13.花一輪【04.Side.Riza】

摘まれる為に 花は咲く
 
     *
 
気が付けば、自分でも驚くほど饒舌になっていた。
分かってもらおうとも、分かってもらえるとも思っていない、なんて嘘だ。
独りの夜は明けないのかと思う程、長い日もある。
無い物ねだりと分かっていても、誰かに知っていて欲しかった。
秘伝の影に隠れてしまう自分の存在を。
 
お父さん、私はここに居るの。私を見て、私はここに居る。
マスタングさん、私はこの背中にしか価値がないのでしょうか。
まるで、自分の中の誰かが勝手に話をしているように、私の口は喋り続ける。
 
「最期まで、父に聞けなかった事があるんです」
錬金術師であるこの人にこそ、聞いてみたい。そんな思いが言葉を紡ぐ。
父の代わりにマスタングさんを責める理不尽さは、自分でも分かっている。
分かっていても、私の言葉は止まらない。
「この背中の秘伝の錬金術は、この国の人々の幸せの為にあると言われました」
父も、貴方も、そう思っているのですよね?私も、それは信じています。
 
「でも、それならば」
この国の人々の為に。
でも、何時からか、心に刺さった小さな棘があった。
「私の幸せはどこに行ってしまったのでしょうか?」
答えが欲しい訳ではない問いかけ。なぜなら、答えはないのだから。
 
本当にささやかな事なのです。
国の為という大義ではなく、一人の人間としての小さな幸せを。
それを願うことは間違っているのでしょうか。
一つだけで良いのです。
貴方が私の覚悟を知っていてくれて、一人の女にしてくれるなら。
私は真っ直ぐ前を見て、生きて行ける。
だから。
「私に幸せを下さいませんか」
  
辛そうな顔のマスタングさんを見るのは辛い。
それでも、こんな酷い問いを投げ、抱いてくれとせがむ。
私は頭がおかしくなってしまったのか。それとも、先刻の彼の手荒な行動への仕返しなのか。
自分でも自分の衝動が分からなかった。
 
心の箍(たが)が外れたのと同時に、涙まで私は制御できなくなったようだ。
話している間に、どんどん涙が溢れて止まらなくなっていた。
こんな場面で泣くなんて、卑怯極まりないというのに。
こんな私を、マスタングさんは哀れみの目で見ている事だろう。
恥ずかしくて死にそうだ。
 
ぐるぐると思考の渦に飲み込まれた私は、話す言葉を見失う。
マスタングさんは立ち尽くす私にゆっくりと近づき、何も言わずに抱きしめてくれた。
肩に触れる手、包み込まれる腕の中、感じる人肌の温もりに心が解ける気がした。
白いシャツにしがみつくと、半分脱げた喪服が滑り落ちそうになり、慌てて掴み直す。
「リザ、本当に私で良いのかい?」
頭上からの声に頷くと、彼は私の頤(おとがい)に両手を添えると上を向かせた。
 
こんな間近で見つめられると、黒い瞳に吸い込まれそうな気になる。哀しそうな光を帯びた夜の色。
彼は私をしばらく見つめると、そっと額に口づけを落とした。
思わず閉じた目蓋に次の口づけが、そして唇に湿り気を帯びた柔らかいものが触れる。
心臓がバクバクと飛び跳ね、唇から飛び出す様な気がして、肩にかかった彼の軍服を胸の前で握りしめる。
と、次の瞬間、口の中にも柔らかいものが満ち、私はむせてしまいそうになった。
他人の舌を口の中に感じるのは不思議な心持ちだった。
長い口づけは優しく、また私の中の涙を誘う。
 
唇を離して、彼がまた問う。
「リザ、君の幸せは本当にこんな事で満たされるのかい?」
他に何があるというのだろう。
私は返事をせずに、彼を見つめ返した。
静寂の隙間に入り込む、窓辺の光が眩し過ぎる。
彼の唇が何か言おうとしたかのように少し開いて、すぐにまた閉じてしまった。
 
つと逸らされた視線が一瞬宙を彷徨い、直ぐに私に向き直る。
「流石に師匠の書斎では、罰が当たるか」
冗談の様にそう言うと、マスタングさんは私の足下をすくい、横抱きに軽々と私を持ち上げた。
急に重力の向きを変えられた私は、慌てて彼の首筋にしがみつく。
肩にかかっていた彼の軍服が音を立てて落ち、私の裸の肩に冷たい空気が触れた。
密着した胸元から私の鼓動が彼に聞こえるのではないだろうか。羞恥が顔を上気させる。
 
私を抱え上げたまま、彼は勝手知ったる屋敷の中を歩きながら言った。
「リザ、私は君が思ってくれているほどの人間ではないと思う。でも、君の言う所の幸せになれるのならば、それはとても光栄な事だと思う」
そんなことを言ってもらえるとは思ってもみなかったので、どう答えて良いか分からない。
私は何も言えず、彼の首筋に顔を埋めていた。
彼の方も答えを期待している訳ではないらしく、そのまま言葉が続く。
「君の覚悟も、君の想いも引っ括めて、君の背中の秘伝を受け取らせてもらう。だから、」
だから?
「君は君で、他の幸せをいつか見つけて欲しい」
上気し飛び跳ねていた心臓が、一気に冷たくなる。
かつてない深い闇が、私の中にうそ寒い大きな穴を穿つ。
やっぱり、分かっては貰えないのだ。
 
そう。だってマスタングさんは『大衆の為に』錬金術を学んだ人だもの。
私は所詮、『師匠の娘』だもの。最初から無理だったのだ。
ため息を殺し、私は一層強く彼にしがみつく。
私の言葉が拙過ぎたのだろうか。それとも、私たちの間には最初から共有出来る言葉は無かったのだろうか。
 
マスタングさん、私はそれほど多くを望んではいないのです。
この背中を受け入れた時から、私は独りで生きていく運命も一緒に受け入れたのですから。
ただ、今だけ。今だけ、独りであることに抗(あらが)いたいのです。
そして大好きな貴方にだけは、私の想いを知っていて欲しかったのです。
でも、それは叶わぬ希望でしかなかったのですね。
 
諦めよう。
私は決心する。
諦めることは昔から得意だったはず。期待することを止めれば、もっと楽に生きていけるのだから。
そう考えると、自然に私の涙は止まった。もう、私は彼の前では決して泣かないだろう。
 
修行で泊まり込む彼の為に用意していた客室まで辿り着くと、彼は器用に足で扉を開けた。
中には殺風景なまでに、机とベッドしかない部屋。
堅いベッドの上にそろりと私を降ろすと、マスタングさんは私の傍らに座る。
ギシ。
マスタングさんの身体が私の方へ傾き、ベッドが軋んだ。
彼の腕が私の頭の横に移動し、ゆっくりと彼の顔が近づいて来たと思ったら、耳元に寄せられた唇に耳朶を噛まれた。
びくりと身を堅くする私の耳元で、彼はそっと囁いた。
 
「止めるなら今だよ、リザ。これから先は、私にも止められそうもない」
例え貴方に分かってもらえなくても、私が貴方を好きになり、私がこの背中を見せるのは貴方だけだ、という事実は動かない。
私は言葉では答えず彼の方を向くと、自分から彼の唇に自分のそれを重ねた。
ギシ。
再びベッドが軋み、彼が身体を重ねてくる。
 
白いシャツの襟元をくつろげながら、彼は言う。
「リザ、もう一度言わせてくれ。君の背中も、君の想いも、私は決して無駄にはしない。だから」
既に半分以上脱げてしまっている黒いワンピースに、彼の手がかかった。
「君は君の幸せを、きっと見つけて欲しい」
ああ、なんて酷い人だろう。
私は泣きたい気持ちで、首筋に彼の口付けを受ける。
 
やがて、甘くて苦い痺れが、私を犯し始めた。
 
 
To be Continued...
  
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【後書きの様なもの】 
明けましておめでとうございます。
昨年、こちらを見つけて足を運んで下さった皆様、ありがとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 
さて、年を越してしまいましたが、ようやくここまで辿り着きました。
リザちゃんが、グダグダで申し訳ない。前回の終わらせ方を後悔しましたよ。
もう少しさっぱりさせたかったのですが、まぁ人生かけた問題ということでご容赦下さい。
 
「集中豪雨」ではリザ語り・ロイ語りにすれ違いが無いように努めましたが、「抱いて」改め「花一輪」ではすれ違いがメインテーマ。
お互いの想いや考えがうまく伝わらず、一つの言葉・1つの行為が2人の間でズレを生じる哀しさみたいのを書ければな〜っと。
 
次回、完結予定です。(070104)
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【05.Side Roy】を書き始めたら、対比の上で随分と【04.Side Riza】に言葉が足りなく感じ、大幅な加筆をいたしました。
ちょっとグダグダ加減はマシになったように思うのですが、如何なものでしょう?
【05.Side Roy】へ続きます。