20.この身朽ちるまで

思いがけず思い出す 過去と今
 
          *
 
「大佐、折角のお休みの日に申し訳ありませんでした」
「何、いい加減錬成陣以外のものが見たくなっていた所だ。ちょうど良かった」
普段はめったに見せない無精髭を生やした顔で、ロイは笑った。
国家錬金術師の査定のペーパーをまとめあげる為、彼はなんとか休みをもぎ取り、自宅に篭っていた。そのロイの元へ彼の承認と処理が必要な幾つかの急ぎの書類を持ってリザが訪れたのは、その日の夕刻のことだった。
 
ロイの自宅は、本来リビングであるべき場所までも、錬金術の本で埋め尽くされていた。
もう少し片付かないものかとリザは内心思うものの、父の書斎も似た様なものだったとさっさと諦めてしまうことにした。まったく錬金術師と言う人種は、モノを片付けるという言葉を知らないのだろうか。どこもかしこも本の山ばかりだ。
その本の隙間にのぞく机の上でロイは書類に目を通し、さっさとサインを埋めていく。
 
サインの終わった書類をまとめながら、ロイがふと思いついたように言った。
「折角来てくれたんだ、コーヒーか茶でもどうだ?」
「しかし、こちらを提出せねばなりません」
「まぁ、そう言わずに付き合ってくれ。もう定時も過ぎている事だ、サボリにもなるまい。わざわざ書類の為にここまで来させたお詫びだ」
「、、、そう言う事でしたら」
少し考えた後、リザは同意した。
「ただし、私がいれさせて頂きます。上官にそんな事はさせられません」
「相変わらず堅いな」
苦笑しながらロイは、台所へ通じる扉を指し示す。
リザは恐ろしく乱雑に積み上げられた本の山をものともせず、台所へと向かっていった。
 
その姿を見送りながら、ロイは既視感(デジャ・ヴ)に陥る。
何処かで見た事のあるこの光景、これは、、、ああ、師匠の家だ。
最もあの頃のリザはもっと幼くて、本の山に埋もれてしまっていたっけ。
懐かしい思い出に、自然とロイの口元がほころぶ。
 
「お茶が入りました」
しばらくして戻って来たリザは、お盆にティーセットとサンドイッチを盛っていた。
「申し訳ありませんが、勝手に食材を使わせて頂きました。どうせ熱中されるとロクに食事も摂っていらっしゃらないでしょうから。全く、父といい、大佐といい、錬金術師とは手のかかる人たちばかりですね」
そう言ってリザはお盆の上のものを並べるべく、ロイの眼前の机を片付けようとした。
と、ロイはいきなり身を折って、腹を抱え込んだ。
何が起こったのかとギョッとしてリザが覗き込むと、ロイは声を殺して涙を流さんばかりに笑っていた。
 
「大佐?何が可笑しいのです?」
「いや、中尉。全く君という人は、、、」
ヒィヒィと笑いに悶えながら答えるロイに、リザは少しムッとする。
訳の分からぬまま自分が笑われるのは、気分の良いものではない。
「大佐?」
リザの声に剣呑なものを感じたのだろう。ロイはなんとか笑いを収め、笑い過ぎて滲んだ涙を指で拭った。
 
「中尉、君は本当に変わらないな」
「は?」
何を言われているのか分からないリザの苛立ちはつのる。
「はっきり仰って下さらないと、全く訳が分からないのですが」
刺のある口調に構わず、ロイは可笑しくてたまらないといった風情でのんびり指摘する。
「昔、私に全く同じ科白を言った覚えはないかね?それも、1度や2度ではなく」
「あ、、、」
指摘されて初めてリザも思い出す。
遥か昔のこと、まだ彼女が父と一緒に暮らしていた頃の事を。
  
リザの父の元に錬金術の修行に来ていたロイは、しばしばホークアイ邸に泊まりこんだ。否、泊まりこんだと言うよりも、熱中し過ぎて昼夜を忘れた、と言った方が正しかろう。寝食を忘れて研究と修行に夢中になる父とその弟子を、リザは気遣った。常に目を光らせ、時には夜食を用意したりもした。
『また熱中して食事も摂っておられないんでしょう。全く、父といい、貴方といい、錬金術師とは手のかかる人ばかりですね』
それが、そんな彼女の当時の口癖だった。
 
「思い出したかね」
クツクツと喉の奥で笑いながら確認するロイに、リザは頷いてみせる。
「『三つ子の魂百まで』とは、良く言ったものだ」
「よく、覚えておいででしたね」
リザ自身も忘れていたと言うのに。そう思い問い返すと、ロイは苦笑する。
「あれだけ耳にタコが出来る程、毎日のように言われていれば、忘れられないさ」
「当時から手の掛かる方だったという事ですね、大佐」
「耳が痛いな」
カップに手を伸ばし紅茶を飲み干して、ロイは苦笑した。
 
「まぁ、当時から君は有能だったという事だ」
「お褒めいただいても、何も出ませんよ?」
リザは肩をすくめてみせる。
「そのサンドイッチで十分さ」
そう言ってサンドイッチを美味そうに頬張るロイの顔は、修業時代と何ら変わらず、思わずリザも苦笑する。
「で、君は何を笑っているのだね、中尉?」
口の端にケチャップを付けた顔で聞き返すロイに、リザの笑いはますます膨れ上がる。
 
笑い声を立てるのを必死にこらえながら、リザは真面目な顔を繕って答えてやる。
「いえ、大佐こそお変わりになっていらっしゃらないなと思いまして」
そう言いながら、リザはロイの口元のケチャップをハンカチで拭ってやる。
ゾロリと生地に引っ掛かる無精髭が、時の流れと変わったものもある事を主張する。
まぬけな自分の状況を悟ったロイが口元をゴシゴシ擦りながら憮然とするのを見て、遂にリザも笑いから逃れられなくなってしまった。
憮然としていたロイも、一緒に笑い始める。
 
2人でクスクスと小さな笑いを共有しながら、リザは思う。
このままこの身朽ちるまで、この人の傍に居られれば。
そして、過ぎ去っていく時の変化も、二人の間にある変わらぬものも、どちらも共有する事が出来るならば。
これ以上は何も望まないものを。
そんな小さな想いを胸に、リザは新たに熱い紅茶をカップに注いで差し出した。
 
 
Fin.
 
 
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【後書きのようなもの】
いかついタイトルにそぐわない、ほのぼのSSになりました。
20のお題、ようやく半分。ターニングポイントです。