03.無能

敵わないから貶してみせる 裏返し 裏返し
 
      *
 
せっかちに、ドアをノックする音が聞こえる。
今夜は来るだろうと思っていたが、こんな早い時間にとは思っていなかったので、何の準備も出来ていない。
躊躇っている間も、ノックの音は止まない。
このままでは近所迷惑になる、仕方が無い。
私は濡れた髪のまま、不承不承扉を開けた。
案の定、思った通りの黒髪の主が不服そうな顔で、ドアの前に立っていた。
 
「何故すぐに開けない? ホークアイ中尉」
「軍人たるもの、常に用心が必要ですから。大佐」
「あー、分かった分かった。兎に角入れてくれ」
 
重い足取りで上がりこんだ私の上司は、雨に濡れた黒いコートを脱いだ。
ついでのように青い軍服の上衣も脱ぎ捨てた彼は、勝手知ったる我が家のダイニングに崩れるように座り込んだ。
 
シャツの襟元を寛げる指先は青白く、その頬には濃い疲労の影が滲んでいる。
それも当然だろう、この雨の中ほぼ一昼夜指揮を取りっ放しだったのだから。
一昨日からのこのイーストシティで起こった出来事の目まぐるしさと言ったら、まるで半年分の事件を濃縮したような騒ぎだった。
国家錬金術師タッカーの起こした禁断のキメラ練成の発覚、彼と彼の娘の殺人、スカーの出現にエルリック兄弟襲撃とオールスターキャストもいい所だ。
未だにスカーの探索は続けられているし、タッカーの検死も行なわれている。
現場に出た我々は一時帰宅を許されたが、指揮を執る大佐が日付の変わる前に帰宅出来ようとは思いもしなかった。
 
「よくこんな時間に抜けられましたね」
「ああ、将軍がお声をかけて下さったお陰だ」
人の良い笑顔の裏で何を考えているか分からない、イーストシティの最高指揮官の顔が脳裏に浮かぶ。
敵の多い大佐が軍部で気を許せる上司は、彼ぐらいなものだろう。
 
ヒューズ中佐はご一緒ではなかったのですか?」
「ヤツは一足先に一時帰宅だ。ま、帰ると言っても、ここの官舎だがな。今頃セントラルの家族に長電話しているさ」
「せっかく久しぶりにお会いになったのに」
「旧交を温めている場合ではあるまい、今の状況は」
確かにそれもそうなのだが、男の人の友情と言うのは良く分からない。
 
私は急いで用意した紅茶にブランデーを垂らし、彼の前に差し出した。
「とりあえず飲んでください。温まります」
「ありがとう、出来れば紅茶抜きにしてくれた方が有り難いんだが」
「どうせまた呼び出されますから、アルコールは控えてください」
「厳しいな、君は」
「何かあった時に、使い物にならなかったら恥ですよ」
「全く手厳しいな、参った」
口元に苦笑を浮かべ文句を言いながら、彼は熱い紅茶を一息に飲み干した。
 
「いったんお帰りになるかと思っていました」
「ちょっと気になったのでね、寄った」
「何がですか?」
「タッカーの件で、君が」
「私が?」
「ニーナのことで参っているのではないかと思って」
言葉少なく、彼は端的に物事の確信を突く。
ひたと私の目を見つめる瞳は、逸らす事を許さぬ力を持っていた。
 
忙しさに紛らせて意識の端に上らせぬよう気をつけてはいたのだが、彼にはやはり気付かれていたか。
こういうときは、下手に隠し立てしない方がいい。
真実の欠片を示す事で、全てを追求されることを免れる事が往々にしてあることを私は学習していた。
 
「そうですね、全く気にならないといえば嘘になります。でも、私は私ですし、私の父は国家錬金術師ではありませんでした」
「それにしては昨日の君の八つ当たりっ振りは非道かったぞ。衆人の目前で、人を無能呼ばわりとはな」
「事実でしたから」
わざと冷酷に言い放つと、流石の大佐も鼻白んだようだ。
「私が迂闊だった事は、認めよう。しかしだな」
一杯の紅茶と少しのアルコールが効いたらしく、仄かに大佐の顔色に赤みがさしてきた。
「それだけではあるまい。私にまで隠し立てするとはつれないな、ホークアイ中尉」
「何がですか」
私はポーカーフェイスで通そうとするが、彼は追究の手をゆるめようとしない。
「君はあの現場でニーナに感情移入していただろう。父を錬金術師に持った娘が背負う業に共感していた」
 
ああ、完全にお見通しと言うわけだ。
なのに私の口から言わせようというのか、全く人が悪い。
私は思わず口ごもる。それは、肯定の意思表示以外の何ものでもなくて。
「泣いてもいいんだぞ?」
したり顔の大佐にそう言われると、全てを見透かすようなその態度が無性に腹立たしくなり、私は素っ気なく返答を返した。
莫迦な事を」
莫迦で結構。私以外に君にこんなことを言える人間はおらんのだから」
「相変らず、ご親切なことですね」
「図星を突かれたからと言って、逃げるな。君らしくもない」
 
確かに彼の言うとおり、私は自分の父親にキメラにされてしまった哀れな娘に、自分を重ねていた。
 
錬金術に魅せられた父親たちの、己の研究に注がれる狂気さえ孕んだ眼差し。
キメラになって殺されてしまった少女、背中に秘伝を背負った私。
全く違うはずなのに、オーバーラップする私たち。
 
そんな事はありえないと、理性では分かっている。
だが、ひょっとしたら私が辿ってもおかしくなかった道だと、脳裏に囁く声がある。
 
あなたもお父さんを信じていたのでしょう?ニーナ。
お父さんの力は、みんなの為になる素晴らしいものだと。
なのに、あなたはその力の所為で、人でさえなくなってしまった。
あまつさえ、命をも奪われてしまった。
 
ニーナ、それでも私たちは錬金術の力を信じても良いのかしら。
 
大佐の手が私の手に重ねられる。
ようやく温もりを取り戻し始めたその指先は、まだ雨の冷たさを宿し、私の意識を明瞭にする。
「中尉、君がニーナに思い入れる事は間違っている」
毅然と言い切る大佐の口調は、私の背筋を正させる力を持っていた。
「能力が低いクセに分不相応な地位を望んだ時から、奴の錬金術は狂い始めたのだ。タッカーは手段と目的を取り違えてしまった。国家錬金術師という地位が自分には重過ぎる荷だと言う事が、奴には分からなかったのだろうな」
ゆっくりと、大佐は話し続ける。
 
「キミの父上は偉大な錬金術師で人格者で、術の力を正確に理解し封印する良識をお持ちだった。タッカーなどと比べては罰が当たるぞ。私が保証する」
「大佐……」
私には、言うべき言葉が見つからない。
幼かった私にとって父は畏怖の対象であり、近寄りがたい存在であった。
そんな父の傍で私より長く、弟子として父と同じ時を過ごした大佐。
彼がそう言ってくれるのは、気休めだとしても有り難い事だった。
 
「それに、だ」
大佐の顔にほろ苦い感傷の色が浮かぶ。
「君の想いを裏切ったのは、私だ」
付け加えられるように漏れた一言に、今度こそ私は言葉を失った。
 
イシュヴァール、我々の間の禁忌の思い出。炎と血とがフラッシュバックする。
昨日の昼間、彼自身が言ったのだった。
 『人の命をどうこうするという点では タッカー氏の行為も我々の立場もたいした差は無いという事だ』
人の命を左右するという点では、それらは確かに同列なのかもしれない。
だがしかし、自らの過去の罪を踏まえた上で、それでもなお前に進む力を失わない彼を、タッカーなどと同等に貶(おとし)める事は私には出来なかった。
 
錬金術という力は、とても大きい。
その恐ろしさを理解し、術に飲み込まれない器をもつ者だけが、本当の意味での錬金術師なのだろう。
エルリック兄弟然り、アームストロング少佐然り、そして目の前のこの人も、、、
 
私の手に重ねられた大佐の手の平の熱が、一層温度を増す。
「それでも私は国家錬金術師で在り続ける。それは、目的の為の手段だ。そして、私がその道を踏み外した時のために、君はここに居てくれるのではないのかね? ホークアイ中尉」
深い黒の瞳に射抜かれて、私は思わず敬礼する。
「Yes,Sir!」
 
「やっといつもの調子が出たようだな」
ふっと大佐の表情が緩んだ。
重ねられていた彼の手が外され、くしゃりと私の髪を撫でる。
「早く乾かさないと、風邪を引くぞ」
そう言って大佐は手早く上着を羽織ると、コートを小脇に抱えた。
 
「では、私は本部に戻る」
「大佐!? 一時帰宅を許されたのでは。。。」
「帰れる訳がないだろう」
「でも、将軍が、」
「あのご老体が、こんな時間まで起きていらっしゃると思うのかね」
大佐は笑って首を振る。
 
「こうでもしないと、君は全ての感情を自分で処理してしまおうとするからな」
呆気にとられる私を残し、大佐は立ち去った。
「紅茶、美味かったよ」
扉が閉まる間際に、そんな一言を残して。
 
呆然と一人取り残された私は、我に返ると思わず笑い出してしまった。
どこが無能だ、この無駄に部下想いの上司め!
明日出勤したら、朝一番に思い切り熱い紅茶をいれて持って行こうか。
少し軽くなった心で、私は大佐の使ったカップを片付けるために立ち上がった。
 
Fin.
 
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【後書きのような物】
しまった、大佐が男前過ぎる。(笑)
 
『無能=ダメ大佐』が主流なので、あえて反対路線。
2巻の無能発言の裏側、ということで。