overindulgence 中編

overindulgence:【名】わがまま、甘やかし過ぎ、耽溺、放縦
 
     *
 
「俺はイヤだ。ぜってーヤだぞ、ってか、無理!」
猛烈な勢いで煙を吐き出しながら、ハボックは叫ぶように言った。
「ハボー、お前が一番中尉と接点あるだろ。射撃訓練中にこう、ちょっとだな」
「アホか、ブレダ。今、射撃場で中尉の半径五メートル以内に近付く命知らずの阿呆は、誰もいねぇ。教官でさえ中尉避けてんだぞ?」
その場に居るチーム・マスタングの面々の脳裏に、無表情のまま殺気に満ちて的を蜂の巣状になるまで撃ち抜く中尉の姿が浮かんだ。
全員の額に冷や汗が伝う。
「そこまでなのか!?」
「ウソだと思うなら、自分の目で見てこいよ」
「遠慮しとくわ」
げんなりした表情のブレダの横で、フュリーが心配気に言葉を挟む。
「ブラックハヤテ号の毛艶が最近良くないんですよ」
「犬より俺たちの心配が先だろ!」
「まぁ、そうなんですが」
「しかし犬と言えば、昔から『夫婦喧嘩は犬も喰わない』と申しまして」
「だーもー、誰もそんな事は聞いてねぇんだよ! ファルマン」
 
昼休みの食堂で額を突き合わせて、先ほどから結論の出ない相談を繰り広げている彼らは、端から見れば滑稽なほど悲壮感に溢れている。
それもその筈。
彼らの上官であるところの件の二人が、ここ暫く冷戦を繰り広げているのだ。
おそらく余所の部署の人間が見たら、いつもの二人とどこが違うのか分からないだろう。
しかし、付き合いの長い彼らには分かってしまう。
 
室温が三度は下がるような冷たい中尉の視線。
触れたら発火しそうな大佐の肩口に漂う気。
それらが、一触即発の最前線にいるような危険な空気を作り出している事を。
 
なお恐ろしいのは、それでいながら大佐も中尉も普段通りに会話を交わし、行動を共にしている事だ。
ストレートに発散されない鬱憤の矛先は当然身近にいる彼らが受け止める羽目になるわけで、彼らは自己防衛の為に現状を打破すべく策を練っているのだった。
 
「しかし、何とかしないと死活問題だぞ」
最も危機感の強いブレダが、真剣な顔で言った。
「大佐も中尉も、素直に仲直り出来るタイプじゃなさそうだからなぁ」
「原因がわからないのが、致命的ですね」
「何とか歩み寄って頂く方法は無いものですかな」
「だからといって、これといった案が有るわけじゃねぇだろうが」
それぞれが好き勝手に言う中、ブレダが一応の案を出す。
「こう、ブラハが弱って可哀想だとか、中尉の情に訴えるのはどうだ?」
「あのー、昨日僕うっかりそれ言っちゃったんですけど」
恐る恐る、といった体のフュリーが口を挟む。
「どうだったンだ?」
「『気にかけてくれて、ありがとう』ってニッコリされて、でも中尉の目は笑ってなくて、こう、抜き身のナイフみたいな眼光が『口を出さない方が身の為よ』と言外に……」
そこまで言うとフュリーはその時の恐ろしさを思い出したらしく、青ざめて言葉を無くした。
「大佐の方は?」
「誰が何言っても聞きゃしねぇよ、あの人は」
レダがお手上げだと言わんばかりに、肩をすくめる。 
 
ハボックはくわえ煙草のまま、頬を撫でながら言う。
「ウチみてえにガーッとやり合っちまえば、スッキリするのによぉ。全くややこしいったらありゃしねえな」
「バーカ。お前ンとこみたいに、単純なカップルのが珍しいンだよ」
呆れた口調のブレダが、お義理のように続けて聞いた。
「花屋のメリッサちゃんだっけ? 元気か?」
「ああ、凶暴なまでに元気だ」
憂鬱そうな顔で応えるハボックの顔をマジマジと見つめ、ファルマンが聞いた。
「昨日も派手に喧嘩でもされましたか」
「あ、まだ痕残ってるか?」
ファルマンに言われ、ハボックは撫でていた左頬から手を離して自分の額を指し示す。
うっすらと赤みの残る部分を見ながら、ファルマンは重々しく頷いた。
 
赤くなった部分を擦りながら、ハボックがぼやく。
「昨日はスゴかったぞ、薬缶とフライパンが飛んできた」
「そのデコは」
「フライパンを顔面キャッチしちまった。痛ーの何のって」
「ご愁傷様です」
「まぁでも、ウチのヤツは銃使えねぇから良いさ。銃弾ケツからぶち込まれて鼻から出されるような目に遭うよりはマシだ」
そう言って、頭の後ろで腕を組みふんぞり返るハボックの頭の上から、予想外の冷たい声が降って来た。
 
「ほほう、銃弾ケツからぶち込まれて鼻から出されるような目に遭いそうな輩が、お前の周りに居るのかね」
 
そこに居た全員の顔から血の気が引いた。
「た、大佐! い、いつから其処に!?」
狼狽えて吃るハボックの頭を鷲掴みにしながら、ロイはニコリともせずに答える。
「薬缶とフライパンが飛んできた所だ」
一番危ないところは聞かれていなかったか! と皆が胸を撫で下ろす。
哀れなハボックは一人、掴まれた頭の痛みに耐えながらロイの詰問を受けるはめになっている自分の間の悪さを呪っていた。
 
「で、誰がケツから銃弾ぶち込まれて鼻から出されるんだって?」
じろりとロイに睨みつけられ、ハボックはその静かな威圧に震え上がる。
怖い。
本気で恐い。
自分の上官がイシュヴァールの英雄である事を、イヤというほど思い知るのはこんな時だ。
だてに修羅場を潜って来た訳ではないロイの気迫は、歴戦の兵士でさえ震え上がらせる。
 
ハボックは何とか話題を変えようと、必死に無い知恵を振り絞る。
「いや、あの、そのですね」
「はっきり言え!」
「アイ、サー! あの、あのですね、フライパンも痛いっす」
「誰もフライパンの話しはしていない」
「女性に凶器を振るわせる甲斐性のない自分が問題なんス。サー」
「それは、私に対するイヤミか?」
「ノー、サー!」
何を言っても裏目に出ているハボックを、『ダメだ、こりゃ』といった表情でブレダは見上げる。
ところが、そこで風向きが変わった。
 
「で、フライパンの原因は何だ、ハボック」
なんだか分からないが助かった、と思ったハボックは勢い込んで話しだす。
「花屋の彼女は朝が早いンで、俺より早く出勤するんですが、」
「何だ、お前。彼女と一緒に住んでいるのか」
「イエス、サー! で、ですね。俺が昨日の洗濯当番をサボって出勤しちまったんで、彼女が怒ったわけなんすよ」
「お前、洗濯なんかするのか!」
「勿論っす。彼女の下着はデリケートなんで手洗い必須っす」
調子にのって喋るハボックに危険を感じ、ブレダは目配せをするがハボックは気付かない。
「飯なんかも簡単なもんしか出来なくても、作ったら喜んでくれるんで嬉しいもんっすよ」
何時の間にか惚気になりつつあるハボックの言葉に、ブレダはヒヤヒヤする。
が、幸いな事にロイは何かを考えているようで、ハボックの言葉も聞き流しているようだった。
 
不意にハボックの頭を掴んでいたロイの手が離れた。
口の中で何かブツブツ言っているようだが、チーム・マスタングの面々には聞こえない。
よく分からないが、ハボックが消し炭になる一歩手前から生還した事だけは確かなようだ。
皆が胸を撫で下ろす中、ロイは彼らのテーブルに背を向けた。
 
助かった……と思う彼らに、ロイが背中越しに言葉を残す。
「ああ、午後の国政治学の教授の出張講義、私と中尉以外は参加必須だ。第三会議室に一四〇〇、遅れるな」
全員の顔が、再び青ざめる。
厳しい事で有名なセントラルの教授の講義への強制参加とは、嫌がらせ以外の何ものでもない。
「勿論、レポートの提出も忘れるな。ケツから銃弾ぶち込まれて鼻から出されたくなければな」
イヤミな一言を残し、ロイは立ち去った。
 
その後、不用意な『ケツから銃弾』発言をしたハボックは、全員から非難の集中砲火を浴びたのであった。

 
 
 
To be Continued.