫く前からその事に気付いていたが、レベッカは何も言わなかった。
何か大きな怪我か、あるいは火傷の痕でもあって気にしているのだろう。本人が言いたくないなら、わざわざ聞く必要はない。
レベッカは、そう思っていた。
 
「あなたが帰ってくるまで、ここにいるわ。ゆっくり行ってらっしゃい」
「ごめんなさいね」
「その代わり、夕食にワイン一本つけてよね」
「はいはい、その代わり私も一緒に飲むわよ」
「了解!」
そう言ってレベッカは、ライフルの整備の続きに取りかかった。
リザは手を振って、更衣室へと歩いていく。
レベッカはその後ろ姿が見えなくなるまで見送った後、ライフルを置くとゆっくりと立ち上がった。

    *
 
カチャリ。
鍵を開けて、久しぶりのロイのアパートにリザはそっと入り込む。
本と書類の山で出来た魔窟になっているのではないかと想像していたが、意外にも部屋はそこそこ片付いていた。
 
机の上には少々のパン屑が散らばってはいるものの食器は洗って片付けてあったし、クリーニングに出していたワイシャツも取りに行ったようだ。引き出しに仕舞わず、ソファーの上に置いてある点については、この際目を瞑っておこう。
しかも驚いたことに、彼はブラックハヤテ号のブラッシングまでしてくれたらしい。
その証拠に、部屋の一角に飛び散った子犬の毛が落ちている。
 
なんとなく片付いているような、いないような中途半端な部屋の真ん中で、リザはぼんやりと考える。
自分が甘やかし過ぎて、彼を駄目にしてしまったのだろうか。
よく考えればロイだって今まで独り暮らしをしてきた訳だから、何も出来ないはずはない。
自分から言葉にして、して欲しい事を頼めば良かったのだろうか。
そんな事を考えながら、無意識のうちにリザは子犬の毛を拾い集めていた。
 
言葉にしないと伝わらない事も、確かにあるのだ。
黙っていても分かって欲しいと思ったのは、自分の我が侭だったのだろうか。
リザは、思考の淵に身を置いたまま黙々と部屋を片付ける。
ワイシャツを引き出しに仕舞い、机を拭き、ふと気付くとあらかた部屋は片付いていた。
 
いけない、こんな事をしている場合ではなかった。
リザは我に返るとクローゼットから、自分の洋服を選び始めた。
全部持っていってしまうと何だか戻ってこられなくなりそうで、律儀に何枚かずつ服を残している自分に途中で気付き、リザは我ながら可笑しくなってしまう。
これだけ意地を張っていながら、戻ってくる気はしっかりあるのだ。
何か切っ掛けがあれば。
そう思いながらも、自分も大佐も素直には折れない事も分かっている。
仕方ない。
軽く溜め息をついて、リザは洋服を詰めたバッグを担ぐと立ち上がった。
 
思ったよりも軽い荷物を手に、リザはふと思いつく。
ああ、そうだ。この前の誕生日に買ってもらったピアスは、やっぱり持っていこう。
少しは大佐の事を気にしているのが、伝わるかもしれない。
リザは鏡の前に立つと、小さな螺鈿細工の箱から深紅のピアスを取り出した。
カボッション・カットの宝石が一点付いているだけのシンプルな物だが、紫掛かった美しい深紅色でリザはとても気に入っている。
付けていた青いピアスを外し、リザはそれを身につけた。
鏡に映ったピアスを見ていると、誕生日にロイがそれを付けてくれた情景が思い出され、不意に感傷にも似た愛おしい思いが沸き上がり、リザは急いで鏡の前から離れた。
 
早く帰らなくては、レベッカが待っている。
そう思って玄関の扉を開けた瞬間。
 
目の前に、ロイが立っていた。
 
玄関で鉢合わせた二人は、束の間呆然と立ち尽くす。
最初に我に返ったのは、リザだった。
 
彼女は荷物を放り出し脱兎の如く駆け出すと、奥の部屋のリビングの窓に手をかけた。
出るべきドアがロイによって塞がれているなら、窓から出るしかない。
勢い良く窓をスライドさせ、窓から飛び出そうと窓枠に手をかけたその時、タッチの差でロイの手がその手首を掴む。
重心を室外に移しかけたリザの身体は,そのままの勢いで転ぶように室内に引き戻された。
勢い余ったリザはロイの胸の中に飛び込み、二人はもんどりうって床の上に転がる。
鈍い音がして、ロイが床に頭をぶつけたのが分かった。
しかし、彼はリザを庇うように抱いた手を離そうとしなかった。
 
「この大莫迦もの」
リザを胸に抱き、床に仰向けに転がったままロイは呟いた。
「ここが何階か分かっているのか?」
表情は見えないが、ロイが本気で怒っているがリザには分かる。
ロイの胸に頬を寄せたまま、リザも呟くように返す。
「訓練しておりますから、このくらいの高さならなんとかなります」
我ながら可愛くない返事だ、リザは思う。
ロイが大きな溜め息をつき、リザの頬の下で彼の胸郭が揺れた。
 
「ああ、君に遠回しに言っても仕方ないな」
自分の胸の上にリザを乗せたまま、投げやりな口調でロイは続けた。
「五階から飛び降りたくなるほど、私と会いたくなかったのかね」
リザは思わず、言葉に詰まる
「……そんなことは」
「無いと言ってくれるか」
「……はい」
 
その言葉を聞き、ロイはリザを抱く手に力を込めた。
「……すまなかった。君にばかり負担をかけていたようだな」
思いがけぬロイの謝罪の言葉に、リザは目を見開く。
「大佐?」
「ハボックでさえ共同生活には色々と気を使っているらしいのに、私とした事がすっかり居心地の良さに甘えてしまった」
素直すぎる大佐の言葉に、リザは驚いて二の句も告げない。
「すまなかった」
そこまで言われては、リザも黙っていられなくなる。
「私こそ、申し訳ありませんでした」
これだけ呆気なく謝りあってしまうと、先刻までいろいろ考えていた事がバカらしく思えて来てしまう。
リザは肩の力が抜けて、ロイの胸に頬を押し付けた。
「私が謝らなければならない事は、これで間違っていないかね」
今ひとつ不安げな様子で確認するロイが奇妙に愛おしく感じたが、リザは敢えて無表情を保ったまま小さく「はい」と答える。
 
ロイはようやく安心したかのように、リザを抱いたままゴロリと横向けに寝返りを打つと腕の中のリザの額に口付けを落とす。
ロイに腕枕をされる様な形で床に横たわったリザは、久しぶりの接触に気恥ずかしさを覚える。
「全く、毎日が拷問の様な日々だったよ」
そう言って、ようやくリザと目線を合わせたロイは愚痴るように甘えてみせる。
ここで甘やかしていいのかしら、と思いながらも、リザは愛おしさが溢れるのを抑えられなかった。
それでも少し間を置くべく、あえてリザは意地悪く尋ねてみる。
「いつ、お気付きに?」
「昨日の昼休み、ハボックらがコソコソ固まって話しているのを見つけてな、その時の話の流れで、だ」
「ご自身で気付かれた訳ではないのですね」
少しがっかりした様なリザに、ロイは笑って付け加える。
「なにしろ彼らの言葉によると、私は『銃弾ケツからぶち込まれて鼻から出されるような目に遭う』ところだったらしい。気付いただけでも良しとしてくれ」
「なんですか! それは」
真っ赤になるリザの髪を、可愛くてたまらないというようにロイはくしゃくしゃと撫でる。
 
「それから、レベッカ嬢だったかね、君の友人の。彼女から伝言だ『お礼はワイン二本で負けておくわ』だそうだ」
レベッカが?」
「会議の前に彼女に呼び止められてね、こう言われたよ『今、リザがお部屋に戻ってます。迎えてやってもらえませんか』とね」
ニヤリと笑ってみせるレベッカの顔が浮かび、リザは唇を噛む。
ああ、こんな所でも助けられて、借りばかり出来てしまう。
してやられたという気持ちと、感謝の気持ちの入り交じった複雑な思いがリザの中を駆け巡る。
そんなリザをなだめるように、ロイは彼女の頭を撫で続ける。
 
「良い友人だな、大事にしなくては」
言われなくても、分かっている。そんな思いが顔に出たのだろう。
ロイは、ニヤニヤしながらリザの額を指でつつく。
「そんな顔をするな、おかげで私は会議を抜け出して、ここまで全速力で走って君を捉まえる事が出来たのだからね」
「……大佐、会議を放り出して来られたのですか!?」
途端に副官の表情に戻って眦を釣り上げるリザを腕の中に封じ込め、ロイは更に笑った。
 
「ああ、そうか。君に謝る事が増えていたのを忘れていたよ。今日の佐官会議をサボって来た。明日一緒に将軍に叱られてくれないか?」
「もう、全く大佐! 貴方という人は!!」
怒るリザに、全く懲りない風情でロイは提案する。
 
「すまない、今夜の夕食は私が作る。等価交換だ」
「それだけですか?」
「皿も洗おう」
「大佐?」
「ああ、分かった分かった。秘蔵のワインも付ける!」
「仕方が無いですね」
「ああ、ようやく笑顔を見せてくれたな」 
「笑わないようにするのも大変だったんですよ」
「それは、すまなかった。……ああ、このままじゃ謝る事ばかり増えるじゃないか、全く」
 
そう言って、ロイはリザの唇を己のそれで塞いだのだった。
 
 
 
 Fin.
 
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【後書きのような物】
結局、リザはロイを甘やかしているし、リザ自身もロイに我が侭を言っているし、チーム・マスタングレベッカもこのバカップルに甘いよね、ってお話です。
 
あぁ、増田、ブラハを忘れてきているよ。
この後2人で、仲良く迎えにいってください。(笑)