Crimson

滴り落ちる、赤。
また、今月も私の身体が女を主張する。
そう言えば数日前から、そんな気配があるとは思っていたのだ。
鈍痛に蝕まれ、私は洗面台の戸棚から鎮痛剤を探し出し、規定量を服用する。
鎮痛剤が効くまでおおよそ30分、それまでの我慢だ。
そう自分に言い聞かせると、私は溜め息をついて、ベッドに横たわった。
シクシクと痛む下腹部を抱えるように胎児のポーズをとると、少しは痛みがマシになる気がして私はクルリと丸くなる。
今日が非番で良かった。そう思いながら、夕刻の淡い光の中、私は浅い眠りに落ちていく。
 
どのくらい眠っただろうか。
カチャリ。
ドアの開く音で、私は目覚めた。
職業病の脳裏の警戒警報に、半分寝ぼけた理性が答える。どうせ、この部屋の鍵を持っているのは、あの男だけ。
上官として敬意を払う為に起きるか、男として甘える為にベッドで待つか。
答えの決まっている自問に答える必要性を感じず、私はのろのろと起き上がって部屋着に袖を通した。
だるさは残るものの、痛みは引いていた。
寝室の扉を開けば、そこには薄い笑みを浮かべた男が立っている。
 
「君が昼寝とは珍しいな、リザ」
「大佐こそ。こんな時間にいらっしゃるとは、珍しいですね」
にやりと笑って答えぬ所を見れば、どうせ、サボって帰って来たのだろう。私が1日休んだだけで、すぐコレだ。
明日は、大佐の予定を組み直さなければならなくなりそうだ。嗚呼、頭まで痛くなる。
胸の内で、私は大きくため息をついた。
 
そんな私の内心を知ってか知らずか、大佐はダイニングの椅子に悠然と腰掛けた。
行儀悪く足を組んで私を見上げる大佐は、全く悪びれる様子もない。見ていると、なんだか腹が立ってくる。
「ご注文は?」
他人行儀な言葉に怯みもせず、大佐は極上の微笑みで答える。
「茶でも、淹れて貰えるかな」
私は大佐を横目に睨み付けながらも、彼の為に紅茶を淹れるべく、台所へ向かう。
いつもなら、痛烈なイヤミの一つや二つ言ってやる所なのだが、体調のせいかどうにもそんな気にもならない。
 
確か新しく買った茶葉が、右の棚にあったはずだ。その前にお湯を沸かしておこう。
そんな事を考えながら、大佐の横をすり抜けようとした時、不意に私は腕を捉えられる。
あ、と思う間もなく、私の身体は横抱きに大佐の膝の上に乗せられていた。
全く、何を考えているものやら。
「大佐、お茶をご所望でしたら、この手を離して頂かないと」
そう言いさした所で、彼は私の背中に顔を寄せ、呟いた。
「辛いのか?」
「何を……」
私の言葉を途中で奪い、大佐が耳元でぼそりと囁く。
「血の、臭いがする」
 
ザッと血の気が引く思いがし、そしてカッと頭に血が上った。
全く、デリカシーのない!
殴りつけてやろうとしたが、後ろから抱きすくめられてはそれも難しい。
肘鉄を喰らわせて、肋の一本でも折ってやるか。
そう思った時に、背後から消え入るような声が聞こえた。
 
「今日、イシュヴァールに行ってきた」
その一言は、私の動きを止めるのに、十分な力を持っていた。
「“査察”と言う名の嫌がらせだ」
私の背中に頬をつけ、もたれ掛かるような姿勢で大佐は話す。
私は相槌の代わりに、自分の腹の上で重ねられた大佐の手に、自らの手を重ねた。
 
そんな予定は今日は入っていなかったはず。
今日のアポの面子を頭に浮かべながら、そう言う事をしそうな人物を私は探し当てる。
嗚呼、あの男ならやりかねない。
 
独り言のように、大佐は言葉を続ける。
「何も、残っていなかった。何もだ」
「そうですか……」
芸の無い相槌に、自分がバカになったようで我ながら呆れてしまう。
「血と硝煙の臭いに満ちていたあの大地は、乾いた砂と瓦礫の海になっていたよ」
そう淡々と言って、大佐は私を抱く手に力を込める。
私はそっと、溜め息を漏らした。
 
記憶の中のイシュヴァールは、いつも照りつける太陽と鮮血に彩られている。
抜けるような空の青、大地を染める血の赤。
痛烈な原色のコントラストが、我々の罪に鮮やかに消えない彩色を施す。
何もない無彩色のイシュヴァールの風景というものが、私には想像すら出来なかった。
答えるべき言葉を見つけられず、私は黙ったまま、大佐に寄り添うように重心を背中側に移動させた。
「風化していく現実を見ると、ますます心象風景は鮮やかになるのだな。今日は一日、鼻腔から血と煤の臭いがとれない。幻だとは、分かっているのだが」
その臭いなら、私も知っている。それは戦場の臭い、死の臭い。
「君が非番だったから、何も話さないつもりだったのだが。……すまない」
例え微かでも現実の血の臭いが、軽薄を装った大佐の虚勢を剥いだという事か。
申し訳ないのは、こちらの方だ。
 
「大佐、お茶を淹れますから、この手をお離し下さい」
「嫌だ」
「大佐、温かいものを飲まれれば、少しは落ち着かれると思いますから」
「嫌だ」
駄々をこねる子供が母親にしがみつくように、大佐は私を抱いて離そうとしない。
どうする事も出来ず、私はただ大佐の手を撫でさする。
そうしながら、彼の掌の温もりが私の腹部を暖め、私は身体が楽になるのを感じていた。
辛い話を聞きながらも、自然に自分の身体を癒している己を浅ましく思い、私はつと身体を離す。
 
大佐がポツリと言う。
「どうしてだろうな。人の命を奪う行為も、人の命を産み出す摂理も、同じ血の色と臭いに満ちているのは」
そんな事を考えた事も無かった私は、意表をつかれ考え込む。
月毎に胎内から血を流す行為を通常のことと受け入れている私には、そんな発想は当たり前だが出てこない。
 
「それは、どちらも命懸けだからではないでしょうか」
無理矢理付けた答えは、絵空事
だって私は、子を産む苦しみを知らない。
未来永劫、知らない可能性の方が高いのだから。
 
「男にとっては、快楽なのだがな」
莫迦な答えを返す男に、私は笑って答えない。
女として生きていくよりも、軍人として生きる事を選んだ私には、大佐の言葉を肯定する事も否定もする事も出来ないのだから。
  
「君とて、どうしようもなく女なのだな」
強く抱きしめられ、そんな一言を言われても、“今更何を”と笑い飛ばせぬ自分が哀れにもおかしくて、私はそっと俯いた。
 
 
 
Fin.