07.冷笑

唇の端を歪めるその形 人はそれを笑いと呼ぶ
 
    *
 
ここに来て、もう何日が経ったのだろう。もう、何人の人間を殺したことだろう。
私、リザ・ホークアイは自問した。
様々な感覚が徐々に鈍化し始めているのが、自分でもよく分かった。
実地訓練として参加したイシュヴァール内乱の戦局は今や停滞していた。
ジリジリとした一進一退の攻防が続く前線では、敵も味方も徐々に疲弊し始めているようだった。
 
そんな中、軍の中で囁き交わされる話は、士官学校訓練生である私たちの耳にも届いていた。
最近、大総統令の第何号かが発令され、多数の人間兵器がこの戦場に投入されたと言うことを。
それによって、この内乱の終局は一気に訪れるであろうという噂を。
名付けて『イシュヴァール殲滅戦』。
その言葉の意味する所を、私は暫く後に戦場で目の当たりにしたのだった。
 
それは、地獄のような光景だった。
見渡す限り一面の焼け野原。
全半壊した建物。
動くものは何もない。
炭化し男女の別さえ判らぬ死体は、焼け死んだものに特有のポーズをとり、折り重なって倒れている。
道端に犬の形をした炭が落ちている。
災害が吹き荒れた後のような世界は、死にまみれていた。
 
『焔の錬金術師が通り過ぎた後だ』
『化け物の後始末か』
そう話す兵士たちの声が聞こえる。
 
背中がチリチリと熱くなり、私は身震いした。
私の託した力、焔の錬金術の成果がこれなのか。
最強、、、そして、最凶の術。
父の言った言葉が、今ようやく私にも理解できた。
 
軍に入ったからには、遅かれ早かれ彼とは再会できるとは思っていた。
しかし今のこの状況下では、考え得る中で最悪の部類に入る再会になりそうだった。
私は彼に会って、何を話すのだろう?
「お久しぶりです、マスタングさん。父の秘伝を解かれたのですね。おめでとうございます」
そんなことが言えるはずもない。
錬金術がもたらしたものは、死と破壊。決して幸福や希望ではなかった。
この現実を彼はどう思っているのか?
聞いてみたいような、逃げ出してしまいたいような、複雑な思いが私の中で交錯する。
 
     *
 
そんなある日、陣営周辺の見張り中、死体に紛れていたイシュヴァール人が軍服の人影に襲い掛かる姿が視野に引っかかった。
考える猶予も、躊躇う暇もなく、私は引き金を引く。
空に躍り上がった褐色の身体がバランスを崩し、血と脳漿をまき散らしながら地面に叩きつけられるのを見届け、他に不審者がいないか視認する。
スコープの中にもう一度地面に転がる死体を確認した後、救った相手が偶然目に入った。
黒い髪に黒い瞳、あれは。
一瞬、全身の血が逆流するような思いがし、私は総毛立った。
 
私はスコープから目を離さず、ゆっくりとセイフティレバーを解除した。
私の視界の中では、奇妙にゆっくりと時間が流れていく。
慌てた彼が懐から取り出した手袋を装着するのが、まるでスローモーションのように見えた。
手の甲に描かれた赤い錬成陣。私の見知った紅い蜥蜴が舌を伸ばしている。
血液が沸騰するような思いとは裏腹に、不思議と頭は冴え渡っていた。
驚くほどクリアな殺意が、私の中に満ち満ちている。
 
一発で決めるなら頭だ。一番外す確率が低く、確実に相手は死ぬ。
苦しませるなら、腹を狙えば良い。臓物は修復不可能なまでに引き千切られ、助からない上なかなか死ねない。
引き金にかける指に力がこもった、その時。
 
もう一つの人影がスコープをかすめた。
ハッと我に返ると、眼鏡をかけた彼の友人らしき人物が私の方を指差しているのが見えた。
私は意志の力で、なんとか引き金から自分の指を引き剥がした。
衝動によって人を殺す型に形作られた指は、なかなか解けてはくれず、気付けば私は大量の汗をかいていた。
 
ゆっくりとスコープから二人の姿が消えた瞬間、私の全身から力が抜け落ちた。
彼との最初のニアミスがスコープ越しであったことに、私は感謝した。
もしも、彼の友人がいなければ、今頃彼はあのイシュヴァール人と共に地面に転がっていた事だろう。
自分がこれほどの殺意を彼に抱くとは、思いもしなかった。
 
彼のようにこの国の為になりたくて、錬金術を使えない私は銃を手にした。 
国家錬金術師になった彼は、錬金術を用いて沢山の人を殺した。
その2つの事実がぶつかりあったその結果、私は何の躊躇いもなく彼を殺そうとした。
どこかに、彼に裏切られたという思いがあったのだろう。
しかし。
既に私も彼と同じ血の河にどっぷりと肩まで浸かっているというのに、今更何の正義を振りかざそうというのか。
手の平にかいた厭な汗を、私は握りしめた。
 
しかも、同じ人殺しというだけではない、私にはもう一つの罪がある。
あの人に父の研究を託したのは、私。
あの焼け野原の根源は、私の背にあるというのに。
 
なんと傲慢なのだろう、私は。
守りたいと思っていた彼を殺そうとした私、人殺しの私。
守るべき民を殺した彼、その道を歩ませたのも私。
逃げる事も、退く事も許されないのは、私自身ではないか。
泣きたくなる程の罪悪感。しかし、泣いたり、喚(わめ)いたりするには、私は人を殺し過ぎた。
決して許されるはずもない、許されてはならないのだ、私は。
ならば、自分の選んだ道は最後まで歩かねばならない。
そして同時に知らねばならない、何故こうなってしまったのか。
知って自分で考えなければならない、自分が選んだこの道の意味を。
 
私は自分の仕事を果たすべく、のろのろと顔を上げ、再び陣営の周辺へと目を配り始めた。
  
     *
 
夕闇が訪れ、私は友人と合流した。彼女は私の顔を見るなり言った。
「リザ、何かあったの?」
「どうして?」
「笑ってるみたいだから」
気付けば、私の口角は少し上がっていた。
ただ、ほんの少し眦(まなじり)を上げたり、口角を下げたり、そんな風にしか感情が表出しなくなっていた。
鈍化していく感覚と共に、いつしか表情も摩耗してしまったのだろう。
 
今、私の顔が選んだのは、諦めの冷たい笑い。
信じた人を殺そうとした自分への嘲りの笑い。
泣く事も許されぬ、感情の逃げ道としての笑い。
 
「探していた人を見つけたの」
嘘ではない、けれど真実でもない言葉を口にすれば、
「そう、良かったわね」
と、友人も空洞化した微笑みを返してくれる。
人殺しの我々は代償として様々な思いや感情や表情、つまり人としての機能を失っていくのかと、私は茫漠と夕闇に沈む空を何の感情もなく見上げ、今度は声を上げて笑った。乾きひび割れた小さな笑いは、ただただ高く澄んだ紅い空へと飲み込まれただけだった。
 
 
 
その夜、私はマスタングさんと再会した。
私が彼を殺そうとした事を、彼は知らない。
多分、永遠に知らないままだろう、全ては夕空に消えたのだから。
あの冷たい笑いと共に。
 
 
Fin.
 
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【後書きの様なもの】
イシュヴァールねつ造。
15巻で一瞬リザさんの銃の照準が、増田の頭部を狙って見える一コマからの妄想です。
 
自分の手で人を殺した事、焔の錬金術で死んだ人がいる事。
この2点に関してリザさんが心の責めを負っているなら、その闇はきっと増田よりも深いのではないでしょうか。