02.集中豪雨 【02.Side Roy】

降る雨が君を濡らす 傘になれないならば
せめて傍らに
 
      *
 
「私が私の意志で父の秘伝を伝えたのです、何を今更!」
リザは叫ぶようにそう言うと、自分の声の大きさに驚きハッとしたように目を伏せ、黙り込んでしまった。
まじまじと彼女の俯いたままの姿を見つめる。
細い肩が僅かに震えていた。
 
そうだ、彼女の言うとおりだ。
彼女にだけは分かっていて欲しい、許すと言って欲しいと望むなど、私は何を甘えているのだろう。
自分がただの人殺しに成り下がったのは、百も承知のはずではなかったのか。
悔いるよりも前を見て、罪を受け入れているリザのほうが、どれほど潔いか分からない。
 
私は、沢山のこの国の民を焼いた。
相手は罪人だ、国の為だと言い訳し、目の前の人々に焔を振るった。
それでも、今日、大総統を見て、あの座を目指して駆け上ると新たに心に誓ったのだ。
更なる罪を重ねても、青い夢と笑われても、這いつくばってでも、必ずあの場所にたどり着いてやると。
誰にも止められない。 確かに『何を今更』、だ。
思わず苦笑になりそこなった、ため息が漏れる。
  
腹を決めたつもりで、私はリザに向かって手を差し出した。
「おいで」
出来るだけ平静な声で呼びかけたつもりだったが、そんな思いと裏腹に私の声は硬いものになった。
例えどんな理由だろうと、彼女に傷をつけたくなどないのだから、躊躇は消えない。仕方あるまい。
私の呼びかけにリザは身を硬くし、そしておずおずと顔を上げた。
焦点の合わないような瞳がこちらを見つめていたかと思うと、急にその表情に怯えの影が走る。
明らかにリザは後ずさりして、私から逃げようしていた。
 
さっきまでの凛としていた彼女の、あまりの変わりぶりに驚く。
一体どうしたと言うのだ?
何か私は、拙いものの言い方をしただろうか。
『おいで』としか、言ってないぞ!?
内心うろたえる私の目に映る彼女は、あまりにもかよわげで。
 
私は気付く。
結局の所、彼女もまた、不安定な少女のままでもあるということに。
私が、青臭い夢を引きずったままであるように。
考えてみれば、残酷な話なのだ。
偶々錬金術師の父を持ったばかりに、そしてその背に錬成陣を刻まれてしまった為に、彼女の人生から安寧という文字が滑り落ちてしまったのだ。
まだ、学校に通い、同級生と戯れ、人の体温や家族の温もりを享受すべき年頃の少女であるはずなのに。
どこで彼女の運命のレールは、“こちら側”に乗り入れてしまったのだろう。
 
胸が詰まるような思いがし、逃れようとする彼女の手首を捉え、強く引き寄せる。
私の手の内に納まってしまう細い手首を重ね、逃れようともがく華奢な身体を抱きしめた。
こんなか細い少女が、あれだけの重荷を背負い生きてきた上での決意なのだ。
私はそれに敬意を表し、そして彼女の想いを守ってやらねばならない。
彼女に向かって、今度こそ優しく囁く。
 
「リザ、君がそこまで言うのなら、私も覚悟を決めよう」
腕の中の彼女の動きが止まる。
「焔の錬金術師の名を継いだものとして、責任を持って君の背を焼く」
その一言に、彼女の肩の力が抜けた。
怯えの色を仄かに残したまま、澄んだ榛色の瞳が緩やかに私を見上げる。
私は彼女に向かって、可能な限りの優しい笑顔を作ってみせた。
 
安心したように、はにかんだ表情で彼女が言う。
「焼いてください」
 
私の胸に顔を埋め、甘えるように彼女は続ける。
「潰してください」
 
傍から見れば、恋人たちが睦言を交わしているようにしか見えないだろう。
信じられないことだが、明らかに彼女は今、私に“甘えて”いるのだ。
こんな状況でしか、他人に縋る事が出来ない哀しい少女。
彼女がそうなってしまったのには、私にも一因があると考えるのは、自惚れだろうか。
 
「分かったよ、リザ」
だから安心しなさい。抱きしめた背中を繰り返し撫でる。
まるで、子供をあやす親のように。
「君の背中の秘伝を、きちんと使えないようにしてあげるから」
私は、優しく彼女の手をとる。
「おいで」
ゆっくりと簡易ベッドに導き彼女を座らせると、目の高さまでしゃがんで彼女と目を合わせる。
「軍医に麻酔を借りてきてあるが、どうする?」
予想したとおり、彼女はそっと首を横に振ってそれを拒否した。
痛みを受け入れることが、贖罪だと考えているのだろう。
意志の力と怯えの混在する瞳に、私の心はチリチリと痛みを覚える。
 
「それから、先に伝えておく。君のその背中の錬成陣を潰すには真皮まで焼かねばならない。かなりの痛みを伴い、治癒までに通常で最低1ヶ月はかかる。錬成陣を使用不能にするためには、左の肩甲骨周辺を中心に私の手の平ほどの範囲を焼く事になる。いいのか?」
こくり、と真剣な面持ちで彼女が頷く。
本当にいいのか? リザ。
 
「治療系の錬金術は専門外だが、多少の知識はある。火傷の跡をすぐに上皮化する事は出来るが、それでも瘢痕が残る事は避けられないし、痛みがすぐに引く訳でもない」
「分かりました」
本当に分かっているのか? リザ。
 
「私は向こうを向いているから、服を脱いでこちらに背を向けてくれ」
これ以上彼女の姿を正視することが出来ず、返事を待たずに彼女に背を向ける。
腕を組み、虚空に目をやり、どこかに意識を逸らそうとこの内乱に思いを馳せた。
『恨みます』と言って笑った老人の顔が浮かぶ。
いっそ憤怒の表情や、泣かれた方がマシだった。
彼で終わったと思っていたのに。
 
リザ。
幼い時から知り、この内乱で命を救われ、青臭い夢を初めて語った相手。
その彼女を焼かねばならないとは。
神も随分な罰を用意してくれたものだ。
 
マスタングさん。……あ、すみません。少佐、用意ができました」
リザの呼びかけに現実に戻った私は、ゆっくりと振り向いた。
 
胸元を軍服で押さえ、上半身を露にしたリザがこちらに背を向けて俯いて座っている。
彼女の背とも、数年ぶりの再会だ。
あの美しい構築式が、私の目を焼く。
ああ、ちっとも変わっていない。
Libera me, Domine, ……文字を視線でなぞる。
 
文字をなぞるうち、私は気付いてしまう。
ああ、変わってしまったのだ。
彼女の背の美しいカーブがいつの間にか私の心を射すくめる。
あの時、少女だった彼女は、
 
女になっていた。
 
 
To be Continued...
 
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【後書きの様なもの】
 すみません、終わらなかった。まだ続いてしまいます。エロに走りそうな気配を漂わせつつ、自制するかも。まだ悩んでいます。
 
 続きは02.集中豪雨 【03.Side Riza】にて。
 
【追記 061114】
【04.Side Roy】に繋ぐ為に必要な科白を加筆