overcoat

overcoat 【名】 オーバー、外套
   
*
 
待つ事は苦痛ではないが、この寒さはどうにかならないものだろうか。
リザはそう思いながら、狙撃銃のスコープから目を離した。
身体を包んだブランケットを一層きつく身体に巻きつけるが、効果はあまりない。
かじかんだ手に温もりを与えようと息を吐きかけても、手のひらにかかった吐息の熱の温もりは、一瞬のうちに風に飛ばされていった。
 
無線には未だ何の連絡も入らない。定時に進捗のない報告が響くのみだ。
今日、向かいの倉庫で大掛かりな麻薬の取引が行われると言うタレコミは、ひょっとしたらガセだったのかもしれない。
要らぬ疑念が頭をよぎる。神経が苛立っている証拠だろう。
しかし、ガセだろうが何だろうが、作戦中止の連絡が入るまでは此処で待つのが自分の仕事だ。
そう思い直し、リザは夕暮れの中徐々に光量不足で視界が狭くなるスコープに視線を戻した。
 
リザの潜む廃墟ビルは倉庫を見下ろす位置にあり監視も狙撃も行いやすい場所なのだが、如何せん使われなくなって久しいだけあって、隙間風が酷い。
廃墟に灯火をともすわけにも行かず、リザは寒い中2時間前からこの場所で待機を続けている。
夕闇の中、足元から上がってくる冷たい空気が身体にまとわりつく。
例え防寒をきちんとしていようとも、身体を動かせないこの状況では否応なく体温は奪われていく。
 
もう一度、手に熱を加えようと手をこすり合わせたその時、リザは背後に気配を感じた。
条件反射でホルスターの銃を抜き、入り口の暗がりに向かって問う。
「誰ですか!」
低い声の誰何(すいか)に答えたのは、聞きなれた上司の声だった。
「私だ、銃を納めてくれ」
全く、すぐに現場に出て来たがるのだからこの人は。
リザは胸の内でため息をついた。
 
「司令官がこんなところにいてどうするんですか。本部に戻ってください」
「直ぐに戻るさ、どうせ此処の地下なんだから」
呆れ声のリザに、いつもの調子でロイが返す。
「既に取引の予定時間は過ぎているんです、いつ動きがあるか分かりません」
「フュリーが小型の無線を持たせてくれた」
「そういう問題ではありません。指揮官不在の作戦本部なんて冗談にもなりません」
呑気な上司に苛立ちを感じ、リザは銃を構えたまま威嚇する。
 
「剣呑だな、君は。折角来てやったのに」
「他への示しがつきません。早くお戻り下さい」
銃を突きつけられても意に介さぬかのように、ロイはつかつかとリザに近づいてきた。
 
「どうだ、そちらに動きは見えないか」
窓辺に近づきリザを肩で押して場所をあけさせると、ロイはスコープを覗き込んだ。
報告なら聞いているだろうに、そう思いつつ仕方なく上司の横顔を見ながらリザは答える。
「この1時間、倉庫周辺に近づく人物は一人もおりません。外部からの連絡はどうなんですか」
「定時連絡のままだ。状況は動いていない。む、ここは風が強いな」
「最上階ですから。ところで大佐、無闇にスコープの向きを変えないで下さい。邪魔しに来たんですか!」
「お、これはすまない」
謝罪はするものの、悪びれた表情でもない上司にリザの苛立ちは更に募る。
 
「いい加減お戻りになられないと、、、」
そう言いながらガチャリと彼の鼻先で撃鉄を起こしてやると、流石のロイも強張った笑顔を浮かべた。
「分かったよ」
やれやれと言った表情で立ち上がったロイに、こちらの方がやれやれだわと思いながらリザは銃を仕舞い自分の定位置に戻る。
太陽はビルの隙間からその姿を消そうとしていた。
闇が濃度を増す。
 
背中を向け立ち去るのかと思ったロイが、ふと立ち止まり背中越しに声をかけてきた。
「しかし、地下と違って上は本当に寒いな」
「これだけ窓ガラスも何も残っていませんからね、仕方ありません」
「寒い思いをさせて悪かった、陣中見舞いだ」
そう言ってロイは振り向きざまに、自分のコートを脱ぎリザに投げて寄越した。
重みを持った黒い布が、バサリとリザに覆い被さってくる。
頭からすっぽりと包まれてしまったコートの中からリザが慌てて顔を出すと、既にロイは立ち去った後だった。
 
また気障な事を。
半ば呆れつつも、少し躊躇った後リザは見慣れた黒いコートに包まった。
脱ぎ捨てられたばかりのコートは持ち主の体温を残し、冷えきった手や身体に暖を与えてくれる。
襟元をかき寄せると鼻先に慣れた男の匂いが香り、胸中の水面が静まってゆく。
何となく表情が緩んでいる自分に気付き、誰が見ている訳でもないのにリザは慌てて顔を引き締めた。
  
ロイがすぐに姿を消したのは、自分が居るとリザが意地を張ってそれを着ようとしない事が分かっていたからだろう。
微妙に読まれている事が癪に障るし、たかがコート一枚に安堵を覚える自分にも腹が立つ。
「しっかりしなさい」
思わず漏れ出た独り言が風に散ったその時、無線がなった。
『9時の方角より不審車が3台、総員、配置に着くように』
 
冷静に覗くスコープに、車のヘッドライトが映った。
コートの中で温まった両手がしっかりと銃身を固定する。
リザは狙撃銃のボルトを起こした。
 
 
 
Fin.